昨日は社長と二人で再び倉庫で行方不明の作品探索。悔しいのですがやはり見つからない、いったいどこへ紛れてしまったのか。ご注文いただいた方にはお詫びのしようもありません。
先日ご案内した弘前への建築ツアーですが、ときの忘れもののイベントと会期が重なり準備が難しいため開催を延期します。お問合せいただいた皆さんにはお詫びいたします。弘前での亭主の講演会(漫談)は予定通りですので、お近くの方はぜひご参加ください。
サラリーマンコレクターで有名なKKさん(ramgallery)がTwitterで「企画画廊と貸し画廊で、企画画廊の方がレベルが高い様な事が言われているが、コレクターの目から見るとそんな事はない。貸し画廊でもしっかり作家を探して来てやっている所も有るし、企画画廊でも昔からの付き合いでやっているだけと言った何ら新しい物が発見できない所も有る」とつぶやいていました。
「昔からの」作家がメインのときの忘れものとしてはかなり頭の痛いつぶやきですね。
去る1月15日、京橋のギャラリー山口の山口侊子さんが急死された。
貸し画廊だが、野見山暁治、篠原有司男、堀浩哉、百瀬寿などを扱い現代美術の老舗ともいえる画廊でした。
私自身はあまり付き合いはありませんでした。現代版画センター時代に篠原有司男さんのエディションをつくったときに助けていただいたのと、その後、私の主催したある展覧会の打ち上げに堀浩哉さんだったか、百瀬寿さんだったか(お二人とも私のエディション作家です)と一緒に来られて飲んだことがあるくらいで、大昔の話。たまに銀座や京橋に出たときに画廊の展示をのぞくくらいでした。
訃報を聞いて驚いたのですが、そればかりではなく友人の画商Tと先日飲んだときの話が妙に印象深くて少し書き留めておきたい。
Tは山口さんと面識はあったが、深い付き合いはなかったという。
しかしTは、山口さんの死を知るや、直ちに画廊(のスタッフ)に電話をかけ、「お悔やみ申しあげます。現代美術をともに擁護する身として残念です。何かお手伝いすることがあれば留守番でも何でもしますので、遠慮なく言ってください。」と申し出たというのである。
私はTの情の深さに感動しました。
Tには同じ現代美術の業界で苦闘する者としての共感があったのでしょう。
貸し画廊の存在意義が薄れ、片や私たちのような企画画廊も、存亡の危機にさらされている。そういう時代を象徴するような死でした。
ネット、アートフェア、オークション・・・・
美術市場の構造そのものがこの10年ほどで激変を遂げてしまった。
画商はお客様と向き合ってこその商売で、私たちのように他の業者との取引もあまりなく、デパートのような所とも縁のない身としてはなおさらのこと、お客を待つか、それともお客に会いに行くか、ラブレターを書くのが営業の基本でした。
いまやラブレターもメールの時代です。
ホームページは画廊にとってもうなくてはならない必須のアイテムになりました。
世界中にいま400ものアートフェアがあるそうですが、その多くの申し込み方法はペーパーレスで、ネットでしか受け付けません。
審査も書類審査などではなく、ホームページを見て事務局が判断する。
そういう時代なのですね。
ホームページを見てのお客様からの問合せで多いのは「価格」です。
私たちはできるだけ迅速に在庫の有無と価格をお知らせしますが、それに対してのお返事はほとんどありません。
他との比較なのか、理由はわかりませんが、価格を聞いて来るだけの方が圧倒的なのです。
ときに空しさを感じますが、これもネット時代の商売の宿命なのでしょう。
それにしても、以前はネットで情報を集めたり、モノを買うのは40代以下の人たちが大多数だったように思います。ところがいまやパソコンは一家に一台の時代になり、定年後の人や、主婦の人たちも楽しむようになったことの反映か、年配の人たちからの問合せが増えてきました。
ご承知の通り、ときの忘れもののホームページの構築は理系の息子二人がしてくれて、その後は「ブログの毎日更新」などで発信した種々の情報や商品(作品)内容をどんどんとホームページの中に蓄積しています。
いったいどのくらいのページ数か、もう誰もわからない。うっかりリンクをはることを失念したために「行方不明」になったページもある(らしい)。
