オノサト・トシノブオノサト・トシノブ
「65-A」
  1965 lithograph
  Image Size 17.0×24.0cm
  Ed.120  Signed
  *レゾネ(アートスペース 1989年)No.15
  *上記レゾネにはEd.150と記載されているが誤記。

先日、全面改修のため休館していた群馬県立近代美術館のリニューアルオープン記念展に行き、久しぶりにオノサト・トシノブの50~60年代の作品をじっくり見てきました。もっとも展示の位置がとんでもなく高くて、遠くからしか見られませんでしたが(それはそれでなかなか見ごたえがありました)。
現在、ときの忘れものでは細江英公写真展を開催中ですが、細江先生が10代の頃に出入りし決定的な影響を受けたのが瑛九でした。その瑛九の盟友がオノサト・トシノブです(瑛九の亡くなったとき、久保貞次郎が葬儀委員長、副委員長はオノサト・トシノブでした)。
オノサト先生が版画制作に携わるきっかけは久保貞次郎先生や瑛九にあったことは間違いありません。
オノサト先生は1986年に亡くなるまで、つまり1958年のリトグラフ「58-A」から1986年のシルクスクリーン「A.S.-26」まで213点の版画を制作しました。
その中で初期リトグラフ(1958~1966)といわれるものは全部で18点に過ぎません。すべてオノサト先生が桐生の刷り師・荻野さんの協力を得てフリーハンドで制作したものです。
1966年からは岡部徳三さんの刷りによるシルクスクリーンの制作に入っていくわけですが、重要なのは制作の仕方が激変したことです。
初期リトグラフの時代はフリーハンドでした。しかし、シルクスクリーンの版画制作になると、そのカッティングによるフラットな表現方法は必然的に定規を使うことになります。
それらの版画はオノサト先生のファンを増やし、生活は安定します。
このシルクスクリーンの制作の経緯については昨年10月28日のブログに書きましたのでご参照いただきたいのですが、幸か不幸か、シルクスクリーンの版画制作はオノサト先生の油彩の制作方法をも転換させました。
フリーハンドから、コンパスと定規を使っての制作へ。
版画が油彩の制作に影響を与えた典型といっていいかも知れません。
歴史の(市場の)評価は今のところ、圧倒的にフリーハンド時代、1950~60年代の上にあります。

ご紹介したのは、初期リトグラフの中の一点です。
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◆ときの忘れものでは、5月9日~5月31日まで「細江英公写真展 ガウディへの讃歌」を開催中です。