私どもの先週一週間は、史上最も忙しい毎日でした。
いつもは休む月曜23日は「北郷悟展ー空からー」のオープニング、翌24日は盛岡へ小野隆生作品の集荷、25日は伊東の池田20世紀美術館で小野隆生展の展示作業、26日は小野隆生展の初日、27日は世田谷美術館・石山修武展のオープニング、週末28日は池田20世紀美術館で小野隆生展のレセプションと、まったく息つく暇もなかった。
ところがそういうときに限って(?)、ネットの掲示板は私たちを置いてきぼりにして盛り上がっていたらしい。伊東から帰京し、掲示板を覗いて仰天しました。
そもそものは、先日もご紹介したとおり、写真のヴィンテージ・プリントの重要性から始まった話だったのですが、いろいろな方が参戦し、写真コレクションへの熱い議論となった次第。皆さん、コレクターならではの視点が明確で、ぜひ多くの人に読んでいただきたいので、転載させていただきます。
私は疲労困憊で議論に参戦する体力がありません、どうぞお許しを。
08/06/24(火)23:59:43 投稿者[通りすがり]
【No.1419】 タイトル[写真は‥]
写真は、版画と違って集めづらいように思えます。版画であれば、代表作と小品と30点ほどで一人の作家のコレクションが可能です。小品であれば数千円からありますから。写真は難しいようです。どうにかならないでしょうか。サイズを小さくしたり、エディションを多くしたり。そうしないとなかなか版画のように愛好者が増えないのでは。勝手に書かせていただきすみませんが、日頃から思い続けていることなのです。
08/06/25(水)23:52:05 投稿者[原茂]
【No.1421】 タイトル[RE:写真は‥(Res#1419)]
通りすがりさん、ご投稿ありがとうございます。私も常日頃思っていることなので、我が意を得たりです。
時間とエネルギーとをかけて版を作らなければならない版画とは異なり、写真の場合には、理論的には写真家がシャッターを切った数だけ作品があることになります。もっとも、実際にプリントされ、雑誌や写真集、展示等で公にされる作品には限りがあるわけですが、それにしても数百ページを超える写真集などいくらもあるわけですから、版画とは桁違いの作品があることになります。じっさい、版画になら当然あるはずの「カタログ・レゾネ」のある写真家というのは寡聞にして聞きません。森山大道さんには "Daido Moriyama The Complete Works" Vol. 1-4. (Daiwa Radiator Factory. 2004)がありますが、これは極めてまれな例外とすべきでしょう。版画であれば、一人の作家の全作品をフルコンプリートということも可能でしょうが、写真の場合にはちょっと考えることができません。もしそれをしてしまうと、「土門拳記念館」(7万点収蔵)や「植田正治写真美術館」(1万2千点収蔵)のような個人写真美術館になってしまうので、個人のレベルでは全く問題にならないでしょう。
その意味では、写真が集めづらいと言うのはその通りかも知れません。けれども、逆に言えば、それだけコレクターのポリシーやセンスが反映したコレクションが可能ということでもあるでしょう。写真家が世界を切り取って「写真」という作品を生み出し、美術館のキュレーターや編集者・デザイナーが「写真家」の世界を切り取って一つの展示空間や写真集という「作品」を生み出すように、コレクターもまた、写真を選ぶことによって、自分自身の「世界」としての、そしてあえて言うならば一つの「作品」としてのコレクションを生み出すことができるように思うのです。エルトン・ジョンのメイルヌードを中心とした写真コレクション(その一部は"Chorus of Light: Photographs from the Sir Elton John Collection" Ingrid Sischy. Rizzoli Publications 2001として出版されています)は、それ自体がすでに彼の一つの「表現」であり「作品」です。その意味で写真コレクションには、版画のコレクションとはまた別のおもしろさと価値があるように思うのです。
それだけに、写真がいたずらにサイズが大きくなったり、それに比例して高価になってしまうのは残念なことです。やはり写真はごく普通の給与生活者が手にとって愛でることができ、居間の壁に掛けて眺めることのできるものであってほしいと思うのです。写真は、その大衆性の中にこそ、その生命があるはずなのですから。
