旭正秀ピサの斜塔

旭正秀 Masahide ASAHI
「ピサの斜塔春景(伊太利)
Leaning tower in Pisa in the spring」
  1933 woodcut
  22.5×16.0cm Ed.100
  emboss sign


この作品は、「旭正秀滞欧版畫 紀念作品集」(私家限定版100部)に挿入された作品です。
幸いそのときのたとうが完全な形で残っています。
印刷による「自序」と、ガリ版による挨拶文の2枚が挿入されています。
創作版画運動の雰囲気を知るための貴重な資料ですので、全文をご紹介しましょう。

旭正秀たとう

■自序
滞欧中に心掛けた作品中から選んで、兎に角この集をまとめた。
僕としては小品だけど最初の『風景』である。
僕は未だ根本の繪も、版畫も共に素人なので、仲々に思ふやうに出来ない。
本来ならこの邊で、誠に獨りよがりの恥しいもので等と、大いに謙そんしたい処なのだが、そんな如才なさで、おしかくせないほど、この頃いらいらしてゐるので、本當のことを云ふ。
僕の版畫は、弘法大師の書いた一と云ふ字の掛物を見て、俺にも一と書けるぞと自慢したやうなものだ。
之れで先年外國へいくとき貰つた錢別の返しや御厚意を頂いた辱知諸賢への義理もすまし、ついでに、相変らずの痩我慢と、負け惜みと、自己宣伝も兼ねやうといふコンタンである。
しかし乍ら僕の版畫がまだものにはなつてなくても、この集を貰つて頂く大底の人々は新しい今日云うところの創作的な自作版畫を見られる始めての向が多いと信じる。
つまりこの集を贈る先は比較的僕の個人的な私的関係の向きが多い故に――そんな人々に『版畫』を知つてほしいと思ふためもある。
それは決して僕の版畫を見ろといふのではない。
さや、その世界的に冠絶せる技術に就いては今日も多言を要しないことだが、その勝れたわが國特有の版畫藝術も、明治以降西洋から移植された近代科学の文明と、巧妙を極めた製版技術の力におされて、錦繪本来の美しさや、版畫それ自体のもつ藝術的進展性を全く失して終つた。
この失はれたものを取り戻そうとするのが今日の新しい版畫の意義である。
古くは技術の拙劣の故に版畫の特質が存在した。今は美心の精緻の故にそれが生かされる。
版畫とは等と、くだくだしく云ふより、それを最も簡単に、手取り早く知つて貰ふことに少しでも役立てば、この貧しき内容をもつたそのくせ野心多き贈物も、あながち気障でもあるまいと思ふ次第である。
をはりに當時生活のための職をもたない貧しいさなかの自分にとつて、この贅沢を極めた版畫集を、終始盡ざる好意と熱心とで、いろいろ面倒を見て呉れた、刷師田口喜久松氏の冥助に因ることを感謝したく思ふ。
千九百三十三年新春       旭正秀

■ガリ版によるあいさつ文
新年の御慶目出度申上げます。
さて本日小生自画自刻になる「滞欧版画紀念作品集」壱部お届け致しました。これは先年小生渡欧に際して、寄せられた諸家のご厚意に対する万分の一の徴しであります。何卒ご笑納下され御指示御鞭撻戴くを得ば幸甚に存じます。
尚これから先きを書きますと一寸嫌味になりますが、私はこの集で味をしめて、今年は全く版画作製に没頭致したいと存じます。然しそうすると忽ちに生計の方に差支へて来ます。つまり直接に生活に触れてくるので、今月から毎月二枚平均で「現代欧州名勝図絵」を約五拾景作り上げたいと存じます。
就いては皆さんのご厚意につけ込んで、申込んで戴けるかご紹介戴ければ幸甚です。
毎月参円づゝで二枚で五拾口出来ると先づ版画家で一人前な顔をして暮せます。
他に収入の途がなくなったので少し自分ながら浅ましい気もしますがお願ひします。
この贈物は海老で鯛を釣る式のものですが、決して無理な御迷惑や責任を感じられない程度でおきゝ届け下さいますやう。
兎も角もこんな事をして何か耐えず動いて仕事をつヾけて行くことが現在の私にとつては、自力といふか、努力と云ふか更生の路だと思つて居ります。先づはそのため貴意を得たく御挨拶に兼ねて                     不一
昭和八年一月       旭正秀 敬白

◆貧しくとも版画にかける意気込みが伝わってきますね。
創作版画の作家たちが多かれ少なかれこのような頒布会形式で、生計を支え、版画をつくり続けたのでしょう。

◆旭正秀(あさひまさひで)は、1900年(明治33)年京都生まれ。府立二中を出て東京朝日新聞社に入社、1930年(昭和5)年まで在籍する。この間川端画学校に学び版画を始め、日本創作版画協会や春陽会に木版画を発表、1921(大正10)年には雑誌「版画」(のち「詩と版画」と改題)を刊行、「版画の手ほどき」などの技法書も著し創作版画の普及に努め、欧米での日本版画の紹介にも尽力した。1926(大正15)年に自ら創立した素描社(のちデッサン社改名)では『デッサン』誌を刊行、戦前、戦後を通じ、大家の素描展を企画開催している。戦時中一時、泰宏と名のった。
1956(昭和31)年死去。

◆ときの忘れものでは、12月29日まで「恩地孝四郎と創作版画の作家たち」展を開催しています。

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