10月30日のNHK新日曜美術館「東北が生んだ不屈の彫刻家 舟越保武の世界」はいかがでしたか。
亭主は1980年代に舟越保武先生のアトリエにしばしば通い、リトグラフや銅版作品を10点ほどエディションさせていただきました。

リトグラフ(石版画)の刷りを担当してくれたのは長野県坂城で素晴らしい版画工房(森工房、原広司設計)を主宰する森仁志さんで、ご自慢の大判の石版を舟越先生のアトリエに持ち込み、舟越先生に石に直接描画していただきました。大理石を彫るのが本職の舟越先生でしたから石に描くのは苦にならなかったようです。
下に紹介するリトグラフ「若い女 A」「若い女 B」「聖クララ」の3点は虎ノ門にあったホテル「虎ノ門パストラル」の客室に飾るのを第一目的につくられました。
めったにないことですが、版元(現代版画センター)としては、予め売り先が決まっているわけですから、安心して制作費にお金をかけられる(笑)。
亭主が美術品を納めたホテル工事としては磯崎新先生のつくばセンタービルの第一ホテルとともに思い出深い建物でした。
少し昔話をしましょう。
農林漁業団体職員共済組合が運営していた「虎ノ門パストラル」は本館の完成が1968年で「東京農林年金会館」という名称でした。その後1984年に新館を増築して名称を「虎ノ門パストラル」に変更しました。
敷地面積は約16,000㎡、延床面積が約38,000㎡、洋室が283室、和室が30室ありました。
この新館工事を請け負ったのが竹中工務店で、設計は石本建築事務所でした。
総工費は亭主の記憶に間違いなければ98億円前後でした。
当時のとしてはかなりの大工事でしたが、画期的だったのが、総工費の1%(つまり9800万円)を美術品購入(設置)にあてたことです。
北欧の国が公共建築をつくるときには総工費の数%を美術品や環境整備にあてなければならないという法律をつくり、そのおかげで資源小国の国に工芸や美術産業が振興し、優れた美術工芸品を生んできたという先例を日本にも導入しようとした画期的な試みでした。
施主の農林漁業団体職員共済組合を、T工務店やI事務所とともに熱心に口説いたのがわが師匠・MORIOKA第一画廊の上田浩司さんでした。
膨大なプレゼン資料をつくり、会議に出席し、何とか実現の運びとなり、いざ契約となったとき、上田さんの画廊が個人経営だったことがネックになってしまいました。1億円近い契約書を個人と交わすわけには行かないという訳で、急遽子分の亭主が株式会社現代版画センター代表取締役として契約書にサインしました。もちろん上田さんと連名で。
このとき、上田さんが「虎ノ門パストラル」に納めた作品群(彫刻、油彩、タペストリー、版画)を記憶をもとに列挙してみましょう。なにしろ総額9800万円ですから、かなり膨大です。
舟越保武、田中信太郎、関根伸夫、靉嘔、アンディ・ウォーホル、百瀬寿、元永定正などの大作がホテルのここかしこに設置されました。
そして全客室には、現代版画センターがそれぞれ作家に注文してつくっていただいた舟越保武、大沢昌助、百瀬寿、大橋成行、深沢紅子などの版画作品が飾られました。
いま思うと、ちょっとした美術館でした。

虎ノ門パストラル全景
(正面玄関の前に関根伸夫の石彫が設置されている)
竣工記念パーティには上田さんに連れられ、大沢昌助先生、関根伸夫先生と出席し、終わったあと、すぐそばにあった瓦屋根時代の「巴町砂場」で焼き海苔だけを肴に4人で延々呑み続けたのを懐かしく思い出します。以来、亭主は「巴町砂場」の大ファンとなりました。
「虎ノ門パストラル」は交通の便もよく、隣のホテルオークラに比べたら料金が格段に安かった。
霞が関にほど近い土地柄、官公庁や国会関係者、政治家などの会議や宴会場として活用されることも多く、また結婚式場としての人気も高く、1986(昭和61)年には年間婚礼組数3,030組で日本一の記録を達成しています。
亭主もずいぶん使わせていただきました。
しかし、時は流れ2009年9月30日で営業を終了し、41年の歴史に幕を閉じました。
あの美術品たちはいったいどうなってしまったのでしょうか。
舟越保武
「若い女 A」
1984年
リトグラフ(雁河)
51.0×39.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武
「若い女 B」
1984年
リトグラフ(雁河)
48.5×37.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武
「聖クララ」
1984年
リトグラフ(雁河)
51.0×42.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武
「A嬢」
1982年
銅版(雁皮)
24.0×19.4cm
Ed.100 サインあり
舟越保武
「若い女の顔」
1982年
銅版
9.7×8.2cm(シートサイズ:36.7×29.8cm)
エンボスサインあり
舟越保武
「少女の顔」
1979年
ブロンズレリーフ
12.0cm(径)
美術館松欅堂開館記念作品
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年11月11日(金)~11月19日(土)「小野隆生 1976~2010」展を開催します(会期中無休)。
1971年にイタリアに渡り、敬愛するペルジーノの故郷で淡々とテンペラによる肖像画を描き続ける小野隆生の1976年初個展(洲之内徹の銀座・現代画廊)から今日までの軌跡をたどります。
◆ときの忘れものは、2011年11月18日(金)~11月20日(日)に開催される「+PLUS THE ART FAIR 2011」に出展します。
宮脇愛子、小野隆生、秋葉シスイの作品を出品します。
亭主は1980年代に舟越保武先生のアトリエにしばしば通い、リトグラフや銅版作品を10点ほどエディションさせていただきました。

