先週始まった「細江英公写真展ーガウディへの讃歌」はおかげさまで好評です。
本日で、Part1の展示が終了し、来週20日からはPart2が始まります。
Part2では、1978年以降に撮影され、1984年と1986年に開催された展覧会のためにプリントされ保存されて来た貴重なヴィンテージ・プリント20点を展示いたします。サイン及び年記も当時のものです。
印画紙がなくなり、フィルムカメラも徐々にデジカメに代わられていく現在、ゼラチンシルバープリントの価値、さらにいえば写真のヴィンテージプリントの希少性、重要性がますます注目をあびています。
一昨日15日にロンドンで開催されたクリスティーズの写真のオークションでは、アンドレ・ケルテス「おどけた踊り子(1926年)」のヴィンテージプリントが228,500ポンド(約4,570万円)で落札されました。同じ作品のモダンプリントを私どもも所蔵しており、ときの忘れものの前回の「アンドレ・ケルテス展」に出品しましたが(945,000円)、私たちの力不足もあり、いまだ売れていません。(ご興味のある方、お問合せ下さい)
“Paris,Magda,The satiric dancer,1926”
おどけた踊り子、パリ、1926年
1926, Printed later Gelatin Silver Print 24.7×19.9cm
Signed on the back

現状では、海外より、むしろ日本の方が、名作を安く買えるチャンスがあるといえるでしょう。ぜひご来廊下さい。

さて、しばらく間があいてしまった「駒井哲郎を追いかけて」ですが、決してさぼっていたわけではありません。私の生涯で最大最高といってもいい大発見に遭遇し、心ふるえる毎日を送っていました。事情を知る友人の某には「そんなに嬉しいことならなぜ早く書かないの」といわれていたくらいです。
画商の本望は、誰も知らなかった(気づかなかった)作品を入手し、その美を共有して下さる共犯者(コレクター)にめぐり合うことである、と私は思います。
そういうチャンスが私にも巡ってくるのでしょうか。
駒井哲郎木版1
駒井哲郎 Tetsuro KOMAI
 木版+手彩色 
 28.0×20.2cm(紙:32.7×24.4cm)

駒井哲郎木版2
駒井哲郎 Tetsuro KOMAI
 木版
 28.0×20.2cm(紙:42.2×30.0cm) 
 版上サイン

ご紹介する2点の作品を見て、駒井哲郎の作品だと思う人はまずいないでしょう。
前回(第26回)、京橋の白銅鞮画廊(Gallery Hakudohtei)で今年1月10日~26日の会期で開催された「駒井哲郎展ー若き日の希少作品3点ー」に、新発掘の最初期の銅版画2点が出品公開されたことを2008年の大ニュースだと書きました。
同画廊さんに敬意を表するとともに、同じ画商として少し羨ましかったのも事実です。
あんな大発掘にめぐり会えるなんて、そうはありませんからね。
ところが、そんなめったにない幸運が、この私の上にも訪れたのです。
天は我を見放さなかった。

某月某日のお昼どき、友人の某画商さんから突然、写メールが送られてきた。次いでせっぱつまった携帯電話の声が「駒井さんの木版らしいのが出てきたのだけれど、俺にはよくわからん。直ぐに買うかどうか決めてくれ」、某交換会会場からの緊急秘密連絡でした。

私は、夢かと思いました。念じていればいつか作品の方からやってくる、そういうのは迷信だと思っていたのですが、真実だったのですね。
小さな写メールの画像を見た瞬間、それが一時私の手許にあった駒井作品であることを確信し、躊躇なく買い注文を出したのでした。もちろん上限ナシ、とにかく誰にも渡すわけにはいかない。
数時間後、友人が風呂敷に包んで木版画2点を持ってきたとき、私は金の算段とともに、17年前に撮影した2点のポジをスキャンして準備していました。間違いなく、1991年5月31日の夕刻、私が一度は手にした駒井哲郎先生の木版画でした。
どのような有為転変があったかわかりませんが、遂に私のところに戻って来た。

1991年5月31日の夕刻、銀座の資生堂ギャラリーで「没後15年 銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展」のオープニングが盛大に催されました。
私のその頃、『資生堂ギャラリー七十五年史』の調査・編集作業に没頭しており、画商としての活動はまったくしていませんでした。というより画商として復活することはあり得ない、これからの人生は編集者として、現代版画センターの倒産後の借金返済のみを目的に生きていこうと思い定めていました。
編集者として資生堂ギャラリーで70数年にわたり開催された膨大な展覧会の調査作業を進める傍ら、当時のギャラリー企画のお手伝いもしていました。
私が参加したのは<資生堂ギャラリーとそのアーティスト達>というシリーズ企画でしたが、その第一回展が上記の駒井哲郎先生の回顧展でした。
オープニングには、ご遺族や埴谷雄高先生、先日亡くなった松永伍一先生など各界の錚々たる人々が出席されましたが、町田市立国際版画美術館の初代館長だった久保貞次郎先生も出席されていました。
私たち夫婦にとっては実質的な仲人であり、恩師であり、現代版画センターの倒産により多大なご迷惑をおかけした債権者のお一人でもありました。
その日、レセプション会場は芋を洗うがごとき混雑ぶりでしたが、久保先生は「綿貫君が久し振りに駒井君の展覧会に関係するというので、今日は珍しいものを持ってきました」といって駒井先生の初期木版画2点を無造作に紙挟みに挟んで私に渡したのでした。
1980年に東京都美術館で開催された「駒井哲郎銅版画展」に数点の木版画が出品されていましたから、木版画を制作されていたことは知っていたのですが、久保先生が持参された2点を見てそれが駒井作品だということに驚き以外の感想を言えませんでした。
あまりにも、私たちに馴染んでいた駒井先生の銅版の作風と違うからです。
久保先生は「ある画商さんからの預かりものだが、キミに見せたくてもってきた」といわれましたが、私は一目でその強烈なイメージに圧倒されました。
私はその作品を欲しかったのですが、上述のような生活では、ましてご迷惑をおかけしている久保先生に強く譲渡をお願いできませんでした。
しばらく私の手許にあったのですが、結局はお返ししました。
その後、改めて交渉しようと思っていたのですが、久保先生は病に倒れ、再び先生の元気な声を聞くことはできませんでした。その後、この2点がどういう運命をたどったのか、謎です。
でも作品の状態からするとどなたかによって大切にされていたようです。
幻想的な雰囲気、力強い刻線、駒井先生の初期を解明するために、非常に重要な作品の発掘であると確信します。

さて、この2点の木版画は、いつ、どのような経緯で制作され、それは制作当時人びとの前に果たして発表されたのでしょうか。
大枚はたいて作品を入手するのに成功しましたが、その出自を解き明かし、駒井作品であることの確固とした証拠を見つけなければ駒井哲郎を看板にしている画商として面目が立たない。
私がこの作品を駒井哲郎の真作だと確信したのは、上述の久保貞次郎先生とのことからですが、しかしそれ以外には何の証明書もお墨付きもない、文献資料にもかけらも痕跡がない、買ったはいいけれど、もしこれが駒井作品でなかったらどうしよう・・・・・
不安が全くなかったかというと・・・・・
自分を納得させ、顧客にも納得していただけるだけの証拠書類一式を求めて、私の探索の旅が始まりました。
そのご報告は次回に。

◆ときの忘れものでは、5月9日~5月31日まで「細江英公写真展 ガウディへの讃歌」を開催中です。どうぞお出かけください。