現在個展を開催中の根岸文子さんにインタビューをお願いして、いろいろと伺いました。それを今日から何回かに分けてご紹介して参ります。
まず、子供の時のことから。
Q:幼少時代、絵に関心はありましたか?
根岸:ありました。祖父母が、歳を取ってから保育園で絵を教える仕事をしていたので、祖父母の家に預けられたときに一緒に保育園に行き、そこで絵を描くことが遊びでした。そういう環境にいたので、やりやすかったです。祖父母の家に色ペンが置いてあったので、それを分けてもらって、気に入って使っていました。普通にお姫様とかを描いていました。
Q:お祖父さんやお祖母さんから手ほどきを受けたのですか?
根岸:手ほどきを受けたというほどでもないのですが、高校受験のときに母にデッサンなどを教えてもらいました。高校からは美術の高校に行き、画塾にも一時期通っていましたが、そちらには行かなくなりました。
Q:女子美では、いかがでしたか?
根岸:楽しかったです!大学の版画教室だったので、朝8時頃から学校に行っていて、熱中してずっと銅版画を制作していました。でも、熱中していたわりに、コンテンポラリーの画廊などには行きませんでした。近代的なものの情報収集はしないタイプで、マイペースにしていたので、少し遅れていたと思います。傾向が、現代美術より近代美術が好きだったので、近代美術をもとにしていた気がします。(つづく)
学生時代は、銅版画に夢中で、油彩を描くことは考えていなかったそうです。油彩は、スペインに行ってからだそうで、その辺りはまたこの続きで。
今回ご紹介するのは、"pink no planta peligrosa A"です。"planta peligrosa"は、危険な植物という意味で、以前から続いているシリーズです。今回は、白地にピンクで描かれています。スケッチのように軽い感じにしたかったとのことですが、ちゃんと下絵から描いたそうです。作品の上方の緑色や左下の赤い丸は、色鉛筆で描かれたものです。
"pink no planta peligrosa A"
2008年 アクリル・板・色鉛筆
30.0×20.0cm サインあり
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まず、子供の時のことから。
Q:幼少時代、絵に関心はありましたか?
根岸:ありました。祖父母が、歳を取ってから保育園で絵を教える仕事をしていたので、祖父母の家に預けられたときに一緒に保育園に行き、そこで絵を描くことが遊びでした。そういう環境にいたので、やりやすかったです。祖父母の家に色ペンが置いてあったので、それを分けてもらって、気に入って使っていました。普通にお姫様とかを描いていました。
Q:お祖父さんやお祖母さんから手ほどきを受けたのですか?
根岸:手ほどきを受けたというほどでもないのですが、高校受験のときに母にデッサンなどを教えてもらいました。高校からは美術の高校に行き、画塾にも一時期通っていましたが、そちらには行かなくなりました。
Q:女子美では、いかがでしたか?
根岸:楽しかったです!大学の版画教室だったので、朝8時頃から学校に行っていて、熱中してずっと銅版画を制作していました。でも、熱中していたわりに、コンテンポラリーの画廊などには行きませんでした。近代的なものの情報収集はしないタイプで、マイペースにしていたので、少し遅れていたと思います。傾向が、現代美術より近代美術が好きだったので、近代美術をもとにしていた気がします。(つづく)
学生時代は、銅版画に夢中で、油彩を描くことは考えていなかったそうです。油彩は、スペインに行ってからだそうで、その辺りはまたこの続きで。
今回ご紹介するのは、"pink no planta peligrosa A"です。"planta peligrosa"は、危険な植物という意味で、以前から続いているシリーズです。今回は、白地にピンクで描かれています。スケッチのように軽い感じにしたかったとのことですが、ちゃんと下絵から描いたそうです。作品の上方の緑色や左下の赤い丸は、色鉛筆で描かれたものです。
"pink no planta peligrosa A"2008年 アクリル・板・色鉛筆
30.0×20.0cm サインあり
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