ただいま開催中の「第19回瑛九展~時を超えて」も今日が最終日となりました。今日は、三上誠の作品をご紹介いたします。
三上誠は、旧来の日本画の打破を標榜し、1948年にパンリアル美術協会を設立します。日本画と洋画、具象や抽象という境界をなくした広範な美術を目指しました。膠彩画と称する新しい日本画を制作するなど、様々な実験的作品に取り組みます。三上は、旺盛な制作のかたわらパンリアルの代表として多忙な日々を送ることになり、肺結核に罹ります。4度に亘る手術で、肋骨を11本切除され、3年間制作できない日々を過ごしました。1961年結婚しますが、それは幸せとは程遠いものとなります。その苦悩の中で制作されたのが出品作です。段ボールや輪切りの木を貼り付けた作品群は、この頃集中的に作られ、三上の代表的なシリーズのひとつとなっています。
「作品」
1963年
紙・ダンボール・顔料・木
68.5×40.5cm
作家シールあり
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◆三上誠(みかみ まこと)1919年大阪生まれ、福井で育つ。旧名・嶋田誠。44年京都市立絵画専門学校卒業。48年星野真吾、八木一夫、鈴木治らと[パンリアル]を結成。翌年、星野ら同志11名で既成の画壇と訣別し、日本画の前衛グループ[パンリアル美術協会]を結成。コラージュやフロッタージュの技法を日本画にとりこみ、段ボールや木、印刷物を使い幾何学的形態のなかに独自の宇宙論的な作品を制作するが、結核に冒され72年永逝(享年52)。
三上誠は、旧来の日本画の打破を標榜し、1948年にパンリアル美術協会を設立します。日本画と洋画、具象や抽象という境界をなくした広範な美術を目指しました。膠彩画と称する新しい日本画を制作するなど、様々な実験的作品に取り組みます。三上は、旺盛な制作のかたわらパンリアルの代表として多忙な日々を送ることになり、肺結核に罹ります。4度に亘る手術で、肋骨を11本切除され、3年間制作できない日々を過ごしました。1961年結婚しますが、それは幸せとは程遠いものとなります。その苦悩の中で制作されたのが出品作です。段ボールや輪切りの木を貼り付けた作品群は、この頃集中的に作られ、三上の代表的なシリーズのひとつとなっています。
「作品」1963年
紙・ダンボール・顔料・木
68.5×40.5cm
作家シールあり
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◆三上誠(みかみ まこと)1919年大阪生まれ、福井で育つ。旧名・嶋田誠。44年京都市立絵画専門学校卒業。48年星野真吾、八木一夫、鈴木治らと[パンリアル]を結成。翌年、星野ら同志11名で既成の画壇と訣別し、日本画の前衛グループ[パンリアル美術協会]を結成。コラージュやフロッタージュの技法を日本画にとりこみ、段ボールや木、印刷物を使い幾何学的形態のなかに独自の宇宙論的な作品を制作するが、結核に冒され72年永逝(享年52)。
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