掲示板に原茂さんが書き込まれたように、いつの間にか(話が出たらしい二次会では私は酔っぱらっていたのか、記憶にない!)展示換えの話が進行しており、昨日夕方、ファックスで植田さんから送られてきた指示書に従い、一部展示作品が変更になりました。
ということは、昨日までどういう風に展示されていたのか記録しておかねばなりません。

ときの忘れものには四つの壁がありますが、当初、一番横幅の短い壁面に植田さんはご覧のように二段掛けで8点の写真を展示しました。
おわかりと思いますが、二点づつ組になっています。
ちょうど写真集をめくっていくように見開き2点づつの構成になっています。
いつものときの忘れものの展覧会の展示方法は、割といい加減で、順序や間隔はスタッフが勘と経験で決めていくのですが、今回はさすが名編集者の植田さん、きっちり全50点の展示プランをまるで本の台割りのように作成し、私たちに指示したのでした。
それが昨日の変更指示書では、この壁が総とっかえになりました。その結果は実際にご覧いただくとして、昨日までの展示の様子は以下の通りです。
上段左側は、左から49番「バルセロナ郊外」と50番「ロンドン」
上段右側は、左から43番「パリ」と44番「ドレスデン」
下段左側は、左から66番「エルサレム」と65番「エヴリ、パリ郊外」
下段右側は、左から67番「パリ郊外」と68番「ミラノ」、です。


左)植田実「パリ郊外 Paris, France」
1990年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 24.4×15.9cm
Ed.7 サインあり
右)植田実「ミラノ Milano, Italy」
1990年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 24.4×15.9cm
Ed.7 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
昨日は、エッフェル塔の展覧会のためにパリに植田さんと行ったことを書きましたが、そのときの植田さん、吉川盛一さん、そして私のトリオでは、もう一度展覧会とカタログ編集の機会がありました。
私が関与したカタログでは最も評判のいいものでした(もちろん植田さんと吉川さんのおかげです)。

「銀座モダンと都市意匠」展カタログ
主催:資生堂
会期:1993年3月16日~4月3日
監修:藤森照信、植田実
デザイン:吉川盛一
テキスト:
藤森照信「銀座の都市意匠と建築家たち」
苫名直子「三岸好太郎のアトリエをめぐって」
山脇道子「わたくしのものさし バウハウスー茶の湯」
谷川正己「短命で果てたF.L.ライトの別荘」
藤谷陽悦「夢と消えた大船田園都市構想」
五十殿利治「モダニズムの批評家 仲田定之助」
高村美佐「装飾美術家協会の人びと」
綿貫不二夫「資生堂ギャラリ-と建築家たち」 他、
発行:資生堂企業文化部
159頁、図版392点
ウォートルス、辰野金吾、F.L.ライト、川島理一郎、山田馨、前田健二郎、谷口吉郎、芦原義信、マイケル・グレイブス、谷口吉生、高宮真介、安藤忠雄・・・、この錚々たる建築家たちは(川島理一郎は画家ですが)、すべて資生堂の歴代の建物の設計に携わった人々です。
歴代の経営陣がリッチで豊かな空間を目指していたことが一目瞭然です。
1872年(明治5年)創業の化粧品メーカー資生堂はメセナ活動でも先駆的な実績を残していますが、それが付け焼き刃でなく、筋金入りの美意識に支えられていたことが、このラインナップを見てもおわかりになるでしょう。
展覧会は、資生堂ギャラリーとザ・ギンザアートスペースの二会場を使い、「資生堂ギャラリーとそのアーティスト達」シリーズの第3回展として開催されました。
大正末~昭和初期にかけての関東大震災後の復興建築の時代に焦点をあてた企画で、建築探偵の藤森照信先生と植田実さんに監修していただきました。メイン論文は藤森先生の「銀座の都市意匠と建築家たち」100枚を超す力作です(単行本未収録)。
バラック装飾や考現学の今和次郎、資生堂の店鋪設計を担当した前田健二郎、バウハウスに学んだ山脇巖・道子、分離派建築会の山口文象など、資生堂及び銀座に関わった建築家たちを紹介しています。資生堂宣伝部による「CGで見る夢ー銀座ウォークスルー」は当時としては画期的な試みでした。
日大の藤谷陽悦先生らによる「銀座建築年表(1869-1991)」や、索引も付いており、資料性の非常に高いカタログになっています(自画自賛)。
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◆ときの忘れものは、1月26日[火]―2月6日[土]「植田実写真展ー影の空地」を開催しています(※会期中無休)。
会期は今日を入れて残り3日間ですが、植田さんは毎日午後4時過ぎから画廊に出てくる予定です。
ということは、昨日までどういう風に展示されていたのか記録しておかねばなりません。
ときの忘れものには四つの壁がありますが、当初、一番横幅の短い壁面に植田さんはご覧のように二段掛けで8点の写真を展示しました。
おわかりと思いますが、二点づつ組になっています。
ちょうど写真集をめくっていくように見開き2点づつの構成になっています。
いつものときの忘れものの展覧会の展示方法は、割といい加減で、順序や間隔はスタッフが勘と経験で決めていくのですが、今回はさすが名編集者の植田さん、きっちり全50点の展示プランをまるで本の台割りのように作成し、私たちに指示したのでした。
それが昨日の変更指示書では、この壁が総とっかえになりました。その結果は実際にご覧いただくとして、昨日までの展示の様子は以下の通りです。
上段左側は、左から49番「バルセロナ郊外」と50番「ロンドン」
上段右側は、左から43番「パリ」と44番「ドレスデン」
下段左側は、左から66番「エルサレム」と65番「エヴリ、パリ郊外」
下段右側は、左から67番「パリ郊外」と68番「ミラノ」、です。


