1995年10月の第一回個展から数えて15回目となる小野隆生展を明後日11日から開催します。
小野隆生は、1971年にイタリアに渡り、敬愛するペルジーノの故郷で淡々とテンペラによる肖像画を描き続けています。
ときの忘れものではイタリアから新作がまとまって送られてくるたびに、新作個展を開いてきました。
また近年は国内外のアートフェアでの紹介も積極的に行なっています。

「小野隆生 1976-2010」
会期:2011年11月11日(金)~11月19日(土)
会期中無休
今回は、小野隆生の1976年の初個展(洲之内徹の銀座・現代画廊)から今日までの軌跡をとっておきの画廊コレクションを展示することによって辿ります。
画廊はとても狭いので、小野隆生の大作をいくつもは展示できませんが、35年の歩みをじっくりとご覧いただければと思います。

小野隆生「失くした記憶」
1976年
油彩・画布
17.9x13.9cm
サインあり
小野さんは1976年に洲之内徹さんの現代画廊で初個展を開催しました。
いわば小野さんの才能を最初に見出したのが洲之内徹さんといってもいいのですが、雑誌「芸術新潮」の連載”気まぐれ美術館”でも小野さんについても書いています。
後に『帰りたい風景 気まぐれ美術館』(昭和55年初版、新潮社、文庫本にもなっています)の冒頭に<三浦さんと小野クン 小野隆生・三浦逸雄・川俣豊子>として掲載されています。
以前にも紹介しましたが、ここでは単行本に収録されていない1976年の初個展のパンフレットに洲之内さんが書いた文章を再録します。
「画廊から」 洲之内 徹
今年の一月、若い小野さん夫妻は、一匹の犬をつれてローマから帰ってきて、当分、独り者の市村修君の家で居候をしていた。犬が飼えるのを条件に部屋を探しているが、なかなか見つからず、見つかるまでそうしているのだと聞いて、私は、その犬というのはイタリー産の由緒ある血統の犬か何かだろうと思ったのだが、よく聞いてみると、小野さんが日本を出る前に町で拾った仔犬をイタリーへつれて行き、こんどまたそれをつれて帰ってきたので、名前もムクというのであった。変った人だなとそのとき思ったが、考えてみると、ごく当り前のことのようでもある。可愛がっている犬を、自分の行くところどこへでもつれて行くというのは、むしろ自然だろう。
小野さんの仕事も、初め見たとき、ずいぶん変っているような気がしたが、これまた、格別変ってはいないのかもしれない。すくなくとも小野さん自身には、変ったことをしているという意識はなさそうである。例えば、小野さんは、いま自分は物の輪郭に非常に興味があると言うのだが、そういうところから客観に迫ってみようとしているのかもしれない。
それはともかく、小野さんの精緻を極めた仕事を見て私が最初に感じた驚きは、この人は何のためにこんなことをやっているのか、ということであった。途方もない無意味ではないかという疑問を持った。物をレンズが映すように見ようとすること、眼がレンズを模倣するということに、「描く」ということに慣れた私の常識は一種の倒錯を感じるのだ。だが、それが倒錯であってもなくても、私が倒錯を感じるそこのところに、逆に、私の古びた常識の上皮を剥がしにくる何かがあり、いまではそれが小野さんの仕事の、私にとっての烈しい魅力になっているようである。
1976年 現代画廊「小野隆生 油絵展」パンフレットより
ーーーーーーーーーーーーーー
洲之内さんの死後、アパートに遺された作品群は一括して洲之内コレクション「気まぐれ美術館」として宮城県美術館に収蔵されました。
1994年開催の宮城県美術館の「洲之内コレクションー気まぐれ美術館ー」図録には146点が収録されています。
洲之内コレクションには、佐藤哲三、梅原龍三郎、松本竣介、海老原喜之助、野田英夫、浅井忠、難波田龍起、萬鉄五郎、靉光、恩地孝四郎、吉岡憲、青木繁、北脇昇、長谷川利行、藤牧義夫、村山槐多ら日本近代美術史を彩る作家たちとともに、まだ20歳代の小野さんの初個展の頃の作品も含まれています。いかに洲之内さんが小野さんを高く評価していたかがわかります。
2008年には伊東の池田20世紀美術館で初めての回顧展が開催され、1995年から2007までの自選作品69点が展観され、図録も刊行されました。
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小野隆生は、1971年にイタリアに渡り、敬愛するペルジーノの故郷で淡々とテンペラによる肖像画を描き続けています。
ときの忘れものではイタリアから新作がまとまって送られてくるたびに、新作個展を開いてきました。
また近年は国内外のアートフェアでの紹介も積極的に行なっています。