もちろん、ヴィンテージプリントはいくら高くなってもかまわないと思います。むしろ、ダイアン・アーバスやウィリアム・クラインのヴィンテージプリントが、まだマンションの一室程度の値段で買えてしまうということの方が問題です。人類の宝として考えるならマンション丸ごと一棟分の値段が付いても良いはずです。大切なのは、そのようなヴィンテージプリントも、最初は(少し無理をすれば)「誰でも」手に入れられるということだと思うのです。
そして、写真にはその「複製性」、また「サイズの可変性」という特徴があるのですから、それを最大限に生かして、モダンプリント、エステートプリント、そしてオープンエディションのスモールプリントなど、手に入れやすい価格のものが提供されるべきだと思うのです。それは価格破壊ではなく、むしろ、より多くの人が「本物」のプリント(モダンであれエステートであれオープンエディションであれ、そしてサイズがどうであれ、一枚一枚時間をかけ精魂を込めてプリントされた作品には、人を鷲掴みにする力があるはずです)に接する機会を増やすことであり、それはヴィンテージプリントの価値をむしろ高めるでしょう。すそ野が広ければ広いほど、峰は高くそびえることができるはずです。
じっさい、展示サイズだけではなく、販売用にいくつかのサイズを用意する作家さんも増えています。フランスの「ニエプス賞」(文学であればゴンクール賞、映画であればセザール賞、写真であればニエプス賞といわれる凄い賞)受賞作家にして木村伊兵衛賞作家のオノデラユキさんの「真珠の作り方・ZOO」展が2001年にツァイトで開かれた際には、天井から吊された大サイズの作品だけではなく、壁に飾れるサイズのものも用意されていたおかげで、こちらが勝手に「マリヤ」と名付けた作品をコレクションすることができました。
たとえば、(もちろんネガの状態などの問題もあるでしょうから実現は難しいかも知れませんが)、ウェストン・ファミリーの例もあることですから、細江先生の作品のモダンプリントを細江賢治先生にお願いするとか、スモールサイズのプリントをオープンエディションで提供するとか、ご亭主、いかがでしょうか。
08/06/26(木)00:44:09 投稿者[通りすがり]
【No.1422】 タイトル[「我が意を得たりです」]
そう言って頂ければ幸いです。ありがとうございました。なにか我儘すぎるように思えたのですが。版画家、例えば池田満寿夫さんは、新作できるだけ価格を抑えてコレクターに買いやすくしているように発言していたように思えます。
版画家は(写真家がそうではないといっているのではありませんが)、コレクターの立場を考えていただける方が多いようです。だからこそ
70年代の作家の作品の値段がさがっているにしろ、愛着があるため多量に叩き売られている状態にはなっていません。最後の提案は、大賛成ですね。また「版画芸術」以上にオリジナル入の「写真芸術」の発行も可能と思います。版画の黎明期にいろいろな企画がされたような状況になることを祈ります。
08/06/26(木)22:44:22 投稿者[塚本卓一]
【No.1423】 タイトル[「1枚の写真の本」]
数千円でオリジナルプリントは手に入れることができます。ミニミニコレクターとして注目しているのが、海外で出版されている「1枚の写真の本」シリーズです。(日本語訳ですが、原さんやこれだけでわかる方も多いと思います)私は器量が狭いので原さんのように全部公開できないのですが、この本には小さなオリジナルプリントが時にはサイン付で入っています。なぜ原題で公開できないかというとあっというまにsold outになってしまい、入手困難になってしまうからです。もちろん日本人の写真家の本もあります。sold outの中には1000ドルにまでなっているものもあります。10年もたてばクリスティーズなどのオークションにも出品されてくると思います。出し惜しみしてすみません。根気良くさがしてください。
08/06/27(金)20:33:34 投稿者[原茂]
【No.1424】 タイトル[RE:「1枚の写真の本」(Res#1423)]
塚本卓一さん、ご投稿ありがとうございます。貴重な情報感謝いたします。
