美術展のおこぼれ 3

生誕100年 岡本太郎展
会期:2011年3月8日―5月8日
会場:東京国立近代美術館
岡本太郎展

 綿貫さんのお誘いで、オープニングと内覧会に行っておどろいた。入口ホールには入りきれないほど大勢がつめかけ、テレビカメラが4、5台待機している。NHKドラマの「TAROの塔」で岡本敏子を演じている常盤貴子がスピーチしたりテープカットしたりして、近美としてはすこし浮かれすぎじゃないかと思ったくらいだが、会場はきちんと構成されて、彼の生涯的な仕事をそれなりの距離をおいて見ることができる。青山や川崎のタローのホームグラウンドで否応なしの熱気に包まれてしまうのとはちょっと違う。
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 帰宅して、カタログの巻頭、近美の主任研究員である大谷省吾さんの論文を読み、美術館で岡本太郎展をやることのたいへんさ、つまり岡本の「全貌」を見せることが逃げようのない課題となるときにさまざまな面倒が立ちはだかる、それに対処するにはどういう考えによったかがとてもよくわかった。今回の回顧展を理解するだけでなく、昨今の岡本太郎現象にかんたんに流されないためにも必読の一文だと思う。他の寄稿もあわせて、造本は賑やかにみえるが、きわめて冷静に編集された図録だ。
 ということで、岡本太郎の本質的な「対決」(今回のキーワードのひとつ)については、展示と本をぜひ見ていただきたいのだが、それとは別に長年感じていたことを、ひとつ書いておきたい。
 私がこのひとを知ったのは中学の終わりか高校に入ったばかりのときで、「みづゑ」で彼の特集が組まれたのである。とりわけ、一頁大か見開きのカラーで紹介されている「森の掟」に言葉を失った。以来、ずっとこの絵がなによりも私には岡本太郎なのだが、森に棲む者たちを襲う、画面中央の真赤なファスナー・モンスターはもちろん強烈だが、その中心部から四方八方に逃げる異形の生きものたちの動きがとても気になった。その動きこそが岡本の特性というか。
 西欧の古典的な図像では、中心にある存在に周縁から寄り集まってくる動きが多い。その中心がヴィーナスにしてもイエスにしてもマリアにしても。そして歓びのときも悲しみのときも、動きは中心に向かう。それに対して四方に散るイメージは何を下敷きにしているのか。ずっとあとの「明日の神話」でも中心に恐怖と破壊があり、そこから逃げる人々や船が画面の周縁にまで動きを波及させている。
 この「逃げる」動きが何であるかが自分で説明がつかないのだが、岡本にとって終生変わらない軸足になっている気がしてならない。それは構図だけの問題ではない。今回の展示で、最後の部屋の壁を埋めつくした無数の「眼」は、そのように逃げる者を真正面から見据えている図とも思えるのだ。瞳孔は開いて何かにおののいている。しかし超越した強さを持ってもいる。「逃げる」という方向、動きの速さ、表情がまるで別のものに変質していく瞬間を、岡本はずっと一貫して描こうとしていたのではないか。
 日本の近代以降の絵画は、人間やそれに準ずる存在を中心に置いても風景画的になる。パリから帰ってきた岡本はそれを直観的に見抜き、異和感を覚えたのではないか。彼は画面の中央に人間やモンスター、あるいは生命体と呼ぶしかない存在を置く。それは他の存在をただ引き寄せるだけの中心ではない。忌むべき恐れるべき嗤うべき中心でもあり、その総体は結局は愛すべき中心である。だからフィギュアとして一人歩きすることにもなる。古典主義的骨格による前衛と、だからこそ大衆への普及の様相。そのように岡本太郎と日本が見えてくる。
 こうした見方はすでになされているのかもしれないが、自分の実感を書いておきたかった。内覧会はファンが多すぎてあたふたと出口まで流れていってしまった。別の日にもう一度見直すことにして、と書いているさなかに東北関東大地震。人々は逃げている。悲しいほどタイミングがよすぎるというか、岡本太郎の絵は予見的というか。(うえだ まこと)

