「写真に恋する」5日目は、ウジェーヌ・アジェの「Bar de Cabaret」をご紹介します。
早朝に射し込む陽の光が、静まり返ったバーを優しく包む、とても静かな作品です。息を潜めて黙々とシャッターを切っているような、写真に対する丁寧な姿勢が伝わってくる一枚です。
アジェは劇団を解雇された後に、画家を目指しますが、生活のために写真を撮り始めます。晩年まで過ごしたモンパルナスには多くの芸術家が住んでおり、彼らは作品の資料となる写真を求めていたことを知ったため、アパートで写真を売って生計を立てました。気持ちのおもむくままに写真を撮ったのではなく、パリ市歴史図書館などの購入者がいたため、テーマを決めて計画的に撮影しました。1910年頃から、20世紀前後のパリの建築物や室内家具など、失われる古きパリのイメージを撮り始め、建物を正確に撮るために、人や馬車のいない朝に撮っていたそうです。(おだちれいこ)

アジェウジェーヌ・アジェ
「Bar de Cabaret」
1910-11(printed in 1956)
Gelatin Silver Print
23.2x17.2cm
stamp of Berenice Abbott on the back

◆ジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget, 1857―1927)
フランスの写真家。1857年フランス南西部のリブルヌに生まれる。両親を亡くし、5~6歳頃に叔父に引きとられる。1879年に音楽家や俳優を養成する学校のコンセルヴァトワールに通うが、兵役のために演劇学校を中退し、地方回りの役者になる。1886年、生涯の伴侶となる女優ヴァランティーヌ・ドラフォスに出会い、旅回りを続ける。1897~1902年の間にヴァランティーヌはラ・ロッシュで公演をするが、アジェは1898年に劇団を解雇される。一人パリに戻って、画家を目指すが、生活のために写真を撮り始める。初期の頃は、路上で物売りする人々の写真を撮っていたが、20世紀前後のパリの建築物や室内家具などを撮り始める。30年間に約8000枚の写真を残し、作品の多くは、死後発掘公表された。フランス第三共和政下のパリの様子をとどめた貴重な記録であり、都市風景を撮影する手本として評価された。アジェの残した写真は下記のようなものがある。
パリの生活と仕事 146枚 1898年 ~ 1900年
パリの乗り物 57枚 1910年
芸術的、絵画的そして中産階級のパリの屋内 54枚 1910年
パリの仕事、店、ショーウィンドウ 59枚 1912年
古きパリの看板、古い店 58枚 1913年
パリを囲む城壁跡 56枚 1913年
パリの旧軍用地帯の住人の様子とその典型 62枚 1913年~1914年

画廊亭主敬白(2008年11月8日追記)
上記の紹介文をお読みになったコレクターの原茂さんが、すばらしい感想を掲示板に寄せてくれましたので、以下勝手に引用させていただきます。
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 「写真に恋する」5日目のアジェ「Bar de Cabaret」に驚嘆。もちろんアジェの作品として素晴らしい一枚であることは言うまでもないが、驚いたのは「stamp of Berenice Abbott on the back」と「262.500 円(税込)」。
 「ときの忘れもの」が「現在世界で一番安く写真の名作が買える画廊」(たぶん)であるのは衆目の一致するところだから価格にはそれほど驚かないが(本当は驚かなければならないところだが)、問題はこのプリントが、かの「アボット・プリント」だとういうこと。
 自身がアメリカの高名な女性写真家であるだけではなく、マン・レイのアシスタント時代にアジェを(文字通り)発見し、彼の紹介者となったのがベレニス・アボット。
 コートをまとった有名なアジェのポートレイトも彼女の作品だし、フランス政府が約2.000点のアジェのガラス乾板を購入した後、残りの乾板とプリントを全て購入し、アジェを世界に紹介することをライフワークとした彼女の働きなしには、アジェの評価はもっと遅れただろうし、その作品は散逸を免れなかったに違いない。
 そして、彼女がアジェの乾板からプリントした「アボット・プリント」(世界最初のアジェの写真集はこのプリントによるもののはず。もちろん編集もアボット)はアジェ自身によるヴィンテージプリント、ピエール・ガスマンによるモダンプリントと並んで、写真家アボットの解釈によるアジェとして独自の価値あるものとして評価されている。(じっさい、東京都写真美術館でのアジェ展では、アボットによるプリントがアジェのヴィンテージとは別のセクションで紹介されていたし、2002年には"Berenice Abbott & Eugene Atget"(Arena Editions)とタイトルの付いた写真集さえ出ている)。
 というわけで、この「ウジェーヌ・アジェ 『Bar de Cabaret』に恋する」は、「ウジェーヌ・アジェ『Bar de Cabaret』(pr. Berenice Abbott )」とか、もっと過激な<プリンターをもっと大事にせよ>論者(私だ!)なら「ウジェーヌ・アジェ/ベレニス・アボット『Bar de Cabaret』に恋する」とか記載するであろう歴史的にも貴重な作品であり、「262.500 円(税込)」とはとんでもないバーゲンだということです。
 どうぞ、お見逃しなく。

◆ベレニス・アボット(Berenice Abbott. 1898-1991)
アメリカの女性写真家。アメリカ、オハイオ州スプリングフィールドに生まれる。コロンビア大学でジャーナリズムを学んだ後、ニューヨーク、パリ、ベルリン で絵画、彫刻、写真を学ぶ。1923年、パリでマン・レイのアシスタントになり、その後写真スタジオを開き、パリに集う前衛芸術家たちのポートレートを撮影。写真家としての地位を確立。1927年に晩年のアジェに会い、プリントと乾板を購入。後世界に紹介することに尽力。1929年に帰国、古い町並みが壊され、高層ビルが建設されるニューヨークを8×10(インチ)の大型ビューカメラで撮影した「変わりゆくニューヨーク」で高い評価を得る。作品としてはパリ時代の“ポートレート”、“ニューヨーク・シティー”の他に、アメリカの地方の撮影を行なった“アメリカン・シーン”、 自身で器材を改良し、微細な世界を撮影した“サイエンス”シリーズ など。フランス政府から芸術功労賞を受賞。アメリカ芸術院会員。1991年死去。

◆ときの忘れものでは、10月31日[金]―11月8日[土]まで「写真に恋する 写真コレクション展」を開催しています。