昨日のブログで「亭主夫妻は、我々スタッフを残して、夕方、映画を見に行ってしまいました」などと人聞きの悪いことを書かれてしまいましたが、仕事です!
まあ確かに半分は、日ごろ苦労をかけている社長への慰安ということもあったのですが・・・
夏時間の庭」という映画は遺産相続にまつわる家族の物語ですが、私たちの仕事にも大いに関係しているのです。
先日も、私達の恩人が亡くなられてそのご遺族からコレクションの整理を依頼されました。
コレクションは故人の大切な思い出でもありますが、一方それが個人的な好みから成り立つ物質の山である以上、残されたご家族にとって負担になることもあります。
美術作品(コレクション)は集めた人の個人的財産ですが、他方それは何人もの人から人へと伝わってきた人類共通の遺産ともいえます。
画商のつとめは、そのときの代替わりをうまく取り次ぐ(繋ぐ)ことなのです。

 本日ご紹介するのは、没後70年を経て益々評価の高まっている野田英夫の素描です。
ちょうど今、東京都美術館で開催されている「日本の美術館名品展」にも「牛乳ワゴン」(1936年 福島県立美術館所蔵)という作品が出品されており、先日私も行ってきたのですが、日本中の美術館100館から集めた名品尽くしということもあり、平日にもかかわらずたいへんな混み様でした。
それはともかく、この素描作品、私の記憶に間違いなければ、昔南天子画廊で開催された野田英夫展に出て、それがどなたかに買われ、1979年に開催された熊本県立美術館での回顧展(このときは私もコレクションを1点出品しています)にも出品された作品です。それが最近になってコレクターの事情で手放されたのか、またはお亡くなりになってご遺族が処分されたのか、私どもの手に入ったという次第です。
野田英夫「女の顔」額装野田英夫「女の顔」
素描 11.5×15.0cm
額装サイズ:34.0×37.0cm
1979年熊本県立美術館「野田英夫展」出品作品
(下の図録に掲載されています)
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野田英夫展図録表紙
野田英夫展図録1979年熊本県立美術館「野田英夫展」図録
(購入者にはおつけします)

 昔話で恐縮ですが、私が大学卒業後、竹橋の新聞社に入社したのは1969年の春でした。
ちょうど東京国立近代美術館が開館したばかりで、社の目の前にあった美術館へはお昼休みに良く通ったものでした。
それまで美術にはほとんど縁がなかったのですが、門前の小僧さながら、ゆっくりと館内の常設展示を見てまわるのが楽しみになりました。
階段を登るといつも正面に飾ってあったのが野田英夫の「帰路」、そして靉光の「眼のある風景」でした。
私にとっては、忘れがたい作品です。
 さて、今回の素描作品、小品ですが、野田英夫の力強く、気品ある画風を余すことなく伝えています。どなたがこの人類の遺産を守ってくださるのでしょうか。

◆野田英夫(のだ ひでお)1908年アメリカ・カリフォルニア州で、日系移民の家に生まれる。幼年時代を父の郷里熊本で過ごし、中学校卒業後、18歳で渡米、カリフォルニア・ファイン・アーツを中退。ニューヨークに出てウッドストック芸術村に住み、アート・ステューデンツ・リーグ教授アーノルド・ブランチの支援を受け、壁画・テンペラ画を研究した。ウッドストック賞、マリア・ストーン賞を受賞。1933年ニューヨークでディエゴ・リベラの壁画制作の助手となり、ロックフェラーセンターの壁画制作に参加、アメリカ美術界で注目された。翌年日本へ帰国、二科展に出品した。一時アメリカに戻った後は、新制作派協会会員として活動したが、1939年1月脳腫瘍のため死去。享年30。
版画家・野田哲也は甥である。