日本の写真家たち第2回
「細江英公の演劇的想像力」
飯沢耕太郎(写真評論家)
1933年生まれの細江英公と、彼の同世代の写真家たちは、1950年代に純粋な「戦後世代」として登場してきた。彼らの上の世代の木村伊兵衛、土門拳、名取洋之助などは、第二次世界大戦以前から写真家として仕事をしていた。だが、細江や1959年にともに写真家グループVIVOを結成する東松照明、奈良原一高、川田喜久治らは、戦後になって大学に進学し、写真を撮影し始めた世代である。彼らは、土門や木村の影響を受けて写真家として出発しながらも、1950年代後半になると、それぞれの方向性を模索し始める。こうして、現実をストレートに描写する「リアリズム写真」や、新聞や雑誌を舞台に社会的なメッセージ性の強い写真を発表する「報道写真」とは一線を画する、新たな写真表現のスタイルが芽生えていった。
その中でも、1960年代以降に個性的、実験的な写真を次々に発表し、最も尖端的な領域を切り拓いていった一人が細江英公である。舞踏家、土方巽とその仲間たちをモデルに、エロスの世界を追求した「おとこと女」(1960年)、作家、三島由紀夫の耽美的な幻想世界を映像化した「薔薇刑」(1961〜62年)、ふたたび土方巽をモデルに、東北の農村の土俗的な神々との交歓を見事に描き切った「鎌鼬」(1965〜68年)など、彼のこの時期の作品群は、今なお見る者を震撼とさせる強烈なパワーを発している。
細江英公の作品世界の特徴をひと言でいいあらわせば、そのたぐいまれな演劇的想像力の発露ということになるだろう。細江は写真家であるとともに、モデルとともに現実世界のただ中に虚構の舞台を立ち上げ、そこに反リアリズム的な劇的空間を組み上げていく演出家でもある。とはいえ、彼の「演劇」はあらかじめ設定されたシナリオによって演じられるわけではなく、むしろモデルの生理的反応、無意識の身振りを積極的に取り込んでいくものだ。細江の写真を見ていると、次に何が起こるかわからない衝動に身をまかせつつ、シャッターを切っていることがよくわかる。
細江の演劇的想像力は、彼が70歳代になった2000年代以降も衰えるどころか、さらに奔放に伸び広がっているように見える。近作の「春本・浮世絵うつし」(2007年)や「Villa Bottini」(2009年)のシリーズを見ても、その創作意欲はよりみずみずしさを増しているようだ。偉大な巨匠としての細江の作品だけでなく、むしろ現在進行形の彼の仕事に注目すべきだろう。
(いいざわこうたろう)
細江英公 Eikoh HOSOE
「おとこと女 No.24」
1960年(Printed in 1985)
ゼラチンシルバープリント
12.0×21.3cm
Ed.100 サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE
「Ordeal by Roses #32
薔薇刑 作品32」
1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.0x30.0cm サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE
「鎌鼬#23, 1965」
1965年
ピグメント・アーカイバル・プリント
50.8×60.9cm
サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE
「春本・浮世絵うつし #1-20」
2002年
フォトグラフ
シートサイズ:40.6×50.8cm
額サイズ:50.8×61.0cm
Ed.30 サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE
「Villa Bottini #1」
2009(Printed in 2011)
Type-C print
55.0x43.8cm
Ed.10 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
*画廊亭主敬白
本日10日は小林美香さんのエッセイを掲載予定でしたが、小林さんのご事情で休載します。
次回は25日の予定ですので、ご期待ください。
飯沢耕太郎の新連載<日本の写真家たち>第二回を掲載します。
ときの忘れもののホームページの英語版はいままで更新もままならず苦戦していたのですが、それでも海外からの問合せが結構入ります。
草間彌生、植田正治、安藤忠雄、瑛九らへの問合せが多いのですが、もっと日本の写真家を海外の人たちにも知って欲しいと考えて、昨年来飯沢先生にご相談してきました。
日本語で原稿を書いていただき、私どものスタッフ新澤が翻訳して飯沢先生のチェックを受け、掲載という手順です。
すでに英文サイトにも掲載していますので、お読みください。
