私と瑛九 瑛九の画商として 綿貫不二夫
   宮崎日日新聞 2011年5月25日朝刊

瑛九 宮崎日日2011525画面をクリックすると拡大します

 卒業して新聞社に勤めたのは大阪万博の前年の1969年(昭和44)で、その後脱サラして画商になるなどとは夢にも思わなかった。きっかけは74年に読者サービスの一環として版画普及を企て、美術評論家の久保貞次郎先生に出会い現代版画センターを設立したことだった。
 久保先生は跡見学園女子短大の学長や町田市立国際版画美術館の館長を歴任したが、その真骨頂は日本人離れしたスケールの大きいコレクターであり、戦後全国の美術教師たちに呼びかけ「創造美育」という美術教育運動を精力的に展開したことだった。
 いわば実践の人であり、稀代のアジテーターだった。絵を三枚買えば誰でもコレクターとなれるという小コレクター運動を唱導したのもアイデア抜群の久保先生だった。
 そういう歴史を全く知らない無鉄砲な若者が突然美術の世界に飛び込んできたので久保先生や仲間たちは、戦後の荒廃の中から理想を掲げ美術の普及啓蒙に取り組んだ若い頃の自分達の姿を重ね合わせ、面白がっていたのかも知れない。右も左もわからない私を手取り足取り導いてくださった。
 だから私は他の画商さんのように奉公をしたこともなければ、身内に画商がいたわけではない。ひたすら久保先生たちが推奨する作家の版画を担いで全国の愛好家を訪ねて行商して歩いた。頒布会やオークションを開くノウハウもすべて久保先生に教えていただいた。その教え方は独特で「支持することは買うことだ」「絵と女房は1ヵ月一緒に暮らせばその価値がわかる」と刺激的な言葉で私を暗示にかけたのだった。事務所はさながら梁山泊のごとく各地のコレクターや画家たちが集まったが、そこで盛んに話題になったのが「エイキュウ」だった。
からだに入る
 聞いているとどうもそれは「永久」ではなく、「瑛九」という人の名前らしい。本名を杉田秀夫といい既に亡くなっているにもかかわらず、まるで生きているがごとく熱っぽく語られ、彼の油彩、版画、フォトデッサンがどこからともなく集まり私たちのオークションや展示会に出品された。
 そこで初めて久保先生が瑛九をはじめとするデモクラートの画家たちのパトロンだということが”ど素人”の私にもわかったのだった。気がつけば瑛九の盟友だったオノサト・トシノブ、デモクラートの解散宣言を書いた靉嘔、戦前の前衛美術運動以来の友人の難波田龍起たちの作品を自然と扱うことになった。
 今もお元気な(瑛九の)都夫人やエスペラントの教え子の鈴木素直さんはじめ、兄の杉田正臣さんや、宮崎市の元助役の富松昇さんなど瑛九を支えた多くの方がご健在だった。それらの人々が語る瑛九の言葉や思い出がいつの間にか私のからだに入り、膨大な数の瑛九作品に触れることができた。
望外の喜び
 画商にとって最大の財産は多くの作品を売買することで、独自の視点をもつことができ、人類共通の遺産である美術品を次の世代に手渡すお手伝ができることである。75年の夏、宮崎の百貨店で「没後十五年瑛九とその仲間たち展」を企画した。宮崎日日の取材まで受け、作品も東京から送り、いよいよ開幕という前日、百貨店の担当者から緊急電話が入り、明日倒産するのでその前に作品を送り返しますと言われたときはさすがに仰天した。画商は浮き沈みの多い職業で私も85年に倒産してしまった。
 借金返済に十数年かかったが、その間は編集者として働いた。芸は身を助けるではないが97年に「瑛九作品集」(日本経済新聞社発行)を刊行できたことは望外の喜びだった。再び画商として再出発できた今も瑛九の生地宮崎、終焉の地浦和には足を向けては寝られない。

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*画廊亭主敬白
本日は月曜ですが、「山田陽写真展」を開催中につき開廊しています。
今年は瑛九の生誕100年であり、下記の日程で故郷宮崎と終焉の地埼玉で大規模な回顧展が開催されます。
「生誕100年記念 瑛九展」
●宮崎県立美術館  
 会期=2011年7月16日(土)~8月28日(日)
●埼玉県立近代美術館・うらわ美術館(2会場同時開催)
 会期=2011年9月10日(土)~11月6日(日)

ときの忘れものでも、9月9日(金)~17日(土)の会期で第21回目となる「瑛九 46の光のかけらーフォトデッサンと型紙展」を開催します。
瑛九の故郷宮崎では地元新聞の宮崎日日新聞がお正月から大々的な瑛九キャンペーンをはっており、瑛九の魅力や業績を多くの人々を取材して特集しています。
亭主もわざわざ上京してきた同紙の記者に取材を受け、あげく「私と瑛九」というテーマで原稿まで書かされるはめになりました。
とはいえ、浅学菲才の一介の画商、そう書くことがあるわけでもなく、このブログの読者にはまたかと思われるような内容になってしまいました。
まあ、瑛九ファンの目にとまり、貧乏画廊のときの忘れものにお客様が一人でもいらしてくれたら嬉しいのですが・・・

ときの忘れもののコレクションから、瑛九とゆかりの作家たちの作品をご紹介します。
瑛九「逓信博物館A」
瑛九「逓信博物館 A
1941年 油彩
46.0×61.1cm
*「瑛九作品集」(日本経済新聞社)42頁所載

瑛九・水彩
瑛九「作品」
1954年 水彩 19.0×14.0cm
画面右下に鉛筆サインと年記

オノサト・トシノブ油彩
オノサト・トシノブ「作品
1977年 油彩
20×20cm サインあり

靉嘔「山水」
靉嘔「山水
1977年 シルクスクリーン
57.0×36.0cm Ed.150
サインあり

難波田龍起「森の中の静物」
難波田龍起「森の中の静物
1997年 銅版
22.5×22.5cm Ed.100
サインあり
※レゾネNo.144(阿部出版)

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