「一枚の写真の本」のみならず、オリジナルプリント付きの写真集をよく目にするようになりました。特に、日本の場合にはこれまで写真家の「作品」としては「プリント」よりも「写真集」が重要視されてきたこともあって、出版社が「オリジナルプリント付き特装版」として「通常版」と共に出版したり、写真家がプリントを売る代わりに(売ろうと思ってもなかなかプリントが売れないので!)「写真集付きプリント」として自費出版(というよりは手作り)のような形で販売することが多いようです。
たとえば、ツァイトの石原さんが最初に日本で販売しようとした日本人写真家のお一人で、かなり早い時期から自覚的にプリントの販売を行ってこられた北井一夫さんは、写真集『1970年代NIPPON』や『北京』の出版に際して、「イル・テンポ」で開催された「1970年代NIPPON」展、また「北京」展の時に、オリジナルプリント付き(3つのイメージの中から1つを選ぶことができました)特装版『1970年代NIPPON』、『北京』を販売されていたはずです。
また、オノデラユキさんも、私家版で限定100部のオリジナルプリント付き写真集(表紙と裏表紙がオリジナルプリントで中がレーザープリント)”How to make a parl”(Yuki Onodera. 2000)〔Nazraeli Press版の限定500部の同名写真集とは別〕を出版しておられ、「イル・テンポ」での「ミツバチー鏡」展に際して購入させていただきました。当時はもう日本よりもフランスでの評価が高くなっていて、エディションがわずか3とか5とかしかなく、フランスでの販売価格がそのまま日本での販売価格というオノデラさんのプリントはすでに高嶺の花で、小サイズながら今となっては貴重なコレクションになりました。
荒木経惟『色情花』、森山大道『記録 No.6』、ホンマタカシ『トウキョー・アンド・マイ・ドーター』、畠山直哉 『ツェッシェ・ヴェストファーレン I/II アーレン』、鈴木理策『モン・サント・ヴィクトワール』 等、ちょっとネットで検索をしただけでもかなりの数がヒットするはずです。
写真集好きの写真ファンに、プリントには写真集とはまた異なった魅力があることを知ってもらうために、そしてプリントを買うということ自体考えたことのない写真ファンが最初の一枚を購入するきっかけとして、オリジナルプリント付き写真集、写真集付きオリジナルプリントはとてもいい入り口のように思います。
「ときの忘れもの」による「版画掌誌」に続く「写真掌誌」の発行を切に祈る次第です。第一号は「瑛九」のフォトデッサンのリプロダクション(プリントは今回は細江先生というわけにはいかないので名プリンター比田井一良さんもしくは金子典子さんを希望)と細江先生の「薔薇刑」と「鎌鼬」のモダンプリント(細江賢治先生にはこちらをお願いします)ではどうでしょうか。これなら10年も待たないでサザビーズのオークション・カタログに載るのでは? ご亭主様、留守の間に勝手に盛り上がってしまってスミマセン。
08/06/28(土)13:26:22 投稿者[広瀬]
【No.1425】 タイトル[No-Title]
原さんの写真についてのすばらしい見識と熱いコレクター魂を楽しみにさせていただいております。またミニミニコレクターの塚本さんの書き込みも貴重な情報とその収集方針に共感しております。
実は私も「1枚の写真の本」を持っております。数年前ほどから買っているのですが、最近では塚本さんが書き込まれているように手に入れることが困難になりつつあります。なんといってもスタートの価格6000円から8000円で、安価でオリジナルプリントが手に入ります。
最近の日本人の写真家の作品は一冊一冊すべて異なるプリントが入っています。今後もぼちぼちと継続して購入するつもりです。
原さんの提案の「写真掌誌」、すごい企画ですね。
木曜日にときの忘れものさまで細江「三島」拝見させていただきましたが写真家の代表作には圧倒する迫力があります。今の価格になる前に
一部の内金と分割で買おうかと決心しかけた時期もありました。
ただ版画も捨てがたい。北郷さんの作品も拝見しましたが、彫刻の思想による「空から」シリーズと版画そのものの持ち味による作品、共にとっても良い。写真も版画も好きです。ミニミニコレクターとしては悩みがどんどん増えそうです。
◆ときの忘れものでは、6月23日[月]―7月5日[土]まで「北郷悟展ー空からー」を開催しています。
