いま香川県丸亀の中津万象園・丸亀美術館で開催されている「磯崎新版画展 宮脇愛子展」から、磯崎新連刊画文集『栖 十二』と磯崎新銅版画集『栖 十二』をご紹介します。
磯崎新_栖十二
 磯崎新は1998年夏から1年間にわたり、書簡形式の連刊画文集『栖 十二』を限定35部制作し、毎月35人の書簡受取人に郵送した。
このメールアートともいうべき画文集(「住まいの図書館出版局」と「ときの忘れもの」の共同企画)は、磯崎新が自身を含む古今の建築家12人が設計した「栖」について語る12章のエッセイと、12点の銅版画からなり、オフセット印刷による本文冊子と銅版画1点を、画帖風のパッケージに挟み、紐をかけた。

磯崎新「栖十二」パッケージ
 パッケージの中面には磯崎新設計による建築青焼図面を貼り、表紙は磯崎のスケッチと35人の受取人の住所氏名をシルクスクリーンで刷り、サインを入れている。こうして出来た剥き出しのままの「アート作品」は毎回、磯崎建築にゆかりの全国各地の郵便局に持ち込まれ、スタンプを押され、少々汚れてもいいじゃないかといったかたちで、受取人のもとに届けられた。


 第一信の《クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ]》から始まり、第二信《ル・コルビュジェ[母の小さい家]》、第三信《アドルフ・ロース[ミュラー邸]》、第四信《アンドレア・パッラディオ[ラ・マルコンテンタ(ヴィッラ・フォースカリ)]》、第五信《チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス]》、第六信《アイリーン・グレイ[ロクブリュヌ E1027]》、第七信《コンスタンティン・メルニコフ[メルニコフ自邸]》、第八信《ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン[ストンボロウ邸]》、第九信《フランク・ロイド・ライト[サミュエル・フリーマン邸]》、第十信《小堀遠州[弧篷庵 忘筌]》、第十一信《ミース・ファン・デル・ローエ[レイクショア・ドライヴ]》、第十二信の《磯崎新[ルイジ・ノーノの墓]》まで、全12通の書簡の郵送が完了した後に、あらためて住まいの図書館出版局から単行本『栖 十二』として刊行された。磯崎新の数ある著作の中で、唯一の書き下ろし作品である。

磯崎新「栖十二」手彩色 
 上のガラスケースに展示された書簡形式の連刊画文集『栖 十二』はが発信された後に、今度は、左のような銅版画集『栖 十二』があらためてときの忘れものからエディション(刊行)された。磯崎新が古今の建築家12人に捧げたオマージュで、12人が設計した「栖」を描いた銅版画全40点を収録している。
手彩色特装版は限定8部、セット価格:300万円(残1セットのみ)
単色版は限定27部、セット価格:100万円

磯崎新「栖十二」マラパルテ手彩色
磯崎新「栖 十二 挿画3
1998年 銅版・手彩色・アルシュ紙
イメージサイズ:10.0×15.0cm
シートサイズ:28.5×38.0cm
Ed.8(E.A.) サインあり
価格:126,000円(シート、税込)
*EA(1部)のみ、分売しています。
*単色刷りのB版の分売価格は、42,000円(シート、税込)です。
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本業(建築設計)の合間を縫って僅か1年間で40点もの銅版画を制作した磯崎新先生の集中力には私達も驚いたのですが、そのときのモチベーションの高さは下記の企画者植田実さん宛ての手紙を読めばよくおわかりになると思います。

磯崎新さんからの手紙
Uさん。
 あなたがすばらしい持続力で『住まい学大系』を編集しつづけ、それが百冊目の区切りを迎えるので、これを私にふりあてよう、と提案されたとき、そうなんだな、
 ”終(つい)の栖(すみか)”
を私も考える年齢になってしまったと思ったのです。なにしろ三十年あまり昔、建築雑誌で私の仕事の特集がはじめて組まれたときに、Uさん、あなたが担当の編集者だった。それ以来、私の若い時代の過激な言説は、すべてあなたの編集する雑誌に発表された。そのもとラディカルが、相変わらず地球を追っかけて廻りつづけているけど、そろそろ、どうだね、”終の栖”でも考えてみたら、と暗にいわれていると私は受けとったのです。
 ペン・ステーションの便所で倒れ、身元不明者としてモルグに収容されたルイス・カーン、地中海で遊泳中に溺死したル・コルビュジェ、市電にはねられて死亡したガウディ。これに恋人の家の玄関前階段で死んでいたジュゼッペ・テラーニ、さらにはヘルニアの軽い手術の術後処置ミスで没したジム・スターリングを加えてもいい。
 これら、私の尊敬する建築家たちは、俗にいう畳の上では死ねなかった。なにしろ、いずれも家庭がないか、家出中かでした。大往生するための”終の栖”なんかなくて、駆けめぐるだけの人生だったのです。
 ”終の栖”を建築家がみずから考えること、そしてこれを建築することは、いいかえると死場所を設計することでもあります。こんな芸当のできる建築家はめったにいません。フィリップ・ジョンソンぐらいですね。いまや彼はコネチカットの”ガラスの家”を死場所につくりあげようとしています。自邸を作品として設計し、半世紀間にこなしたスタイルの雛型をこのまわりに集めています。自己愛を貫徹している有様がよくわかるでしょう。トートロジィを生きています。徹頭徹尾、”終の栖”なのです。
 そこで、ついに”終の栖”を構築できなかった建築家たちが、それでも住宅と呼ばれるものを設計しているけど、作品としてまとめるなどと気負ったりせずにやったもののなかに、その人の裸の気分がふっとほころびてにじみでる、そんな住宅を十二えらんでみました。その建築家にとって、作品としてはマイナーなものばかりです。気負ってない。そこが私は気にいったのです。
 現地を訪れてみました。スケッチもやったりしました。そのときに気付いたことをお伝えしたいのですが、困ったことにこれらは”終の栖”ではなく、ただの”栖”なのです。みんな往生しきれないまんまに、誰か他人のために設計したのです。それでも、その建築家がふっともらすつぶやきのようなもの、がみえます。私はそのつぶやきに共感します。
 Uさん、
 絶え間ない漂泊にこの身を投じようと決心し、家出し、路上をさまよいはじめた、もとラディカルは、還暦をこえると、”終の栖”といかずとも、”栖”はほしい、と時に想うのです。そこで、Uさんの提案は、ただの”栖”でしかないもののなかに”終の栖”をさがす、という無理な仕事になりそうです。先まわりして言っておくと、そんな場所は、ノーホェアでしかない、という近代が組みたてたクリシェを反復することになるでしょう。こんな結論にみちびこうとするのも、やっぱり漂泊にひかれているのですね。帰還する場所の不在、それも語りつくされました。だから”栖”をさがして旅をするのです。旅にはスケッチと手紙が似つかわしい。それをフォーマットにしましょう。
                      磯崎 新
1998年『栖 十二』企画案内より

◆ときの忘れものでは、2009年2月から新たにWEB展覧会と題して毎月ネット上での展覧会を開催しています。5月16日~6月15日は「磯崎新展」を開催しています。

中津万象園 全景◆香川県丸亀に300年の歴史を誇る大名庭園「中津万象園」があります。15,000坪の庭園と付設する丸亀美術館で「磯崎新版画展 宮脇愛子展」が4月25日~6月21日まで開催されています(会期中無休)。会期中無休です。会場スナップはコチラをクリックしてご覧ください。

丸亀チラシ表丸亀チラシ裏