優れた建築家は、イコール優れた画家であるというのが、私たちの考えですが、ル・コルビュジエはその典型でしょう。
「自分の建築は絵画という運河を通って来た」と、コルビュジエ自身述べています。
1887年スイスのジュラ地方ラ・ショー・ド・ファンに生まれた彼の本名は、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。1906年初めての住宅[ファレ邸]を設計し、 1917年パリに出ますが、翌年左目を失明します。右目一つであれだけの建築、絵画を遺したエネルギーというか天才には驚きます。
『エスプリ・ヌーボー』の創刊に関わり、美術運動にも積極的に参加します。つまり画家として出発したわけです。1922年に建築事務所を設立し、以後1965年に水泳中にカプ・マルタンで死去するまで(このとき78歳)、建築設計活動と絵画制作をともに精力的に展開しました。
建築での代表作には、[サヴォア邸][ロンシャン礼拝堂][ラ・トゥーレット修道院]などがあり、日本にも上野の[国立西洋美術館]があります。
多くの油彩、彫刻の他にも版画にも取り組み、代表作には連作「ユニテ」(銅版)、「直角の詩」(リトグラフ)があります。
1920年代、ピュリズムの画家としてパリの画壇にデビューしたル・コルビュジエは当初は、物体の幾何学的な美しさと調和のとれた構図の中で描いていましたが、やがてうねるような曲線を用い、豊満で重量感溢れる力強い女性を描くようになります。さらに第2次世界大戦後には、象徴的なモチーフを彫刻やタペストリーなどで表現することも始めました。
晩年にはよりグラフィカルで大胆、色面と描線が自由に踊るような作品を制作するようになり、最後の連作「ユニテ」でその表現が頂点に達しました。
その「ユニテ」から2点をご紹介します。

ル・コルビュジエ「ユニテ#11」
1965 カラー銅版画
57.5×45.0cm Ed.130
自筆サインあり

ル・コルビュジエ「ユニテ#11」
1965 銅版画
57.5×45.0cm Ed.130
版上サイン
コンディションも完璧です。コルビュジエ・ファンには是非お薦めです。
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「自分の建築は絵画という運河を通って来た」と、コルビュジエ自身述べています。
1887年スイスのジュラ地方ラ・ショー・ド・ファンに生まれた彼の本名は、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。1906年初めての住宅[ファレ邸]を設計し、 1917年パリに出ますが、翌年左目を失明します。右目一つであれだけの建築、絵画を遺したエネルギーというか天才には驚きます。
『エスプリ・ヌーボー』の創刊に関わり、美術運動にも積極的に参加します。つまり画家として出発したわけです。1922年に建築事務所を設立し、以後1965年に水泳中にカプ・マルタンで死去するまで(このとき78歳)、建築設計活動と絵画制作をともに精力的に展開しました。
建築での代表作には、[サヴォア邸][ロンシャン礼拝堂][ラ・トゥーレット修道院]などがあり、日本にも上野の[国立西洋美術館]があります。
多くの油彩、彫刻の他にも版画にも取り組み、代表作には連作「ユニテ」(銅版)、「直角の詩」(リトグラフ)があります。
1920年代、ピュリズムの画家としてパリの画壇にデビューしたル・コルビュジエは当初は、物体の幾何学的な美しさと調和のとれた構図の中で描いていましたが、やがてうねるような曲線を用い、豊満で重量感溢れる力強い女性を描くようになります。さらに第2次世界大戦後には、象徴的なモチーフを彫刻やタペストリーなどで表現することも始めました。
晩年にはよりグラフィカルで大胆、色面と描線が自由に踊るような作品を制作するようになり、最後の連作「ユニテ」でその表現が頂点に達しました。
その「ユニテ」から2点をご紹介します。

ル・コルビュジエ「ユニテ#11」
1965 カラー銅版画
57.5×45.0cm Ed.130
自筆サインあり
ル・コルビュジエ「ユニテ#11」
1965 銅版画
57.5×45.0cm Ed.130
版上サイン
コンディションも完璧です。コルビュジエ・ファンには是非お薦めです。
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