先日も、ネット検索で亭主の書いた文章に興味をもってくださった遠方の方から竹田鎮三郎先生の作品について問合せがありました。
いつものように在庫の有無と価格をお知らせしたのですが、珍しいことに直ぐにお礼のメールと、嬉しいことに注文までいただきました。めったにないことで感激の余り、ついまた余計なことをお返事に書いてしまいました。
竹田先生には私の画商人生の出発点でとても印象深い思い出があります。
遠方の方に出したお返事の一節を再録しましょう。
・・・・・1973年の秋だったか、翌年春だったかでしょうか。久保貞次郎先生のご教示で、ちょうど帰国展を名古屋の画廊ニシキだったかと思いますが、開催中のタケチンに会いに行きました。会うなり、いきなり握手をさせられ、じっとこちらを見つめながら、
「綿貫さん、絵描きというのはね・・・・
広場をトラックが鈴なりの人を載せて狂ったように走り回っている。その後ろを何とかそのトラックに乗ろうと大勢の人々が必死の形相で追いかけている。そのありさまを広場の端っこでじっと見つめている人がいる。なぜ、みんなそんなにあせっているのだい? そんなトラックに乗らなくてもいいじゃあないか。そういっているのが絵描きなんだよ。」
私が美術(アート)というものの本質を教えられた一言でした。
竹田先生のその一言が今でも私たちを支えてくれています。・・・・・・・
さらに驚いたのは上掲の私のメールが届いたその日のうちに、その方が上京され来廊されたことです。聞けば、メキシコ旅行中に偶然竹田先生に出会い、以来ファンとなり作品を集めているとのことでした。ネットでの思わぬ出会いに感謝した次第です。
不景気で売れない、従来の商売の仕方が変わったからといって悲観ばかりするのではなく、ネットの時代に適応した発信力を高めていきたい、そう思う日々です。
ご紹介するのは昔、亭主が山口さんの助力を得てエディションした篠原有司男の作品です。

篠原有司男「Spider Woman」
1976年 シルクスクリーン
39×49cm Ed.30
サインあり
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先日ご案内した弘前への建築ツアーですが、ときの忘れもののイベントと会期が重なり準備が難しいため開催を延期します。お問合せいただいた皆さんにはお詫びいたします。弘前での亭主の講演会(漫談)は予定通りですので、お近くの方はぜひご参加ください。
サラリーマンコレクターで有名なKKさん(ramgallery)がTwitterで「企画画廊と貸し画廊で、企画画廊の方がレベルが高い様な事が言われているが、コレクターの目から見るとそんな事はない。貸し画廊でもしっかり作家を探して来てやっている所も有るし、企画画廊でも昔からの付き合いでやっているだけと言った何ら新しい物が発見できない所も有る」とつぶやいていました。
「昔からの」作家がメインのときの忘れものとしてはかなり頭の痛いつぶやきですね。
去る1月15日、京橋のギャラリー山口の山口侊子さんが急死された。
貸し画廊だが、野見山暁治、篠原有司男、堀浩哉、百瀬寿などを扱い現代美術の老舗ともいえる画廊でした。
私自身はあまり付き合いはありませんでした。現代版画センター時代に篠原有司男さんのエディションをつくったときに助けていただいたのと、その後、私の主催したある展覧会の打ち上げに堀浩哉さんだったか、百瀬寿さんだったか(お二人とも私のエディション作家です)と一緒に来られて飲んだことがあるくらいで、大昔の話。たまに銀座や京橋に出たときに画廊の展示をのぞくくらいでした。
訃報を聞いて驚いたのですが、そればかりではなく友人の画商Tと先日飲んだときの話が妙に印象深くて少し書き留めておきたい。
Tは山口さんと面識はあったが、深い付き合いはなかったという。
しかしTは、山口さんの死を知るや、直ちに画廊(のスタッフ)に電話をかけ、「お悔やみ申しあげます。現代美術をともに擁護する身として残念です。何かお手伝いすることがあれば留守番でも何でもしますので、遠慮なく言ってください。」と申し出たというのである。
私はTの情の深さに感動しました。