リトグラフ(石版画)の刷りを担当してくれたのは長野県坂城で素晴らしい版画工房(森工房、原広司設計)を主宰する森仁志さんで、ご自慢の大判の石版を舟越先生のアトリエに持ち込み、舟越先生に石に直接描画していただきました。大理石を彫るのが本職の舟越先生でしたから石に描くのは苦にならなかったようです。
下に紹介するリトグラフ「若い女 A」「若い女 B」「聖クララ」の3点は虎ノ門にあったホテル「虎ノ門パストラル」の客室に飾るのを第一目的につくられました。
めったにないことですが、版元(現代版画センター)としては、予め売り先が決まっているわけですから、安心して制作費にお金をかけられる(笑)。
亭主が美術品を納めたホテル工事としては磯崎新先生のつくばセンタービルの第一ホテルとともに思い出深い建物でした。
少し昔話をしましょう。
農林漁業団体職員共済組合が運営していた「虎ノ門パストラル」は本館の完成が1968年で「東京農林年金会館」という名称でした。その後1984年に新館を増築して名称を「虎ノ門パストラル」に変更しました。
敷地面積は約16,000㎡、延床面積が約38,000㎡、洋室が283室、和室が30室ありました。
この新館工事を請け負ったのが竹中工務店で、設計は石本建築事務所でした。
総工費は亭主の記憶に間違いなければ98億円前後でした。
当時のとしてはかなりの大工事でしたが、画期的だったのが、総工費の1%(つまり9800万円)を美術品購入(設置)にあてたことです。
北欧の国が公共建築をつくるときには総工費の数%を美術品や環境整備にあてなければならないという法律をつくり、そのおかげで資源小国の国に工芸や美術産業が振興し、優れた美術工芸品を生んできたという先例を日本にも導入しようとした画期的な試みでした。
施主の農林漁業団体職員共済組合を、T工務店やI事務所とともに熱心に口説いたのがわが師匠・MORIOKA第一画廊の上田浩司さんでした。
膨大なプレゼン資料をつくり、会議に出席し、何とか実現の運びとなり、いざ契約となったとき、上田さんの画廊が個人経営だったことがネックになってしまいました。1億円近い契約書を個人と交わすわけには行かないという訳で、急遽子分の亭主が株式会社現代版画センター代表取締役として契約書にサインしました。もちろん上田さんと連名で。
このとき、上田さんが「虎ノ門パストラル」に納めた作品群(彫刻、油彩、タペストリー、版画)を記憶をもとに列挙してみましょう。なにしろ総額9800万円ですから、かなり膨大です。
舟越保武、田中信太郎、関根伸夫、靉嘔、アンディ・ウォーホル、百瀬寿、元永定正などの大作がホテルのここかしこに設置されました。
そして全客室には、現代版画センターがそれぞれ作家に注文してつくっていただいた舟越保武、大沢昌助、百瀬寿、大橋成行、深沢紅子などの版画作品が飾られました。
いま思うと、ちょっとした美術館でした。

虎ノ門パストラル全景
(正面玄関の前に関根伸夫の石彫が設置されている)
竣工記念パーティには上田さんに連れられ、大沢昌助先生、関根伸夫先生と出席し、終わったあと、すぐそばにあった瓦屋根時代の「巴町砂場」で焼き海苔だけを肴に4人で延々呑み続けたのを懐かしく思い出します。以来、亭主は「巴町砂場」の大ファンとなりました。
「虎ノ門パストラル」は交通の便もよく、隣のホテルオークラに比べたら料金が格段に安かった。
霞が関にほど近い土地柄、官公庁や国会関係者、政治家などの会議や宴会場として活用されることも多く、また結婚式場としての人気も高く、1986(昭和61)年には年間婚礼組数3,030組で日本一の記録を達成しています。
亭主もずいぶん使わせていただきました。
しかし、時は流れ2009年9月30日で営業を終了し、41年の歴史に幕を閉じました。
あの美術品たちはいったいどうなってしまったのでしょうか。
舟越保武「若い女 A」
1984年
リトグラフ(雁河)
51.0×39.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武「若い女 B」
1984年
リトグラフ(雁河)
48.5×37.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武「聖クララ」
1984年
リトグラフ(雁河)
51.0×42.0cm
Ed.170 サインあり
舟越保武「A嬢」
1982年
銅版(雁皮)
24.0×19.4cm
Ed.100 サインあり
舟越保武「若い女の顔」
1982年
銅版
9.7×8.2cm(シートサイズ:36.7×29.8cm)
エンボスサインあり
舟越保武「少女の顔」
1979年
ブロンズレリーフ
12.0cm(径)
美術館松欅堂開館記念作品
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年11月11日(金)~11月19日(土)「小野隆生 1976~2010」展を開催します(会期中無休)。
1971年にイタリアに渡り、敬愛するペルジーノの故郷で淡々とテンペラによる肖像画を描き続ける小野隆生の1976年初個展(洲之内徹の銀座・現代画廊)から今日までの軌跡をたどります。◆ときの忘れものは、2011年11月18日(金)~11月20日(日)に開催される「+PLUS THE ART FAIR 2011」に出展します。
宮脇愛子、小野隆生、秋葉シスイの作品を出品します。
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