昨日は倉庫でスタッフに休日出勤してもらい「小野隆生 1976~2010展」と、「+PLUS THE ART FAIR 2011」の出品作品の準備作業で汗を流しました。

今日から11月。
あっという間に肌寒い季節になってしまいました。先月10月は半分寝込んでいたのでほとんど仕事らしい仕事はできませんでした。
何とか今月は挽回して社長に笑顔を取り戻してもらわねば。

亭主の故郷群馬県には村立美術館として開館以来20年間で600万人という驚異的な入館者数を誇る美術館があります。
富弘美術館」です。

中学校の教師だった星野富弘さんがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失い、以後病院で寝たきりの生活になります。ふとしたきっかけで口に筆をくわえて文や絵を書き始め、それが多くの人の共感を呼び、遂には故郷に美術館ができたのが1991年でした。

亭主の高校の5年後輩で、TMO(高崎高校マンドリン・オーケストラ)のコンサート・マスターをつとめた久保田一樹さんから久しぶりにメールをいただきました。
毎年夏の定期演奏会にはともに舞台に上っています。
先輩の強権で勝手に転載してしまいましょう。

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<秋も深まりこちら上州は空っ風が吹き初めております。
大変ご無沙汰しておりますが、お元気にご活躍の事と思います。
さて、突然ですが、詩画作家「星野富弘さん」と私の父の事が、NHKの番組で紹介されるのでご案内いたします(私もちょこっと出るかも知れません)。
・11月1日(火)11:05~NHK総合「いっと6けん」
 ※但し、国会中継で、8日(火)または15日(火)の可能性大です。
実は、過日NHK「ゆうどきネットワーク」という番組内20分程放映されたのですが、反響も良くリメイク版という事で放映されます。
もし時間が合いましたら是非ご覧になって、またご感想でもお聞かせ下さい。
明日から11月、いよいよ冬に向かいますが、どうぞご自愛下さい。また。
                   久保田一樹

(久保田一樹さんはお父上の久保田稔さんの遺志を継いで、富弘美術館の運営にも携わっており、富弘美術館の季刊誌に寄稿された文章がとてもいいので、ご本人の承諾を強引に得たので転載させていただきます。)

「富弘さんと父と私」 久保田 一樹 

 呼べば答えてくれる
 人がいる
 苦しくても
 寂しくても
 誰もいなくても
 名を呼べる
 人がいる しあわせ

 (星野富弘作・ほととぎす/書籍『速さのちがう時計』/絵はがき集 ペン画E 収録)

 これは父・久保田稔の葬儀の直後、朝日新聞群馬版に掲載された星野富弘さんの作品です。タイミングが良すぎるので多分違うかも知れませんが、私は富弘さんが父のことを偲んでの作品と心に刻み、今でもその新聞は大切にしていますが、シンプルな中にも、人と人との絆・役割・やさしさ・温かさ・・・様々な意味が込められている詩と改めて感じています。
父は、群馬県身障者福祉センター所長時代に、群馬大学に入院中の星野さんの作品に触れ「宝石に出会った!」感動に衝き動かされて、渋る星野さんを説得し、初めての詩画展を身障者福祉センターで開催しました。その反響は大きく、新聞・雑誌にも大きく取り上げられました。その後「もっと一般的な会場で多くの人たちに観てもらうため」と、これもシャイな星野さんを説得し、1983年高崎髙島屋で第1回「花の詩画展」が開催されましたが、その後の全国各地また海外でも開催される原点の催しとなりました。
 今年盲目のピアニスト辻井伸行さんがそのハンディをもろともせず国際ピアノコンクールで優勝しましたが、当時父は「星野君の絵には障害者だからというのではなく絵そのものに感動がある」と、心に響く真の力を見抜いていました。父は星野さんの初めての著書『愛深き淵より』の発刊のために出版社を奔走し出版に漕ぎつけ、今度はその普及のためにマイカーを飛ばして(交通違反もしながら)当時700円の本1冊をどんな山奥にも届けたりしておりました。その姿は情熱の塊そのもので、「これは!」と思ったことに突き進む行動力は、星野さんという「本物」を通して、家族の絆・優しさ、人と人が支えあう福祉の原点を世に問うことだったのだと思います。星野さんは講演会などで必ず「久保田所長との出会いは自分の転機」とお話下さいますが、父も自立された星野さんの活躍を大変喜んでいて、黒子としての自分の役割に満足していたことと思います。
 現在も星野さんご一家とは家族ぐるみの付き合いをさせて頂いておりますが、一昨年に富弘美術館の運営委員を仰せつかったことは、私にとって大変有り難く、富弘作品を維持し更にアピールする事へのやり甲斐を強く感じております。私は現在、百貨店に勤務しておりますが、百貨店も美術館も、お出で下さったお客様が「今日は良かったな。また来よう!」と満足してお帰りいただくことが最も大切なことと考えています。富弘美術館が「心のサプリメント」として、いつまでも人々に愛される存在であるよう、私はこの管理運営委員の仕事は父が繋いでくれたバトンと思い、私は私の役割を果たそうと思っております。
(くぼたかずき)

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一人の作家が世の支持を得るには、その影で人知れず尽力した人がいます。
星野富弘さんの場合、お母様そして、久保田稔さんという一公務員でした。
息子の久保田一樹君は亭主の高校のマンドリン倶楽部の後輩です。
父上のあとを継ぎ、富弘美術館の運営に尽力しています。
亭主の家にはテレビがないので、上述の番組は残念ながら見られませんが、どうぞ皆さんご覧になってください。