先月末まで開催されていた名古屋ボストン美術館「一俳人のコレクションによる 駒井哲郎銅版画展~イメージと言葉の共振~」についてのご報告の続報です。
名古屋B駒井哲郎展表駒井哲郎展_名古屋B裏


駒井哲郎名古屋B美展図録
 駒井哲郎先生と親交のあった馬場駿吉氏の個人コレクションの展示ですが、前々回に、<番号入りの作品について、2番が多いことは、ある物語を感じさせます。限定番号とはもちろんその作品の戸籍みたいなものですが、これがあるおかげで、たとえばその1番を誰が買ったかということを追跡調査することも可能です。これについては次回以降に詳しく論じましょう。>と書いたきり、時間がたってしまいました。申し訳ありません。
 会期中一部展示換えがあったので(私が行ったのは9月7日)、全部の確認はできませんでしたが、私が見た作品で、限定番号が2番だったのは以下の8点です。
出品番号、タイトル、制作年、限定番号の順に記載しました。
<美->とは、1979年刊行の美術出版社のレゾネ『駒井哲郎版画作品集』の記載番号。
<都->とは、1980年東京都美術館の『駒井哲郎銅版画展』図録の出品番号です。
リストだけでは何だかわからんという方もいらっしゃるでしょうが、どうぞお許しください。下記の8点の画像のストックはもちろんあるのですが、しかしそれは正確な意味での「馬場コレクションの画像」ではありません。本稿の趣旨から考えて、敢えて画像は掲載しません。予算の問題もあるでしょうが、やはりパブリックな美術館の展示には図録をぜひぜひつくっていただきたいと、切に願う次第です。

21.二つの球 1973年 2/20 美-302、都-310
  *レゾネ、及び都美図録には<Ed.75>としか記載されていません。
   季刊雑誌『版画芸術』特装版のために限定75部刷られたのですが、
   この馬場コレクションのおかげで、他に限定20部が存在したことが
   あきらかになりました。

27.一樹 1960年 2/12 美-144、都-145

33. 1961年 2/12 美-149、都-151

34.笑う人 1961年 2/15 美-150、都-153

35. 1961年 2/15 美-153、都-156

36.人のようなネコ 1961年 2/15 美-152、都-155

37.顔の軌跡 1961年 2/10 美-159、都-159

38.小さな人 1962年頃 2/15 美-161、都-176

 これだけ2番が多いと、とても偶然とは思えません。
この連載の第17回で、私は駒井哲郎先生生前の大パトロンともいうべきO氏のことに少し触れました。O氏の大コレクションのほとんどは東京都美術館(現在は東京都現代美術館に移管)が購入し、そのとき購入されなかったモノタイプなどは散逸してしまいました。このときの経緯はまさにドラマですが、ここでは触れません。旧O氏コレクションに限定番号1番が多いのは、研究者なら周知の事実。私は、名古屋の馬場コレクションの展示作品を一点一点克明にメモしながら、「Oさんの1番の後の2番は馬場さんだったのか」とピンときたわけです。帰京後ただちに『東京都美術館収蔵作品図録Ⅱ 版画 1985』(1986年刊)にあたりました。案の定、上記8点すべてが旧O氏コレクションにあり、それもそろって限定番号1番でした。
 つまり、ある時期、駒井哲郎先生を支えたコレクターは、一にO氏、二に馬場氏だったのですね。果たしてこれらの作品の購入には画商は介在したのでしょうか。それとも駒井先生が直にこのお二人に1番と2番をお渡しになったのでしょうか。私は最晩年の駒井先生の新作発表をお手伝いしただけですので、そのあたりの深い事情は知る由もありませんでした。
 カタログや二次的な資料だけ見ていると、こういう物語は感じることができません。
すべては実物に始まる。あの日、慌しく名古屋まで行っておいて良かった。泉下の駒井哲郎先生にも素晴らしいコレクションの展示でしたと、ご報告したいと思います。

*2010年8月20日追記
このブログ執筆当時に記載したコレクターの名前に間違いがありました。お詫びして訂正します。