前回、「作者不詳」について述べたが、日々入ってくる作品全てのデータを特定するのは容易ではない。私たちも万能ではない。わからないものはわからない(作者不詳)として売らざるを得ない。知ったかぶりをして、あやふやなデータを提供したら信用を一挙に失う。
画商としてやってはいけないことは、贋物を売ることである。
贋物をそれと知っていて売ったら詐欺である。
問題は、それを(贋物と)知らずに売ってしまった場合である。
人様のことはあまりいえないが、2月23日のブログで書いたように、最近のオークション会社は乱立の影響か、出品作品の審査やチェックが甘くなっているらしい。先日はマン・レイということだったのだが(実は違う作家)、ほかにも私の経験した例でいえば、ベン・ニコルソンの白いレリーフが確か数十万円で出品されたことがある。興奮しましたね、本物がそんな値段で出るはずがない。私は贋物と確信しましたが、夫婦ともに大のニコルソンファンとしてはレプリカでも部屋に飾りたい。躊躇無く事前入札しました。途端にオークション会社から電話が入り「実はあれはいけないものでした」。私は「わかっています、『作者不詳』で結構ですから競ってください」とお願いした。私と同じように考えた人が少なからずいたらしい。私は出来のいいレプリカ代と考え、相当額まで入札したのだが、もっと上がいて落札できなかった(残念!)。
事前に贋物と判明したからいいようなものの、もしこれがン千万円で落札してしまったらどうなってたでしょうね。
若い頃、先輩画商に「素人におかしなものを売ってはいけないが、玄人(同業の画商)には売っても構わない。それはプロ同士の見識の争いなのだから。」と言われて驚いたことがある。私は素人だろうと玄人だろうと、怪しいものを売ったことはないが、その逆はいくつもある。
美術業界に入りたての頃、ハインツ・ベルグラン(ハインツ・ベルクグリューン 1914-2007年)の名は一種憧れと畏敬の念をもって語られていた。昨日からその著『最高の顧客は私自身』を探しているのだが、本棚から見つからない。記憶だけで正確な履歴を記すことはできないが、とにかく伝説の大画商である。
ユダヤ系ドイツ人としてベルリンに生まれ、ナチを逃れ渡米。戦後パリで画廊「ベルグラン Berggruen&Cie」を開いた。画商というより20世紀屈指の大コレクターといった方が正確である。なにせ第一級のコレクションは売らずに、クレー、ピカソなどの名作130点をベルリンに寄贈したくらいである。
そのベルグランが毎年顧客に送る細長い版画カタログは、世界の市場の動きを伝えるとともに、新米画商にとっては教科書みたいなものであった。
私が実際にパリのベルグランの店を訪ねたのはもう大昔だが、ベルグランは既にその画廊を他人に譲っていた。つまり居抜きで代替わりしていたのである。往年の輝きは失せていたが、まあしかし、名前は昔の通り「ベルグラン」だ。
ある日、朝から仕事でパリを歩き回り、ようやく終えてホテルに戻ろうとしたとき、ふとそこがベルグランの近くだったことを思い出した。疲れてはいたのだが通訳のNさんと足をのばした。このときの勘というか、予感というか、私は悪運が強いのかも知れない。
画廊に入り、版画の入ったラックをめくっていたら、恐らく昨日かその日に入荷したに違いない銅版画が12点、紙マットにはさまれてあった。シールに「Aki KURODA」とある。当時パリで新進画家として売り出し中の黒田アキさんのことである。
価格は日本円に換算して各5万円、全部で60万円。まあ、黒田さんならそんなものでしょう。
実物は図版をご覧の通り、紛れも無い「聖なる手」はじめ「四つの手」「私の詩人・私の猫」など、日本人画商ならどんな新米にだってわかる池田満寿夫の1965年頃の傑作群であった。サインが読めなかったんでしょうね。
さすがに驚きました。だって「聖なる手」は当時の日本で数百万円はした。
親切な日本人として、「これは黒田ではない、池田満寿夫だ」と教えてやるべきか。
いや私は、先の先輩画商の格言を思い出し、Nさんに「あなた手持ちの現金いくらある?」と焦りつつ尋ねたのでした。ベルグランとも旧知のNさんはのんびりと「ここつけききますから伝票で大丈夫ですよ」とおっしゃる。そうじゃあないんだ、現金で買取り、いま直ぐに持って帰りたいの!