Tには同じ現代美術の業界で苦闘する者としての共感があったのでしょう。
貸し画廊の存在意義が薄れ、片や私たちのような企画画廊も、存亡の危機にさらされている。そういう時代を象徴するような死でした。
ネット、アートフェア、オークション・・・・
美術市場の構造そのものがこの10年ほどで激変を遂げてしまった。
画商はお客様と向き合ってこその商売で、私たちのように他の業者との取引もあまりなく、デパートのような所とも縁のない身としてはなおさらのこと、お客を待つか、それともお客に会いに行くか、ラブレターを書くのが営業の基本でした。
いまやラブレターもメールの時代です。
ホームページは画廊にとってもうなくてはならない必須のアイテムになりました。
世界中にいま400ものアートフェアがあるそうですが、その多くの申し込み方法はペーパーレスで、ネットでしか受け付けません。
審査も書類審査などではなく、ホームページを見て事務局が判断する。
そういう時代なのですね。
ホームページを見てのお客様からの問合せで多いのは「価格」です。
私たちはできるだけ迅速に在庫の有無と価格をお知らせしますが、それに対してのお返事はほとんどありません。
他との比較なのか、理由はわかりませんが、価格を聞いて来るだけの方が圧倒的なのです。
ときに空しさを感じますが、これもネット時代の商売の宿命なのでしょう。
それにしても、以前はネットで情報を集めたり、モノを買うのは40代以下の人たちが大多数だったように思います。ところがいまやパソコンは一家に一台の時代になり、定年後の人や、主婦の人たちも楽しむようになったことの反映か、年配の人たちからの問合せが増えてきました。
ご承知の通り、ときの忘れもののホームページの構築は理系の息子二人がしてくれて、その後は「ブログの毎日更新」などで発信した種々の情報や商品(作品)内容をどんどんとホームページの中に蓄積しています。
いったいどのくらいのページ数か、もう誰もわからない。うっかりリンクをはることを失念したために「行方不明」になったページもある(らしい)。
先日も、ネット検索で亭主の書いた文章に興味をもってくださった遠方の方から竹田鎮三郎先生の作品について問合せがありました。
いつものように在庫の有無と価格をお知らせしたのですが、珍しいことに直ぐにお礼のメールと、嬉しいことに注文までいただきました。めったにないことで感激の余り、ついまた余計なことをお返事に書いてしまいました。
竹田先生には私の画商人生の出発点でとても印象深い思い出があります。
遠方の方に出したお返事の一節を再録しましょう。
・・・・・1973年の秋だったか、翌年春だったかでしょうか。久保貞次郎先生のご教示で、ちょうど帰国展を名古屋の画廊ニシキだったかと思いますが、開催中のタケチンに会いに行きました。会うなり、いきなり握手をさせられ、じっとこちらを見つめながら、
「綿貫さん、絵描きというのはね・・・・
広場をトラックが鈴なりの人を載せて狂ったように走り回っている。その後ろを何とかそのトラックに乗ろうと大勢の人々が必死の形相で追いかけている。そのありさまを広場の端っこでじっと見つめている人がいる。なぜ、みんなそんなにあせっているのだい? そんなトラックに乗らなくてもいいじゃあないか。そういっているのが絵描きなんだよ。」
私が美術(アート)というものの本質を教えられた一言でした。
竹田先生のその一言が今でも私たちを支えてくれています。・・・・・・・
さらに驚いたのは上掲の私のメールが届いたその日のうちに、その方が上京され来廊されたことです。聞けば、メキシコ旅行中に偶然竹田先生に出会い、以来ファンとなり作品を集めているとのことでした。ネットでの思わぬ出会いに感謝した次第です。
不景気で売れない、従来の商売の仕方が変わったからといって悲観ばかりするのではなく、ネットの時代に適応した発信力を高めていきたい、そう思う日々です。
ご紹介するのは昔、亭主が山口さんの助力を得てエディションした篠原有司男の作品です。

篠原有司男「Spider Woman」
1976年 シルクスクリーン
39×49cm Ed.30
サインあり
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