春のぽかぽか陽気に誘われて、広尾にできた小美術館「1223現代絵画」と、知人の紹介で目黒駅近くの上大崎の住宅を改造した画廊を訪ねた。
広尾の美術館についてはいずれ詳しくご紹介したいのだが、上大崎2丁目の町については忘れないうちにメモしておきたい。
ここは昔、長者丸という地名だった。今はJR山手線と首都高速の間に挟まれた狭い一角だが、戦前から戦後にかけては名前の通り、億万長者たちのお屋敷町だった。それが東京オリンピックのときの東京大改造の折、首都高速工事のために、多くが立ち退きさせられ、あんな無粋なものがなければ田園調布や成城のような静かな住宅街になったものをと惜しまれる。
当初の目的の住宅を改造した画廊は素晴らしいロケーションだったのだが、展示作品があまりにお粗末なのでここで紹介するのはパス。
それでも近くを歩き回ると、よき時代の面影を残した住宅や、びっくりするような和風の堂々たる門があったりで、なかなか楽しめた。


と、突如線路脇の狭い土地に鋭くとんがった三角形のへんてこな建物を発見。
断りもなく撮影してしまいました。いったいこの建物は何なのでしょう。
*追記
掲示板に原茂さんからさっそくご教示がありました。
以下、原さんの投稿です。
3月12日付けブログ「春の散歩」に登場する「線路脇の狭い土地に鋭くとんがった三角形のへんてこな建物」は、建築家中込清さんの「自邸」(1977)です。植田実さんも『都市住宅クロニクルI』所載の「建築家案内」(1981)の中で、原広司、毛綱毅曠、室伏次郎、山本理顕、富永譲、渡辺豊和、海老原鋭二、象設計集団、吉田保夫とならんで取り上げています。「そのかたちと建っている場所の特異さに強く印象づけられた。それは国電目黒駅近くの、線路を見下ろす崖の縁に一軒だけぽつんと離れて建っている。……都市の中に割り込もうとしてしているのか、それとも一種の退避地なのか判然としない場所である。形態にも同じような曖昧さがある。……何気なく、そして異質である。住宅らしくなく、しかし住宅らしさを隠そうともしていない。……中込邸の場所と形体は、見慣れぬものでありながら、存在感をもつものに思えた」(159-160頁)とありました。「GA HOUSES 14」(1983)にも紹介があるようです。取り急ぎご参考まで。
**************
いつもながらの原さんのご親切に感謝するとともに不勉強を恥じた次第です。
亭主も早速ネットで調べたのですが、この近隣、のんきにぽかぽか散歩してる場所ではなかったようです。
上大崎というのは、目黒区と品川区の境でややこしいのですが、1932年に海軍大学校が移転して来て、敗戦後同校は廃止され、建物は国立予防衛生研究所が使用した。建物は研究所の移転後も残っていたが、1999年(平成11年)取り壊された。
その国立予防衛生研究所(予研)が、平成4年に「国立健康・栄養研究所」「国立病院管理研究所」と合同の「厚生省戸山研究庁舎」を新宿区戸山(旧陸軍軍医学校跡地)に建設・移転した。平成9年に現在の名称「国立感染症研究所」に改名し、現在に至っているということなのだが、その移転に際して裁判となり、その経緯が芝田進午(1930年 - 2001年)さんの「予研(感染研)裁判とは」に詳しく書かれています。
上大崎に長く放置されていた建物を調べた建築家の中込清さんの名前も登場します。
広尾の美術館についてはいずれ詳しくご紹介したいのだが、上大崎2丁目の町については忘れないうちにメモしておきたい。
ここは昔、長者丸という地名だった。今はJR山手線と首都高速の間に挟まれた狭い一角だが、戦前から戦後にかけては名前の通り、億万長者たちのお屋敷町だった。それが東京オリンピックのときの東京大改造の折、首都高速工事のために、多くが立ち退きさせられ、あんな無粋なものがなければ田園調布や成城のような静かな住宅街になったものをと惜しまれる。
当初の目的の住宅を改造した画廊は素晴らしいロケーションだったのだが、展示作品があまりにお粗末なのでここで紹介するのはパス。
それでも近くを歩き回ると、よき時代の面影を残した住宅や、びっくりするような和風の堂々たる門があったりで、なかなか楽しめた。
と、突如線路脇の狭い土地に鋭くとんがった三角形のへんてこな建物を発見。
断りもなく撮影してしまいました。いったいこの建物は何なのでしょう。
*追記
掲示板に原茂さんからさっそくご教示がありました。
以下、原さんの投稿です。
3月12日付けブログ「春の散歩」に登場する「線路脇の狭い土地に鋭くとんがった三角形のへんてこな建物」は、建築家中込清さんの「自邸」(1977)です。植田実さんも『都市住宅クロニクルI』所載の「建築家案内」(1981)の中で、原広司、毛綱毅曠、室伏次郎、山本理顕、富永譲、渡辺豊和、海老原鋭二、象設計集団、吉田保夫とならんで取り上げています。「そのかたちと建っている場所の特異さに強く印象づけられた。それは国電目黒駅近くの、線路を見下ろす崖の縁に一軒だけぽつんと離れて建っている。……都市の中に割り込もうとしてしているのか、それとも一種の退避地なのか判然としない場所である。形態にも同じような曖昧さがある。……何気なく、そして異質である。住宅らしくなく、しかし住宅らしさを隠そうともしていない。……中込邸の場所と形体は、見慣れぬものでありながら、存在感をもつものに思えた」(159-160頁)とありました。「GA HOUSES 14」(1983)にも紹介があるようです。取り急ぎご参考まで。
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いつもながらの原さんのご親切に感謝するとともに不勉強を恥じた次第です。
亭主も早速ネットで調べたのですが、この近隣、のんきにぽかぽか散歩してる場所ではなかったようです。
上大崎というのは、目黒区と品川区の境でややこしいのですが、1932年に海軍大学校が移転して来て、敗戦後同校は廃止され、建物は国立予防衛生研究所が使用した。建物は研究所の移転後も残っていたが、1999年(平成11年)取り壊された。
その国立予防衛生研究所(予研)が、平成4年に「国立健康・栄養研究所」「国立病院管理研究所」と合同の「厚生省戸山研究庁舎」を新宿区戸山(旧陸軍軍医学校跡地)に建設・移転した。平成9年に現在の名称「国立感染症研究所」に改名し、現在に至っているということなのだが、その移転に際して裁判となり、その経緯が芝田進午(1930年 - 2001年)さんの「予研(感染研)裁判とは」に詳しく書かれています。
上大崎に長く放置されていた建物を調べた建築家の中込清さんの名前も登場します。
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