私のライフワークだなんて大法螺をふきながら「駒井哲郎を追いかけて」の書き込みが半年も空いてしまいました。お詫びします。
この間なにをしていたかというと、もちろん身過ぎ世過ぎで商売に明け暮れていたといいたいところですが、さにあらず、世の中が不景気の嵐だというのに、仕事はスタッフに丸投げしつつ、ひたすら駒井哲郎の影を追い続けていました(ホントです)。
駒井先生が亡くなられて昨年は33回忌でしたが、来年は生誕90年という記念すべき年となります。私たちも微力ながら、駒井作品の魅力を多くの人々に伝えたいと、いくつかの企画の準備を進めています。そうすると面白いもので、次から次へと珍しい作品が見つかり、私たちの情報カードはふくれあがる一方です。いずれそれら新発掘の作品はこのブログでも紹介して行きたいと思っていますが、本日は、ちょっと不思議な限定番号のお話です。
つい先日、業界きっての老舗S画廊の若旦那さんから、名作「笑う幼児」の画像とともに以下のようなメールをいただきました。
***********
ずいぶん前になりますが、お伺いした際に駒井作品のアーカイブ化の話がありましたが、(参考までに)画像をお送りいたします。
ご存知の通り1973年作「笑う幼児」ですが、EDが1/31とあります。
都美館図録にはED30とあり、当画廊でも30部の方は数点扱いました。
なぜED31なのか推測してみました。
A)本作品は人気が高く良く売れたのですが、何番まで売れたか分子ナンバーを控え忘れたため、絶対に間違いのないよう分母ナンバーを変更した。
B)本作品は人気が高く良く売れたので、絶版(ED30まで売り切った)となり、新たにED31から起こした作品を制作した(当画廊では26/30は扱った事があります)
如何でしょうか?
************
驚きました。ほんとに不思議な番号があるものですね。
駒井先生は中林忠良先生などのお弟子さん達には「限定番号はきちんとノートに控えておくんだよ」と言いながら、肝心のご自分はそういう几帳面なことは全く不得手で、限定番号が途中で途切れてしまったことが少なくないことは、周知のことでした。
駒井作品に同じ作品でありながら、分母が異なるエディションがいくつもあることは、我々画商にとって悩みの種ですが、今回のようなケースは珍しいですね。

駒井哲郎「笑う幼児」
1973年 アクァチント(亜鉛版)
19.8×20.1cm Ed.30
以上のデータは1980年の東京都美術館回顧展図録によりますが、S画廊さんから送られてきた実物の画像を拡大すると、・・・
あらら、限定番号は確かに 1/31 と記入されています。
S画廊の若旦那があげた名推理、A)B)いずれも可能性としては「あり」ですが・・・
私見を述べさせてもらえば、
推理(A)は「何番まで売れたか分子ナンバーを控え忘れたため」という推理ですが、こういうことはしょっちゅうあったみたいですから(笑)、そのたびに/31などという不思議な限定番号をつけたとは考えにくい。必要に迫られてのことだとすると<EA>とした方が無難です。
推理(B)ですが、同じように可能性としてはあったかも知れませんが、それならば2/31とか3/31とかが続々出てきてもいいように思いますが、そんな例は今のところないですよね(少なくとも私は聞いたことはない)・・・
むしろ、この作品(駒井先生の他の作品に比してもかなり特異な絵柄です)に特有の隠された物語があったと考えた方が、ロマンチックですね。
またまた解明すべき謎が増えてしまいました。
こういうキリが悪いというか、中途半端というか、普通には先ずあり得ない分母については、以前この連載の第20回と第21回でも紹介したことがあります。あのときは/152という、これも不思議な限定部数でした。
果たして皆さんはいかがお考えでしょうか。
この間なにをしていたかというと、もちろん身過ぎ世過ぎで商売に明け暮れていたといいたいところですが、さにあらず、世の中が不景気の嵐だというのに、仕事はスタッフに丸投げしつつ、ひたすら駒井哲郎の影を追い続けていました(ホントです)。
駒井先生が亡くなられて昨年は33回忌でしたが、来年は生誕90年という記念すべき年となります。私たちも微力ながら、駒井作品の魅力を多くの人々に伝えたいと、いくつかの企画の準備を進めています。そうすると面白いもので、次から次へと珍しい作品が見つかり、私たちの情報カードはふくれあがる一方です。いずれそれら新発掘の作品はこのブログでも紹介して行きたいと思っていますが、本日は、ちょっと不思議な限定番号のお話です。
つい先日、業界きっての老舗S画廊の若旦那さんから、名作「笑う幼児」の画像とともに以下のようなメールをいただきました。
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ずいぶん前になりますが、お伺いした際に駒井作品のアーカイブ化の話がありましたが、(参考までに)画像をお送りいたします。
ご存知の通り1973年作「笑う幼児」ですが、EDが1/31とあります。
都美館図録にはED30とあり、当画廊でも30部の方は数点扱いました。
なぜED31なのか推測してみました。
A)本作品は人気が高く良く売れたのですが、何番まで売れたか分子ナンバーを控え忘れたため、絶対に間違いのないよう分母ナンバーを変更した。
B)本作品は人気が高く良く売れたので、絶版(ED30まで売り切った)となり、新たにED31から起こした作品を制作した(当画廊では26/30は扱った事があります)
如何でしょうか?
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驚きました。ほんとに不思議な番号があるものですね。
駒井先生は中林忠良先生などのお弟子さん達には「限定番号はきちんとノートに控えておくんだよ」と言いながら、肝心のご自分はそういう几帳面なことは全く不得手で、限定番号が途中で途切れてしまったことが少なくないことは、周知のことでした。
駒井作品に同じ作品でありながら、分母が異なるエディションがいくつもあることは、我々画商にとって悩みの種ですが、今回のようなケースは珍しいですね。

駒井哲郎「笑う幼児」
1973年 アクァチント(亜鉛版)
19.8×20.1cm Ed.30
以上のデータは1980年の東京都美術館回顧展図録によりますが、S画廊さんから送られてきた実物の画像を拡大すると、・・・
あらら、限定番号は確かに 1/31 と記入されています。S画廊の若旦那があげた名推理、A)B)いずれも可能性としては「あり」ですが・・・
私見を述べさせてもらえば、
推理(A)は「何番まで売れたか分子ナンバーを控え忘れたため」という推理ですが、こういうことはしょっちゅうあったみたいですから(笑)、そのたびに/31などという不思議な限定番号をつけたとは考えにくい。必要に迫られてのことだとすると<EA>とした方が無難です。
推理(B)ですが、同じように可能性としてはあったかも知れませんが、それならば2/31とか3/31とかが続々出てきてもいいように思いますが、そんな例は今のところないですよね(少なくとも私は聞いたことはない)・・・
むしろ、この作品(駒井先生の他の作品に比してもかなり特異な絵柄です)に特有の隠された物語があったと考えた方が、ロマンチックですね。
またまた解明すべき謎が増えてしまいました。
こういうキリが悪いというか、中途半端というか、普通には先ずあり得ない分母については、以前この連載の第20回と第21回でも紹介したことがあります。あのときは/152という、これも不思議な限定部数でした。
果たして皆さんはいかがお考えでしょうか。
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