昨日、「小野隆生新作展2008」が終了しました。お運びいただいた皆さん、お買い上げいただいたお客さま、ほんとうにありがとうございました。
最終日には、遠路岩手の方が何人もいらっしゃりました。銅版画家の戸村茂樹ご夫妻も上京され久しぶりにゆっくりとお話することができました。皆さん、ここ数年の小野先生の作風がやわらかくなったことに強い印象をもったようです。女性の方からは「こわい」という感想をいつも聞くのですが、今回は「やっと私たちにも買える絵が・・・・」という言葉を聞くことができました。果たしてそれがいいことなのかどうか、画商としては少し不安ではあります。
池田20世紀美術館での回顧展も先月末、盛況のうちに終わり、この半年間の小野隆生狂想曲もようやく終章に入りました。大切な作品をお貸しいただいた皆さんには心より御礼を申し上げます。
さて、ある遠方の女性の方からの問い合わせで、昔私が手がけた風間完先生の銅版画集を、思いもかけず倉庫から引っ張り出す仕儀とあいなりました。銅版画集『パリ時代』全3巻をエディションしたことについては、いろいろ思い出すことも多く、いずれこのブログでご紹介もしたいのですが、特に印象に残っていることを一つ二つ・・・・
私は標高815mの高原に育った山猿ですが、風間先生はとびっきりの都会人、江戸っ子でした。私が出会った多くの作家の中で、風間先生ほどのスマートな人はいなかった。いや一人いました。アメリカ生まれの内間安王星先生もダンディでスマートでした。しかし何といっても風間先生の都会的センスにはどなたもかなわなかった。
近代日本の優れた画家たちは、皆さんご承知の通り鹿児島、和歌山はじめ東京以外の人が圧倒的です。私が敬愛する戸張孤雁や駒井哲郎は珍しく東京出身ですが、それがために没後の再評価が大幅に遅れている、と私は思っているくらいです。こんなことを書き出すときりがないのですが、風間先生の『パリ時代』が完成した折に、私どもの機関誌のために親しい野見山暁治先生と対談をしていただいた。ホスト役(司会)は私なのに、お店の手配から料理まで、すべて風間先生が手配して下さり、私はいい気分で酔っ払ってしまい、気がついたらお勘定から板さんや仲居さんへの心づけまでぜーんぶ風間先生が済ませてしまわれた。私もこの業界長いけれど、あそこまで完璧にやられてしまったのは最初で、最後です。
あれは、私の身勝手な想像ですが、フランス留学という遅い青春の大切な記念である錆ついた銅版を物置から引っ張り出させ、研磨し、見事なアルバム『パリ時代』として蘇らせた版元(30歳そこそこで生意気に気張っていた私)への労わりだったのではないか。
というのは、この『パリ時代』、とんでもなくお金がかかっている。身分不相応なほど当時の私としては超一流の材料と職人を使ってつくりました。三巻の布製の函の色、よく見てください(といっても粗末な映像ですいません)。品がいいでしょう、もの凄くこっています。たった75部のアルバムの印刷を担当したのは、かの精興社です。製本はほとんで職人さんの手作業でした。目の飛び出るような請求書が来たのを今でも覚えています。
それでは、最後の巻をご紹介をします。
風間完銅版画集『パリ時代』全3巻は、1957年58年のパリ留学時、及び1967年の再渡仏の折、パリのフリードランデル版画研究所にて制作されたエッチング作品を、本画集のために新たに手を加え、さらに1978年に制作された新作3点を加えて全33点を全3巻に編集し、各巻11点組のオリジナル銅版画集として、1978年~79年にかけて現代版画センターから限定75部刊行したものです。