いつもは休む月曜23日は「北郷悟展ー空からー」のオープニング、翌24日は盛岡へ小野隆生作品の集荷、25日は伊東の池田20世紀美術館で小野隆生展の展示作業、26日は小野隆生展の初日、27日は世田谷美術館・石山修武展のオープニング、週末28日は池田20世紀美術館で小野隆生展のレセプションと、まったく息つく暇もなかった。
ところがそういうときに限って(?)、ネットの掲示板は私たちを置いてきぼりにして盛り上がっていたらしい。伊東から帰京し、掲示板を覗いて仰天しました。
そもそものは、先日もご紹介したとおり、写真のヴィンテージ・プリントの重要性から始まった話だったのですが、いろいろな方が参戦し、写真コレクションへの熱い議論となった次第。皆さん、コレクターならではの視点が明確で、ぜひ多くの人に読んでいただきたいので、転載させていただきます。
私は疲労困憊で議論に参戦する体力がありません、どうぞお許しを。
08/06/24(火)23:59:43 投稿者[通りすがり]
【No.1419】 タイトル[写真は‥]
写真は、版画と違って集めづらいように思えます。版画であれば、代表作と小品と30点ほどで一人の作家のコレクションが可能です。小品であれば数千円からありますから。写真は難しいようです。どうにかならないでしょうか。サイズを小さくしたり、エディションを多くしたり。そうしないとなかなか版画のように愛好者が増えないのでは。勝手に書かせていただきすみませんが、日頃から思い続けていることなのです。
08/06/25(水)23:52:05 投稿者[原茂]
【No.1421】 タイトル[RE:写真は‥(Res#1419)]
通りすがりさん、ご投稿ありがとうございます。私も常日頃思っていることなので、我が意を得たりです。
時間とエネルギーとをかけて版を作らなければならない版画とは異なり、写真の場合には、理論的には写真家がシャッターを切った数だけ作品があることになります。もっとも、実際にプリントされ、雑誌や写真集、展示等で公にされる作品には限りがあるわけですが、それにしても数百ページを超える写真集などいくらもあるわけですから、版画とは桁違いの作品があることになります。じっさい、版画になら当然あるはずの「カタログ・レゾネ」のある写真家というのは寡聞にして聞きません。森山大道さんには "Daido Moriyama The Complete Works" Vol. 1-4. (Daiwa Radiator Factory. 2004)がありますが、これは極めてまれな例外とすべきでしょう。版画であれば、一人の作家の全作品をフルコンプリートということも可能でしょうが、写真の場合にはちょっと考えることができません。もしそれをしてしまうと、「土門拳記念館」(7万点収蔵)や「植田正治写真美術館」(1万2千点収蔵)のような個人写真美術館になってしまうので、個人のレベルでは全く問題にならないでしょう。
その意味では、写真が集めづらいと言うのはその通りかも知れません。けれども、逆に言えば、それだけコレクターのポリシーやセンスが反映したコレクションが可能ということでもあるでしょう。写真家が世界を切り取って「写真」という作品を生み出し、美術館のキュレーターや編集者・デザイナーが「写真家」の世界を切り取って一つの展示空間や写真集という「作品」を生み出すように、コレクターもまた、写真を選ぶことによって、自分自身の「世界」としての、そしてあえて言うならば一つの「作品」としてのコレクションを生み出すことができるように思うのです。エルトン・ジョンのメイルヌードを中心とした写真コレクション(その一部は"Chorus of Light: Photographs from the Sir Elton John Collection" Ingrid Sischy. Rizzoli Publications 2001として出版されています)は、それ自体がすでに彼の一つの「表現」であり「作品」です。その意味で写真コレクションには、版画のコレクションとはまた別のおもしろさと価値があるように思うのです。
それだけに、写真がいたずらにサイズが大きくなったり、それに比例して高価になってしまうのは残念なことです。やはり写真はごく普通の給与生活者が手にとって愛でることができ、居間の壁に掛けて眺めることのできるものであってほしいと思うのです。写真は、その大衆性の中にこそ、その生命があるはずなのですから。