「小野隆生 1976-2010」
会期:2011年11月11日(金)~11月19日(土)
会期中無休
今回は、小野隆生の1976年の初個展(洲之内徹の銀座・現代画廊)から今日までの軌跡をとっておきの画廊コレクションを展示することによって辿ります。
画廊はとても狭いので、小野隆生の大作をいくつもは展示できませんが、35年の歩みをじっくりとご覧いただければと思います。

小野隆生「失くした記憶」
1976年
油彩・画布
17.9x13.9cm
サインあり
小野さんは1976年に洲之内徹さんの現代画廊で初個展を開催しました。
いわば小野さんの才能を最初に見出したのが洲之内徹さんといってもいいのですが、雑誌「芸術新潮」の連載”気まぐれ美術館”でも小野さんについても書いています。
後に『帰りたい風景 気まぐれ美術館』(昭和55年初版、新潮社、文庫本にもなっています)の冒頭に<三浦さんと小野クン 小野隆生・三浦逸雄・川俣豊子>として掲載されています。
以前にも紹介しましたが、ここでは単行本に収録されていない1976年の初個展のパンフレットに洲之内さんが書いた文章を再録します。
「画廊から」 洲之内 徹
今年の一月、若い小野さん夫妻は、一匹の犬をつれてローマから帰ってきて、当分、独り者の市村修君の家で居候をしていた。犬が飼えるのを条件に部屋を探しているが、なかなか見つからず、見つかるまでそうしているのだと聞いて、私は、その犬というのはイタリー産の由緒ある血統の犬か何かだろうと思ったのだが、よく聞いてみると、小野さんが日本を出る前に町で拾った仔犬をイタリーへつれて行き、こんどまたそれをつれて帰ってきたので、名前もムクというのであった。変った人だなとそのとき思ったが、考えてみると、ごく当り前のことのようでもある。可愛がっている犬を、自分の行くところどこへでもつれて行くというのは、むしろ自然だろう。
小野さんの仕事も、初め見たとき、ずいぶん変っているような気がしたが、これまた、格別変ってはいないのかもしれない。すくなくとも小野さん自身には、変ったことをしているという意識はなさそうである。例えば、小野さんは、いま自分は物の輪郭に非常に興味があると言うのだが、そういうところから客観に迫ってみようとしているのかもしれない。
それはともかく、小野さんの精緻を極めた仕事を見て私が最初に感じた驚きは、この人は何のためにこんなことをやっているのか、ということであった。途方もない無意味ではないかという疑問を持った。物をレンズが映すように見ようとすること、眼がレンズを模倣するということに、「描く」ということに慣れた私の常識は一種の倒錯を感じるのだ。だが、それが倒錯であってもなくても、私が倒錯を感じるそこのところに、逆に、私の古びた常識の上皮を剥がしにくる何かがあり、いまではそれが小野さんの仕事の、私にとっての烈しい魅力になっているようである。
1976年 現代画廊「小野隆生 油絵展」パンフレットより
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洲之内さんの死後、アパートに遺された作品群は一括して洲之内コレクション「気まぐれ美術館」として宮城県美術館に収蔵されました。
1994年開催の宮城県美術館の「洲之内コレクションー気まぐれ美術館ー」図録には146点が収録されています。
洲之内コレクションには、佐藤哲三、梅原龍三郎、松本竣介、海老原喜之助、野田英夫、浅井忠、難波田龍起、萬鉄五郎、靉光、恩地孝四郎、吉岡憲、青木繁、北脇昇、長谷川利行、藤牧義夫、村山槐多ら日本近代美術史を彩る作家たちとともに、まだ20歳代の小野さんの初個展の頃の作品も含まれています。いかに洲之内さんが小野さんを高く評価していたかがわかります。
2008年には伊東の池田20世紀美術館で初めての回顧展が開催され、1995年から2007までの自選作品69点が展観され、図録も刊行されました。
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