5月9日から開催してきた「細江英公写真展 ガウディへの讃歌」も会期が残りすくなくなってきました。
1977年から数度にわたり撮影されたガウディの建築群、細江先生はそれを「建築写真ではなく、あたかも人体のように」撮ってきた、とおっしゃっていました。
生命ある有機体のように様々な表情を見せるガウディ。
撮影当時の最も良質なヴィンテージ・プリント、印刷物では再現できない、生の写真の美しさをぜひ堪能してください。
実際にご覧になった方たちの感想をウエブで読むと、こちらも勉強になります。

細江英公Parque Guell 13

細江英公
「Parque Guell 13」
  1978
  Vintage Gelatin Silver Print
  20.8x54.6cm signed


30年前のヴィンテージ・プリント(たった一枚しかない)をいくらで発表するか。細江英公先生と慎重かつ真剣に協議した結果、今回に限り、80万円~100万円の価格設定を行ないました。
ヴィンテージ・プリントの重要性は、先日のロンドンのクリスティーズでのアンドレ・ケルテスの「おどけた踊り子」の1926年のヴィンテージプリントが4,600万円で落札されたことをあげるだけで十分おわかりになると思います。
海外での細江作品の評価や、モダン・プリントの価格と比較すれば、今回の価格設定がいかに破格の安さであることか。
私たちの力量不足、日本の写真市場の未成熟、きっとそれらを勘案して細江先生は敢えて決断されたのだと思いますが、私たちの使命はとにかく、これを売ることであり、残り少ない会期ですが、コレクターの方のご来廊を心より期待しています。

それにしても世の中は(美術業界は)は若い世代の現代美術一辺倒のようです。
私はこのブログでも書いている通り、公開のオークションが種々の作品の流通の一端を担うことには肯定的ですが、シンワをはじめ各コンテンポラリーオークションで若手作家がとんでもない高額で落札されるのを見ると、「世の中、まちがっとる」と思わずにはいられません。
先日も、知り合いの画廊が取扱作家の評価を上げるために、若い(未だ20代の)作家の作品を出品したのですが、画廊での発表価格がせいぜい10万円なのに、いきなりオークションで60万円で落札された。まだ個展を開いたこともないような作家がいきなり60万円(大金でっせ)で評価(落札)される。青田買いもいいところですが、それってどういう基準なのか。
その価格にきっと作家も画廊も振り回されるに違いないし、あと十年たったらいったいどうなっていることやら・・・・
春の大学卒業制作展に画商さんたちが大挙して駆けつけ、これはと思う作家につばをつける。それ自体はいいことには違いないけれど、アジアの市場だか何だか知らんけれど儲けたい一心からでしょ。
若けりゃ何でもいいのか、世の中の流行の低年齢化と軌を一にしているような業界の風潮に苦々しい思いを抱いている人も少なくないとは思うのですが、いかんせん怒涛のような流れに抵抗もしようがない。
上記の細江先生の価格設定に身も細るほど悩んだ自分はいったいなんなんだ、と八つ当たりしたくなります。
画商の職業としての使命は、同時代の優れた美術品を自らの眼で選択し、それをコレクターに売ることによって次の時代に無事送り届けることだと、私は思います。歴史に残るような作家はそうはいません。20世紀の巨匠たちを10人挙げるのは誰でもできるでしょうが、では17世紀の巨匠を10人挙げるとなったら相当な画商さんでも無理でしょう。二十歳過ぎの若僧にそんな天才がごろごろいてたまるもんですか。
ときの忘れものはひねくれ者なので、今まで巡りあってきた素晴らしい作家たちの作品を淡々と、皆さんにご紹介して行きたい、そう思う日々であります。

◆ときの忘れものでは、5月31日まで「細江英公写真展 ガウディへの讃歌」を開催中です。

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