もちろん、ヴィンテージプリントはいくら高くなってもかまわないと思います。むしろ、ダイアン・アーバスやウィリアム・クラインのヴィンテージプリントが、まだマンションの一室程度の値段で買えてしまうということの方が問題です。人類の宝として考えるならマンション丸ごと一棟分の値段が付いても良いはずです。大切なのは、そのようなヴィンテージプリントも、最初は(少し無理をすれば)「誰でも」手に入れられるということだと思うのです。
そして、写真にはその「複製性」、また「サイズの可変性」という特徴があるのですから、それを最大限に生かして、モダンプリント、エステートプリント、そしてオープンエディションのスモールプリントなど、手に入れやすい価格のものが提供されるべきだと思うのです。それは価格破壊ではなく、むしろ、より多くの人が「本物」のプリント(モダンであれエステートであれオープンエディションであれ、そしてサイズがどうであれ、一枚一枚時間をかけ精魂を込めてプリントされた作品には、人を鷲掴みにする力があるはずです)に接する機会を増やすことであり、それはヴィンテージプリントの価値をむしろ高めるでしょう。すそ野が広ければ広いほど、峰は高くそびえることができるはずです。
じっさい、展示サイズだけではなく、販売用にいくつかのサイズを用意する作家さんも増えています。フランスの「ニエプス賞」(文学であればゴンクール賞、映画であればセザール賞、写真であればニエプス賞といわれる凄い賞)受賞作家にして木村伊兵衛賞作家のオノデラユキさんの「真珠の作り方・ZOO」展が2001年にツァイトで開かれた際には、天井から吊された大サイズの作品だけではなく、壁に飾れるサイズのものも用意されていたおかげで、こちらが勝手に「マリヤ」と名付けた作品をコレクションすることができました。
たとえば、(もちろんネガの状態などの問題もあるでしょうから実現は難しいかも知れませんが)、ウェストン・ファミリーの例もあることですから、細江先生の作品のモダンプリントを細江賢治先生にお願いするとか、スモールサイズのプリントをオープンエディションで提供するとか、ご亭主、いかがでしょうか。
08/06/26(木)00:44:09 投稿者[通りすがり]
【No.1422】 タイトル[「我が意を得たりです」]
そう言って頂ければ幸いです。ありがとうございました。なにか我儘すぎるように思えたのですが。版画家、例えば池田満寿夫さんは、新作できるだけ価格を抑えてコレクターに買いやすくしているように発言していたように思えます。
版画家は(写真家がそうではないといっているのではありませんが)、コレクターの立場を考えていただける方が多いようです。だからこそ
70年代の作家の作品の値段がさがっているにしろ、愛着があるため多量に叩き売られている状態にはなっていません。最後の提案は、大賛成ですね。また「版画芸術」以上にオリジナル入の「写真芸術」の発行も可能と思います。版画の黎明期にいろいろな企画がされたような状況になることを祈ります。
08/06/26(木)22:44:22 投稿者[塚本卓一]
【No.1423】 タイトル[「1枚の写真の本」]
数千円でオリジナルプリントは手に入れることができます。ミニミニコレクターとして注目しているのが、海外で出版されている「1枚の写真の本」シリーズです。(日本語訳ですが、原さんやこれだけでわかる方も多いと思います)私は器量が狭いので原さんのように全部公開できないのですが、この本には小さなオリジナルプリントが時にはサイン付で入っています。なぜ原題で公開できないかというとあっというまにsold outになってしまい、入手困難になってしまうからです。もちろん日本人の写真家の本もあります。sold outの中には1000ドルにまでなっているものもあります。10年もたてばクリスティーズなどのオークションにも出品されてくると思います。出し惜しみしてすみません。根気良くさがしてください。
08/06/27(金)20:33:34 投稿者[原茂]
【No.1424】 タイトル[RE:「1枚の写真の本」(Res#1423)]
塚本卓一さん、ご投稿ありがとうございます。貴重な情報感謝いたします。
