群馬県立近代美術館での白井晟一展(2)  植田実

白井晟一展表紙
 白井晟一展の会場に着いたらまずミュージアムショップでカタログを買う。そして磯崎新の文章を読んでから展示室に入る。これが私の薦めたい手順である。私自身そうすればよかったと思っている。先立って解説などを読んでしまうと作品観賞上先入観ができてしまってまずいと日頃は考えているのだけれど、白井晟一は直観で自分なりに何かを見抜くにはまるで手強い。まして展示されているのは、それ自体で完結した建築ではなく、写真や図面などの情報であり、しかもそこから建築を再構成するには点数が少なすぎる。これは展示企画者が手抜きしているのではない。たとえば代表作である懐霄館(親和銀行本店第3次増築コンピュータ棟)の竣工を期に、当時建築専門誌「SD」で白井特集が組まれているが(1976年1月号)、この建築の紹介に30頁、30点近くもの写真をついやしながら図面は1点もない。あきらかに建築家側の意図による。今回の展示にも多かれ少なかれそうした偏心的意図が投影されているにちがいない。それが他の建築家と異なる白井の建築であり、磯崎はまずそこへの手がかりを教えてくれるのである。
 「フラッシュバック」のなかで、磯崎は過去に白井について自分が書いた三つの文章のタイトルを挙げてもいる。それで、もっと理想を言えば、下準備としてこれらにも眼を通しておきたい。初出は雑誌などだが、その後の著作集に所収されているので容易に手に入れることができる。
 最初に書かれたのは「凍結した時間のさなかに裸形の観念とむかい合いながら一瞬の選択に全存在を賭けることによって組み立てられた≪晟一好み≫の成立と現代建築のなかでのマニエリスト的発想の意味」(「新建築」1968年2月号)である。長いタイトルが独特だが、なによりも「好み」という言葉が現代建築家論に使われたことに当時だれもが意表をつかれたと同時に、それが白井を語るにもっとも相応しいキーワードであることに気がついたのである。
 そして、「黒御影の円筒からつきだされたペルシャ産トラバーチンの量塊のなかの、迷路のような部屋をめぐり歩きながら、ぼくは、そのすみずみにぴったりとおさめられた家具や調度についてこそ、正確な記述がなされるべきだと考えた」と、冒頭から書き起こし、「イームズの安楽椅子の横にイギリスのビクトリア風の飾り棚」、その隣りに「フランドル風の凸面鏡」という具合に、白井の眼を通してでなければ脈絡のつかない「緊迫した構成」、すなわちディテールが延々と続く迷路から始まって、白井の建築全体とその方法が徐々に見えてくるさまを、さらにはそこから私たちの背負っている建築の歴史の直接的な見え方と現在とを語りつくしている。
 その次に書かれた白井論は「破砕した断片をつなぐ眼」で、上述した「SD」1976年1月の白井特集号に掲載されている。その冒頭に大きく扱われている懐霄館を主な対象として、白井の建築特性が私たちに突きつける問題点をさらに展開している。たとえば、こんな指摘がある。「白井晟一にとって、内部に重層していくのは彼がディテールと呼ぶさまざまな要素とそれがかたちづくるシーンとでもよぶべきものである」。そして映画がショット→シーン→シークエンスというハイアラキーで構成されているのにならえば白井の建築においては「ディテール→シーン→スペース」の分類が可能であり、アドルフ・ロースの、限定されたディテール→過渡的なシーン→スペースへの突然の連結、と比較している。このあたりは今回の展示と関連して言及したいがそれはあとまわしにして、さきに3番目の白井論を紹介しておく。
 「正息としての建築」(『白井晟一―懐霄館』世界文化社、1981年)これは白井の書の詳細な読みこみから懐霄館さらには原爆堂発想への類推、同時に書と建築との絶対的な違いを通して白井晟一の姿勢を見極めようとする試みである。(つづく)

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村井修さん撮影の大判写真
模型は野又穫によるオマージュ作品

*掲載写真は全て亭主のピンボケ写真です(9月10日撮影)。