現在個展を開催中の根岸文子さんへのインタビューの第2回目です。
Q:画家を志した理由と時期を教えてください。
根岸:志したというか、画家になろうと決めた時期もないし、できることだけやってきたという感じです。卒業してから会社に就職しなかったことも理由のひとつだと思います。その意味では、画家を志した時期といえば、大学を卒業したときになるのでしょうね。画家になろうと思ったわけじゃないんですけど、スペインに行ってもうちょっと勉強しようと思いました。
Q:好きな画家は誰ですか?
根岸:大学時代はミロやタピエスが好きでした。ミロやタピエスのような抽象画が好きで、抽象画を描いていました。抽象画が身に合っていたのですが、描いているうちに自分は風景画を描いているという意識が沸いていました。抽象画なんだけど、実は頭のなかでは具象画になっている。なので、以前は具象画に興味はなかったのですが、だんだん興味が沸くようになってきました。
今は、三岸好太郎や岸田劉生が好きです。三岸好太郎は、シュールでミステリアスな雰囲気があり、岸田劉生はロマンチックでミステリアスな感じが好きです。
Q:卒業後、なぜスペインに渡ったのですか?
根岸:近代のスペイン画家のミロやタピエスが好きだったので、スペインに憧れたところがあります。
版画を続けようと思い、大学院に行く変わりにスペインに留学しました。
大学生の頃、留学したいという意思があってヨーロッパを旅行したときにスペインがいいなと思いました。もう一度ヨーロッパを旅行したときにスペインに行き、工房を訪ねました。そこで、ヘラルド・パリシオ先生に出会いました。先生においでと言われたので、留学するときに面接を受け、後任の先生となる三浦光雄先生の面接も受けました。留学してから、三浦先生の工房でアルバイトをしました。三浦先生は、版画工房を持っていて、仕事があると刷りを手伝いに行っていました。
Q:留学当初のご苦労など。
根岸:言葉だけです。最初は語学留学をしました。
住むところは、少しだけ下宿し、その後はスペイン人とシェアして暮らしました。
食事も自分で作ったので、特に困りませんでした。
以前に伺った話では、留学を勧めたのはお母様だとか。その目に狂いはなかったようで、日本で制作をしていたら、今の根岸さんの画風は生まれなかったかもしれません。
"NUMA GEMEROS"
2008年 アクリル・板
46.0×38.0cm
サインあり
Q:画家を志した理由と時期を教えてください。
根岸:志したというか、画家になろうと決めた時期もないし、できることだけやってきたという感じです。卒業してから会社に就職しなかったことも理由のひとつだと思います。その意味では、画家を志した時期といえば、大学を卒業したときになるのでしょうね。画家になろうと思ったわけじゃないんですけど、スペインに行ってもうちょっと勉強しようと思いました。
Q:好きな画家は誰ですか?
根岸:大学時代はミロやタピエスが好きでした。ミロやタピエスのような抽象画が好きで、抽象画を描いていました。抽象画が身に合っていたのですが、描いているうちに自分は風景画を描いているという意識が沸いていました。抽象画なんだけど、実は頭のなかでは具象画になっている。なので、以前は具象画に興味はなかったのですが、だんだん興味が沸くようになってきました。
今は、三岸好太郎や岸田劉生が好きです。三岸好太郎は、シュールでミステリアスな雰囲気があり、岸田劉生はロマンチックでミステリアスな感じが好きです。
Q:卒業後、なぜスペインに渡ったのですか?
根岸:近代のスペイン画家のミロやタピエスが好きだったので、スペインに憧れたところがあります。
版画を続けようと思い、大学院に行く変わりにスペインに留学しました。
大学生の頃、留学したいという意思があってヨーロッパを旅行したときにスペインがいいなと思いました。もう一度ヨーロッパを旅行したときにスペインに行き、工房を訪ねました。そこで、ヘラルド・パリシオ先生に出会いました。先生においでと言われたので、留学するときに面接を受け、後任の先生となる三浦光雄先生の面接も受けました。留学してから、三浦先生の工房でアルバイトをしました。三浦先生は、版画工房を持っていて、仕事があると刷りを手伝いに行っていました。
Q:留学当初のご苦労など。
根岸:言葉だけです。最初は語学留学をしました。
住むところは、少しだけ下宿し、その後はスペイン人とシェアして暮らしました。
食事も自分で作ったので、特に困りませんでした。
以前に伺った話では、留学を勧めたのはお母様だとか。その目に狂いはなかったようで、日本で制作をしていたら、今の根岸さんの画風は生まれなかったかもしれません。
"NUMA GEMEROS"2008年 アクリル・板
46.0×38.0cm
サインあり
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