「一枚の写真の本」のみならず、オリジナルプリント付きの写真集をよく目にするようになりました。特に、日本の場合にはこれまで写真家の「作品」としては「プリント」よりも「写真集」が重要視されてきたこともあって、出版社が「オリジナルプリント付き特装版」として「通常版」と共に出版したり、写真家がプリントを売る代わりに(売ろうと思ってもなかなかプリントが売れないので!)「写真集付きプリント」として自費出版(というよりは手作り)のような形で販売することが多いようです。
たとえば、ツァイトの石原さんが最初に日本で販売しようとした日本人写真家のお一人で、かなり早い時期から自覚的にプリントの販売を行ってこられた北井一夫さんは、写真集『1970年代NIPPON』や『北京』の出版に際して、「イル・テンポ」で開催された「1970年代NIPPON」展、また「北京」展の時に、オリジナルプリント付き(3つのイメージの中から1つを選ぶことができました)特装版『1970年代NIPPON』、『北京』を販売されていたはずです。
また、オノデラユキさんも、私家版で限定100部のオリジナルプリント付き写真集(表紙と裏表紙がオリジナルプリントで中がレーザープリント)”How to make a parl”(Yuki Onodera. 2000)〔Nazraeli Press版の限定500部の同名写真集とは別〕を出版しておられ、「イル・テンポ」での「ミツバチー鏡」展に際して購入させていただきました。当時はもう日本よりもフランスでの評価が高くなっていて、エディションがわずか3とか5とかしかなく、フランスでの販売価格がそのまま日本での販売価格というオノデラさんのプリントはすでに高嶺の花で、小サイズながら今となっては貴重なコレクションになりました。
荒木経惟『色情花』、森山大道『記録 No.6』、ホンマタカシ『トウキョー・アンド・マイ・ドーター』、畠山直哉 『ツェッシェ・ヴェストファーレン I/II アーレン』、鈴木理策『モン・サント・ヴィクトワール』 等、ちょっとネットで検索をしただけでもかなりの数がヒットするはずです。
写真集好きの写真ファンに、プリントには写真集とはまた異なった魅力があることを知ってもらうために、そしてプリントを買うということ自体考えたことのない写真ファンが最初の一枚を購入するきっかけとして、オリジナルプリント付き写真集、写真集付きオリジナルプリントはとてもいい入り口のように思います。
「ときの忘れもの」による「版画掌誌」に続く「写真掌誌」の発行を切に祈る次第です。第一号は「瑛九」のフォトデッサンのリプロダクション(プリントは今回は細江先生というわけにはいかないので名プリンター比田井一良さんもしくは金子典子さんを希望)と細江先生の「薔薇刑」と「鎌鼬」のモダンプリント(細江賢治先生にはこちらをお願いします)ではどうでしょうか。これなら10年も待たないでサザビーズのオークション・カタログに載るのでは? ご亭主様、留守の間に勝手に盛り上がってしまってスミマセン。
08/06/28(土)13:26:22 投稿者[広瀬]
【No.1425】 タイトル[No-Title]
原さんの写真についてのすばらしい見識と熱いコレクター魂を楽しみにさせていただいております。またミニミニコレクターの塚本さんの書き込みも貴重な情報とその収集方針に共感しております。
実は私も「1枚の写真の本」を持っております。数年前ほどから買っているのですが、最近では塚本さんが書き込まれているように手に入れることが困難になりつつあります。なんといってもスタートの価格6000円から8000円で、安価でオリジナルプリントが手に入ります。
最近の日本人の写真家の作品は一冊一冊すべて異なるプリントが入っています。今後もぼちぼちと継続して購入するつもりです。
原さんの提案の「写真掌誌」、すごい企画ですね。
木曜日にときの忘れものさまで細江「三島」拝見させていただきましたが写真家の代表作には圧倒する迫力があります。今の価格になる前に
一部の内金と分割で買おうかと決心しかけた時期もありました。
ただ版画も捨てがたい。北郷さんの作品も拝見しましたが、彫刻の思想による「空から」シリーズと版画そのものの持ち味による作品、共にとっても良い。写真も版画も好きです。ミニミニコレクターとしては悩みがどんどん増えそうです。
◆ときの忘れものでは、6月23日[月]―7月5日[土]まで「北郷悟展ー空からー」を開催しています。
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