光嶋裕介のエッセイ 第3回
第三便:『過剰さの中にしかないもの』(III/VIII)
僕は密度というものに敏感に反応し、
つねに数と数の関係性に惹かれます。
あるものとないもの、
見えるものと見えないもの、
地と図、
その均衡をどこか
保ちながら崩したいし、崩しながら保ちたいと思う。
つまり運動を触発し、その変化の中でかすかに感じる
本質的な何かにスポットライトを当ててみたい。
例えば、都市は生命体の如くうごめいている。
多様な要素があちこちに転がっており、
それをどのように感知するかは、個々のセンサー次第。
しかし、確実な何かが我々の中に少しずつ蓄積していく。
記憶と記録。
その時に僕は過剰であるということを
一つの基準にしている。
やり残すのではなく、桁外れにやりきること。
過剰さの海の中に手を突っ込んで欠片を拾い集めたい。
具体的にはこの銅版画を彫るという行為
そのものも過剰さの中から生まれるエネルギーに支えられている。
そして、
この過剰さというのは作品全体に漂うのみならず、
作品のディテールにもエッセンスとして宿ることを心掛けている。
(こうしまゆうすけ)
"Landscape at Night NO.013"
2010年
エッチング、アクアチント
イメージサイズ:12.0x30.0cm/シートサイズ:27.0x39.5cm
Ed.8 サインあり
画面が小さくて、光嶋さんの絵の面白さがわかりにくいかも知れません。
コチラをクリックしてのぞいてみてください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆光嶋裕介さんのエッセイは毎月11日と22日の更新です。
第三便:『過剰さの中にしかないもの』(III/VIII)
僕は密度というものに敏感に反応し、
つねに数と数の関係性に惹かれます。
あるものとないもの、
見えるものと見えないもの、
地と図、
その均衡をどこか
保ちながら崩したいし、崩しながら保ちたいと思う。
つまり運動を触発し、その変化の中でかすかに感じる
本質的な何かにスポットライトを当ててみたい。
例えば、都市は生命体の如くうごめいている。
多様な要素があちこちに転がっており、
それをどのように感知するかは、個々のセンサー次第。
しかし、確実な何かが我々の中に少しずつ蓄積していく。
記憶と記録。
その時に僕は過剰であるということを
一つの基準にしている。
やり残すのではなく、桁外れにやりきること。
過剰さの海の中に手を突っ込んで欠片を拾い集めたい。
具体的にはこの銅版画を彫るという行為
そのものも過剰さの中から生まれるエネルギーに支えられている。
そして、
この過剰さというのは作品全体に漂うのみならず、
作品のディテールにもエッセンスとして宿ることを心掛けている。
(こうしまゆうすけ)
"Landscape at Night NO.013"2010年
エッチング、アクアチント
イメージサイズ:12.0x30.0cm/シートサイズ:27.0x39.5cm
Ed.8 サインあり
画面が小さくて、光嶋さんの絵の面白さがわかりにくいかも知れません。
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