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◆昨日から「細江英公写真展―写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い~イタリア・ルッカ」が始まり、オープニングには大勢の皆さんにご参加いただき、本当にありがとうございました。
美術、音楽、演劇などの催事が次々と中止になる中で敢えて予定通りオープニングを開くことを決めたのですが、内心ひやひやでした。
もしこの最中、余震や(実はあったそうですが気づきませんでした)、大規模停電があったりしたらと不安でたまりませんでした。
当初、恐らくは参加者も数人、細江先生ご家族と、ときの忘れもののスタッフで静かに先生の78歳を祝うことになるだろうと思い、ワインやビールはともかく、おつまみ類はほとんど用意していませんでした。昨日ほどお客様の差入れを有難く嬉しく思ったことはありません。いつもは差入れはそのまま作家にお渡しするのですが、昨日は遠慮なく包みを破り、リコー特製のどら焼きやらお菓子・クッキーなどおいしくいただきました。ワインは途中でスタッフが追加を買いに走りました。
被災地のお客様から届いたメールのいくつかは読み上げてご紹介させていただきました。
参加者の中には岩手県宮古市出身のご夫婦もおられました。いまだ安否の不明な同級生たちを案じておられました。
細江先生の作品を見ながら、その美しさを論じ、この一週間(!)の互いの近況を語り合う、とてもいい会でした。
あらためて、メッセージを寄せてくださった皆さんと、オープニングに参加して下さった皆さん、そして作品をお買い上げくださった方々に深く深く御礼を申し上げます。

本日(土曜)、明日(日曜)、明後日(月曜)の三連休も画廊は開いております。
遠くからお越しになる方は都心の様子をご心配のことと思いますが、一応いまの時点での状況を申し上げますと、
私どもの港区はじめ中央区、千代田区などは計画停電の対象から外されています。
JR山手線、地下鉄「銀座線」などはダイヤの乱れはありますが運行されています。
ときの忘れものの最寄の駅は「地下鉄銀座線・外苑前」で、徒歩5~6分です。距離は短く一度いらっしゃれば近いとおわかりになるのですが、最初に迷う方も少なくありません。
ホームページの地図をご覧になり、駅におりたらお電話いただければご案内します。
渋谷寄りの隣の駅「表参道」からも、銀座寄りの隣の駅「青山一丁目」からも歩くことは可能です。JR原宿駅、渋谷駅まではそれぞれ徒歩20分くらいで、銀座とともに日本で最も都会的な街並みの中ですからお天気さえ良ければウインドショッピングしながら楽しく歩けるでしょう。ご来廊をお待ちしています。
細江英公展案内状600

会期:2011年3月18日[金]―4月2日[土](会期中無休)
今回発表した細江英公の新作による〈ヴィッラ・ボッティーニ〉12点連作は、イタリアのルッカにある16世紀の貴族の館を舞台に、ルネサンス期のフレスコ画と21世紀の細江作品との息詰まるような「対決と融合」の瞬間を捉えた作品です。
2009年11月の細江英公展の会場となったヴィッラ・ボッティーニは天井や壁面にフレスコ画が描かれた邸宅で、その絢爛たる空間に、総延長120mにわたり、細江先生と日本の職人チームが日本的伝統美の粋をこらした赤・青・緑の壁面をしつらえ、〈おとこと女〉〈薔薇刑〉〈鎌鼬〉〈ガウディの世界〉〈春本・浮世絵うつし〉他の代表作の絵巻、軸、屏風を展示しました。ヨーロッパの壮大な古典的建築空間と、和の色彩世界の対決と融合は、カラー作品でなくては表現できなかったでしょう。撮影は2009年ですが、発表するのは今回が初めてです(ヴィンテージ)。