「細江英公の演劇的想像力」
飯沢耕太郎(写真評論家)
1933年生まれの細江英公と、彼の同世代の写真家たちは、1950年代に純粋な「戦後世代」として登場してきた。彼らの上の世代の木村伊兵衛、土門拳、名取洋之助などは、第二次世界大戦以前から写真家として仕事をしていた。だが、細江や1959年にともに写真家グループVIVOを結成する東松照明、奈良原一高、川田喜久治らは、戦後になって大学に進学し、写真を撮影し始めた世代である。彼らは、土門や木村の影響を受けて写真家として出発しながらも、1950年代後半になると、それぞれの方向性を模索し始める。こうして、現実をストレートに描写する「リアリズム写真」や、新聞や雑誌を舞台に社会的なメッセージ性の強い写真を発表する「報道写真」とは一線を画する、新たな写真表現のスタイルが芽生えていった。
その中でも、1960年代以降に個性的、実験的な写真を次々に発表し、最も尖端的な領域を切り拓いていった一人が細江英公である。舞踏家、土方巽とその仲間たちをモデルに、エロスの世界を追求した「おとこと女」(1960年)、作家、三島由紀夫の耽美的な幻想世界を映像化した「薔薇刑」(1961〜62年)、ふたたび土方巽をモデルに、東北の農村の土俗的な神々との交歓を見事に描き切った「鎌鼬」(1965〜68年)など、彼のこの時期の作品群は、今なお見る者を震撼とさせる強烈なパワーを発している。
細江英公の作品世界の特徴をひと言でいいあらわせば、そのたぐいまれな演劇的想像力の発露ということになるだろう。細江は写真家であるとともに、モデルとともに現実世界のただ中に虚構の舞台を立ち上げ、そこに反リアリズム的な劇的空間を組み上げていく演出家でもある。とはいえ、彼の「演劇」はあらかじめ設定されたシナリオによって演じられるわけではなく、むしろモデルの生理的反応、無意識の身振りを積極的に取り込んでいくものだ。細江の写真を見ていると、次に何が起こるかわからない衝動に身をまかせつつ、シャッターを切っていることがよくわかる。
細江の演劇的想像力は、彼が70歳代になった2000年代以降も衰えるどころか、さらに奔放に伸び広がっているように見える。近作の「春本・浮世絵うつし」(2007年)や「Villa Bottini」(2009年)のシリーズを見ても、その創作意欲はよりみずみずしさを増しているようだ。偉大な巨匠としての細江の作品だけでなく、むしろ現在進行形の彼の仕事に注目すべきだろう。
(いいざわこうたろう)
細江英公 Eikoh HOSOE「おとこと女 No.24」
1960年(Printed in 1985)
ゼラチンシルバープリント
12.0×21.3cm
Ed.100 サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE「Ordeal by Roses #32
薔薇刑 作品32」
1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.0x30.0cm サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE「鎌鼬#23, 1965」
1965年
ピグメント・アーカイバル・プリント
50.8×60.9cm
サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE「春本・浮世絵うつし #1-20」
2002年
フォトグラフ
シートサイズ:40.6×50.8cm
額サイズ:50.8×61.0cm
Ed.30 サインあり
細江英公 Eikoh HOSOE「Villa Bottini #1」
2009(Printed in 2011)
Type-C print
55.0x43.8cm
Ed.10 Signed
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*画廊亭主敬白
本日10日は小林美香さんのエッセイを掲載予定でしたが、小林さんのご事情で休載します。
次回は25日の予定ですので、ご期待ください。
飯沢耕太郎の新連載<日本の写真家たち>第二回を掲載します。
ときの忘れもののホームページの英語版はいままで更新もままならず苦戦していたのですが、それでも海外からの問合せが結構入ります。
草間彌生、植田正治、安藤忠雄、瑛九らへの問合せが多いのですが、もっと日本の写真家を海外の人たちにも知って欲しいと考えて、昨年来飯沢先生にご相談してきました。
日本語で原稿を書いていただき、私どものスタッフ新澤が翻訳して飯沢先生のチェックを受け、掲載という手順です。
すでに英文サイトにも掲載していますので、お読みください。
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