風間完銅版画集『パリ時代 Ⅲ 河』
銅版11点組、限定75部、
画集サイズ:39×29cm 特製化粧函入り
*現代版画センターエディション

目次と奥付
作品に捺された風間完のネーム(エンボス)。奥付に作者自筆のサインを入れ、各作品にはサインにかえて作者デザインによるネーム・プレスが捺された。

「河岸」
「セーヌ河」

「パンテオン」
「八百屋で」

「シテ島への橋」
「14区」

「朝の広場」
「街角」

「運河」
「カフェ」
「工房にて」
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最終日には、遠路岩手の方が何人もいらっしゃりました。銅版画家の戸村茂樹ご夫妻も上京され久しぶりにゆっくりとお話することができました。皆さん、ここ数年の小野先生の作風がやわらかくなったことに強い印象をもったようです。女性の方からは「こわい」という感想をいつも聞くのですが、今回は「やっと私たちにも買える絵が・・・・」という言葉を聞くことができました。果たしてそれがいいことなのかどうか、画商としては少し不安ではあります。
池田20世紀美術館での回顧展も先月末、盛況のうちに終わり、この半年間の小野隆生狂想曲もようやく終章に入りました。大切な作品をお貸しいただいた皆さんには心より御礼を申し上げます。
さて、ある遠方の女性の方からの問い合わせで、昔私が手がけた風間完先生の銅版画集を、思いもかけず倉庫から引っ張り出す仕儀とあいなりました。銅版画集『パリ時代』全3巻をエディションしたことについては、いろいろ思い出すことも多く、いずれこのブログでご紹介もしたいのですが、特に印象に残っていることを一つ二つ・・・・
私は標高815mの高原に育った山猿ですが、風間先生はとびっきりの都会人、江戸っ子でした。私が出会った多くの作家の中で、風間先生ほどのスマートな人はいなかった。いや一人いました。アメリカ生まれの内間安王星先生もダンディでスマートでした。しかし何といっても風間先生の都会的センスにはどなたもかなわなかった。
近代日本の優れた画家たちは、皆さんご承知の通り鹿児島、和歌山はじめ東京以外の人が圧倒的です。私が敬愛する戸張孤雁や駒井哲郎は珍しく東京出身ですが、それがために没後の再評価が大幅に遅れている、と私は思っているくらいです。こんなことを書き出すときりがないのですが、風間先生の『パリ時代』が完成した折に、私どもの機関誌のために親しい野見山暁治先生と対談をしていただいた。ホスト役(司会)は私なのに、お店の手配から料理まで、すべて風間先生が手配して下さり、私はいい気分で酔っ払ってしまい、気がついたらお勘定から板さんや仲居さんへの心づけまでぜーんぶ風間先生が済ませてしまわれた。私もこの業界長いけれど、あそこまで完璧にやられてしまったのは最初で、最後です。
あれは、私の身勝手な想像ですが、フランス留学という遅い青春の大切な記念である錆ついた銅版を物置から引っ張り出させ、研磨し、見事なアルバム『パリ時代』として蘇らせた版元(30歳そこそこで生意気に気張っていた私)への労わりだったのではないか。
というのは、この『パリ時代』、とんでもなくお金がかかっている。身分不相応なほど当時の私としては超一流の材料と職人を使ってつくりました。三巻の布製の函の色、よく見てください(といっても粗末な映像ですいません)。品がいいでしょう、もの凄くこっています。たった75部のアルバムの印刷を担当したのは、かの精興社です。製本はほとんで職人さんの手作業でした。目の飛び出るような請求書が来たのを今でも覚えています。
それでは、最後の巻をご紹介をします。
風間完銅版画集『パリ時代』全3巻は、1957年58年のパリ留学時、及び1967年の再渡仏の折、パリのフリードランデル版画研究所にて制作されたエッチング作品を、本画集のために新たに手を加え、さらに1978年に制作された新作3点を加えて全33点を全3巻に編集し、各巻11点組のオリジナル銅版画集として、1978年~79年にかけて現代版画センターから限定75部刊行したものです。
風間完銅版画集『パリ時代 Ⅲ 河』
銅版11点組、限定75部、
画集サイズ:39×29cm 特製化粧函入り
*現代版画センターエディション
「セーヌ河」
「八百屋で」
「14区」
「街角」
「カフェ」
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