駒井哲郎は生涯にわたり「樹」あるいは「木」を繰り返し描きました。
「束の間の幻影」に代表される1950年代の<夢>シリーズから、試行錯誤を経て「からんどりえ」や「人それを呼んで反歌という」の硬質な秀作を生み出したことは良く知られていますが、そのきっかけとなったのがルドンの木でした。
駒井哲郎と親しかった大岡信さんはご自身のコレクションによる『詩人の眼・大岡信コレクション』展図録の中で次のように言っています(2006年 三鷹市美術ギャラリー他)。
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南画廊が最初に開いたのが1956年の駒井さんの展覧会でした。その頃まだ僕は南画廊を知りませんでした。駒井さんとは58年から親しくなりましたが、そのころの彼はフランスから帰国した後で、創作に悩んで試行錯誤を繰り返していました。僕にとっては人ごととは思えない切実さがありました。
フランスに行くまでの作品は幻想的なものが多かったのですが、フランスで幻想的作品の弱さ、つまらなさを痛感して、自然界をちゃんと見つめようとした。その苦しみの中、抽象の世界を出てリアルさを見直す試みが一連の「樹木」シリーズにつながったのでしょう。(同図録34ページ)
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ご紹介するのは、1970年の作品です。

駒井哲郎「二樹」
1970年 銅版
24.3×16.9cm Ed.200
サイン有り
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「束の間の幻影」に代表される1950年代の<夢>シリーズから、試行錯誤を経て「からんどりえ」や「人それを呼んで反歌という」の硬質な秀作を生み出したことは良く知られていますが、そのきっかけとなったのがルドンの木でした。
駒井哲郎と親しかった大岡信さんはご自身のコレクションによる『詩人の眼・大岡信コレクション』展図録の中で次のように言っています(2006年 三鷹市美術ギャラリー他)。
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南画廊が最初に開いたのが1956年の駒井さんの展覧会でした。その頃まだ僕は南画廊を知りませんでした。駒井さんとは58年から親しくなりましたが、そのころの彼はフランスから帰国した後で、創作に悩んで試行錯誤を繰り返していました。僕にとっては人ごととは思えない切実さがありました。
フランスに行くまでの作品は幻想的なものが多かったのですが、フランスで幻想的作品の弱さ、つまらなさを痛感して、自然界をちゃんと見つめようとした。その苦しみの中、抽象の世界を出てリアルさを見直す試みが一連の「樹木」シリーズにつながったのでしょう。(同図録34ページ)
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ご紹介するのは、1970年の作品です。
駒井哲郎「二樹」
1970年 銅版
24.3×16.9cm Ed.200
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