左)植田実「パリ郊外 Paris, France」
1990年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 24.4×15.9cm
Ed.7 サインあり
右)植田実「ミラノ Milano, Italy」
1990年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント 24.4×15.9cm
Ed.7 サインあり
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昨日は、エッフェル塔の展覧会のためにパリに植田さんと行ったことを書きましたが、そのときの植田さん、吉川盛一さん、そして私のトリオでは、もう一度展覧会とカタログ編集の機会がありました。
私が関与したカタログでは最も評判のいいものでした(もちろん植田さんと吉川さんのおかげです)。

「銀座モダンと都市意匠」展カタログ
主催:資生堂
会期:1993年3月16日~4月3日
監修:藤森照信、植田実
デザイン:吉川盛一
テキスト:
藤森照信「銀座の都市意匠と建築家たち」
苫名直子「三岸好太郎のアトリエをめぐって」
山脇道子「わたくしのものさし バウハウスー茶の湯」
谷川正己「短命で果てたF.L.ライトの別荘」
藤谷陽悦「夢と消えた大船田園都市構想」
五十殿利治「モダニズムの批評家 仲田定之助」
高村美佐「装飾美術家協会の人びと」
綿貫不二夫「資生堂ギャラリ-と建築家たち」 他、
発行:資生堂企業文化部
159頁、図版392点
ウォートルス、辰野金吾、F.L.ライト、川島理一郎、山田馨、前田健二郎、谷口吉郎、芦原義信、マイケル・グレイブス、谷口吉生、高宮真介、安藤忠雄・・・、この錚々たる建築家たちは(川島理一郎は画家ですが)、すべて資生堂の歴代の建物の設計に携わった人々です。
歴代の経営陣がリッチで豊かな空間を目指していたことが一目瞭然です。
1872年(明治5年)創業の化粧品メーカー資生堂はメセナ活動でも先駆的な実績を残していますが、それが付け焼き刃でなく、筋金入りの美意識に支えられていたことが、このラインナップを見てもおわかりになるでしょう。
展覧会は、資生堂ギャラリーとザ・ギンザアートスペースの二会場を使い、「資生堂ギャラリーとそのアーティスト達」シリーズの第3回展として開催されました。
大正末~昭和初期にかけての関東大震災後の復興建築の時代に焦点をあてた企画で、建築探偵の藤森照信先生と植田実さんに監修していただきました。メイン論文は藤森先生の「銀座の都市意匠と建築家たち」100枚を超す力作です(単行本未収録)。
バラック装飾や考現学の今和次郎、資生堂の店鋪設計を担当した前田健二郎、バウハウスに学んだ山脇巖・道子、分離派建築会の山口文象など、資生堂及び銀座に関わった建築家たちを紹介しています。資生堂宣伝部による「CGで見る夢ー銀座ウォークスルー」は当時としては画期的な試みでした。
日大の藤谷陽悦先生らによる「銀座建築年表(1869-1991)」や、索引も付いており、資料性の非常に高いカタログになっています(自画自賛)。
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◆ときの忘れものは、1月26日[火]―2月6日[土]「植田実写真展ー影の空地」を開催しています(※会期中無休)。会期は今日を入れて残り3日間ですが、植田さんは毎日午後4時過ぎから画廊に出てくる予定です。
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