美術展のおこぼれ19

プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展


会期:2011年10月22日―2012年1月29日
会場:国立西洋美術館

 わが生涯において最初に出会った西洋名画はゴヤである。これは最近出した拙著『住まいの手帖』と『真夜中の庭』のなかでそれぞれ触れているのでさらにしつこく繰り返すことになるが、でも書かせてもらう。
 小学校にあがってすぐ、おそくとも小学三年の夏以前のこと(それから学童集団疎開に行き、家とは永遠の別れになるので)だが、わが家の応接室で見つけた10数巻の世界美術全集のページを繰っているうちにゴヤの《わが子を喰らうサトゥルヌス》が突然現れた。ほかの画家の作品も見てはいたし、全裸の女性の絵などには少しはドキドキしたが人形みたいだったし、もうひとつ、ブリューゲルの《死の勝利》の骸骨たちの大行進にもショックを受けたが、どこか演劇風な描写でわずかに気持ちの余裕はもてた。ゴヤだけが違った。そこに絵の真実があったとでもいえる恐怖に私はすぐ本を閉じた。その後応接室に入るたびにそのページを一瞬開いてはまたすぐ閉じる。けれど恐ろしい絵は消えない。親にも兄姉たちにも話せない。絵からなにかを感じたとか学んだというわけでも多分ない。出会ってしまった。それだけ。
 今回、プラド美術館所蔵作品は70点あまり、全体を構成する14のセクションが「特徴的な主題やトピック」(国立西洋美術館ニュース)で特徴づけられている。たとえば第1セクション「かくある私―ゴヤの自画像」(この序章的コーナーがすごくいい)、第2「創意と実践―タピスリー用原画における社会批判」、第3「嘘と無節操―女性のイメージ:〈サンルーカル素描帖〉から私室の絵画へ」(ここに今回の目玉《着衣のマヤ》がある)というように。そして西洋美術館ほか国内美術館所蔵のかなりの数(50点ほど)の版画がつなぎとなって順路を密に組んでいる。すなわち《ロス・カプリーチョス》、《戦争の惨禍》、《闘牛技》、《妄》などお馴染みのシリーズだが、何度見ても満足する。加えてそれらに関わる素描がプラドからやってきてルートを贅沢に仕上げているのだ。
 《着衣のマハ》は思っていたよりさらりとした筆のタッチで、それであれほどにキメてしまうとはゴヤはやっぱり別格だと思ったのだが、それ以上に感嘆したのは第7セクション「「国王夫妻以下、僕を知らない人はいない」―心理研究としての肖像」(こう書き写してみるとタイトル、とくにサブタイトルの表現がどれもなんだかものものしい)にある《ガスパール・メルチョール・デ・ホベリャーノスの肖像》だ。これ、肖像画としては世界最高に入る1点ではないか。図録も作品集も買わず、この絵葉書1枚だけ買って帰ってきてしまったので、ここに描かれているのがどういう男なのかよく分からない。ややくつろいだ服装だが書類チェックの仕事中で左肘を机の上に突き左手で顔の左面を支えている。ちょっと疲れたかなというような、だが晴朗な眼差し。《マハ》よりさらにさらりとした筆触と思えるのだが、この存在感、などとは言いたくなくて、《サトゥルヌス》とモチーフは対極的だが、同じ真実の絵画としか表現しようがない。彼に先行するディエゴ・ヴェラスケスの偉大さとも、彼に追いすがるパブロ・ピカソの果敢さとも異なる、ある広大な視野のなかで画家はすいすいと精緻に描いている。そしてアートなどというジャンルを蝋燭の火に息を吹きかけるようにフッと消して、この世というものを、この世にあるものを、それを真実として一見何気なく見せている、フランシスコ・デ・ゴヤ。
 最終日までにはまだ間があるし、図録その他の資料もそのうち読まなくてはならないだろうが、とりあえずの第一印象。
(2011.11.8 うえだまこと
20111022ゴヤ展 表20111022ゴヤ展 裏