現金はなかったが、トラベラーズチェックで清算し、不思議そうな顔の店員をせかせて、全12点を丸めて筒に入れ、ホテルにもちかえったのでした。
ベルグラン(の店員)のミスは二つある。
一つは池田満寿夫のサインを黒田アキと見誤ったことである。これはまあ慣れていなければ難しい。
二つには、日本で数百万円もする版画をたった5万円の値しかつけなかったことである。これをミスというべきか、日仏の違いというべきか、難しい問題ですね。
代替わりしたとはいえ、あの天下のベルグランを出し抜いた、ちょっと興奮しましたね。
しかし、逆に私が「作者不詳」とした作品にもそういうのがあるかも知れない思うと、ぞっとします(事実、宮澤賢治でそれをやってしまったわけだ)。
いったい私は作品の何を見ているのだろうか・・・
画商としてやってはいけないことは、贋物を売ることである。
贋物をそれと知っていて売ったら詐欺である。
問題は、それを(贋物と)知らずに売ってしまった場合である。
人様のことはあまりいえないが、2月23日のブログで書いたように、最近のオークション会社は乱立の影響か、出品作品の審査やチェックが甘くなっているらしい。先日はマン・レイということだったのだが(実は違う作家)、ほかにも私の経験した例でいえば、ベン・ニコルソンの白いレリーフが確か数十万円で出品されたことがある。興奮しましたね、本物がそんな値段で出るはずがない。私は贋物と確信しましたが、夫婦ともに大のニコルソンファンとしてはレプリカでも部屋に飾りたい。躊躇無く事前入札しました。途端にオークション会社から電話が入り「実はあれはいけないものでした」。私は「わかっています、『作者不詳』で結構ですから競ってください」とお願いした。私と同じように考えた人が少なからずいたらしい。私は出来のいいレプリカ代と考え、相当額まで入札したのだが、もっと上がいて落札できなかった(残念!)。
事前に贋物と判明したからいいようなものの、もしこれがン千万円で落札してしまったらどうなってたでしょうね。
若い頃、先輩画商に「素人におかしなものを売ってはいけないが、玄人(同業の画商)には売っても構わない。それはプロ同士の見識の争いなのだから。」と言われて驚いたことがある。私は素人だろうと玄人だろうと、怪しいものを売ったことはないが、その逆はいくつもある。
美術業界に入りたての頃、ハインツ・ベルグラン(ハインツ・ベルクグリューン 1914-2007年)の名は一種憧れと畏敬の念をもって語られていた。昨日からその著『最高の顧客は私自身』を探しているのだが、本棚から見つからない。記憶だけで正確な履歴を記すことはできないが、とにかく伝説の大画商である。
ユダヤ系ドイツ人としてベルリンに生まれ、ナチを逃れ渡米。戦後パリで画廊「ベルグラン Berggruen&Cie」を開いた。画商というより20世紀屈指の大コレクターといった方が正確である。なにせ第一級のコレクションは売らずに、クレー、ピカソなどの名作130点をベルリンに寄贈したくらいである。
そのベルグランが毎年顧客に送る細長い版画カタログは、世界の市場の動きを伝えるとともに、新米画商にとっては教科書みたいなものであった。
私が実際にパリのベルグランの店を訪ねたのはもう大昔だが、ベルグランは既にその画廊を他人に譲っていた。つまり居抜きで代替わりしていたのである。往年の輝きは失せていたが、まあしかし、名前は昔の通り「ベルグラン」だ。ある日、朝から仕事でパリを歩き回り、ようやく終えてホテルに戻ろうとしたとき、ふとそこがベルグランの近くだったことを思い出した。疲れてはいたのだが通訳のNさんと足をのばした。このときの勘というか、予感というか、私は悪運が強いのかも知れない。
画廊に入り、版画の入ったラックをめくっていたら、恐らく昨日かその日に入荷したに違いない銅版画が12点、紙マットにはさまれてあった。シールに「Aki KURODA」とある。当時パリで新進画家として売り出し中の黒田アキさんのことである。
価格は日本円に換算して各5万円、全部で60万円。まあ、黒田さんならそんなものでしょう。
実物は図版をご覧の通り、紛れも無い「聖なる手」はじめ「四つの手」「私の詩人・私の猫」など、日本人画商ならどんな新米にだってわかる池田満寿夫の1965年頃の傑作群であった。サインが読めなかったんでしょうね。
さすがに驚きました。だって「聖なる手」は当時の日本で数百万円はした。
親切な日本人として、「これは黒田ではない、池田満寿夫だ」と教えてやるべきか。
いや私は、先の先輩画商の格言を思い出し、Nさんに「あなた手持ちの現金いくらある?」と焦りつつ尋ねたのでした。ベルグランとも旧知のNさんはのんびりと「ここつけききますから伝票で大丈夫ですよ」とおっしゃる。そうじゃあないんだ、現金で買取り、いま直ぐに持って帰りたいの!
現金はなかったが、トラベラーズチェックで清算し、不思議そうな顔の店員をせかせて、全12点を丸めて筒に入れ、ホテルにもちかえったのでした。
ベルグラン(の店員)のミスは二つある。
一つは池田満寿夫のサインを黒田アキと見誤ったことである。これはまあ慣れていなければ難しい。
二つには、日本で数百万円もする版画をたった5万円の値しかつけなかったことである。これをミスというべきか、日仏の違いというべきか、難しい問題ですね。
代替わりしたとはいえ、あの天下のベルグランを出し抜いた、ちょっと興奮しましたね。
しかし、逆に私が「作者不詳」とした作品にもそういうのがあるかも知れない思うと、ぞっとします(事実、宮澤賢治でそれをやってしまったわけだ)。
いったい私は作品の何を見ているのだろうか・・・
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