昨日掲載の植田実さんのエッセイ<生きているTATEMONO 松本竣介を読む>第4回はいかがでしたでしょうか。
10回前後の連載をお願いしてスタートしたのですが、植田さんの意気込みたるや相当なもので、第4回の原稿がファックス(手書き)で送られてきたとき、その分量に卒倒しそうになりました。それを手分けしてテキスト化して植田さんに送り、校正をしていただき、加筆修正が入ってブログ掲載となります。

現在開催中の「生誕100年 松本竣介展」の第三会場である宮城県美術館では、有名な≪立てる像≫はじめ≪三人≫≪画家の像≫≪五人≫の4点が勢ぞろいしたわけですが、植田さんは次にように書いています。

 ≪三人≫では「三世代の人物が描かれ」、≪五人≫では「描かれたのは竣介の家族(ただし構想された)」、そして≪画家の像≫で立っている青年が竣介本人、隣に座るのが禎子夫人と、図録解説にある。定説、いや当然の事実といっていいのだろうが、この群像はさらに多義的な読みとりをうながすところがある。≪三人≫は家族なのか。あるいはひとりの人間の三段階における年齢の姿なのか。≪画家の像≫にも≪五人≫にも「構想された」子どもがいるが、それは画家にとっての家族の理想像なのか、あるいはどのような人(とくに子ども)に対しても家族という気持ちを持ってしまうことの表現なのか。
 これらの群像を眺めていると、ある感慨に襲われる。この人たちはほんとうにお互いに知っている同士なのだろうか、と。それはこの作品によってはじめて蘇ってきた私自身の、たしか中学生の頃の記憶そのものだった。両親も兄姉も私も、結局はそれぞれひとりを生きている。そして今の私と50年後の私はひとりなのか、それとも別人なのか、お互いに知り合っていくのか。だれでも子どものときに一度は意識される思いだが、その瞬間、逆に私はこれまでになく家族を痛感した。自分の生と死を知った。


 松本竣介については多くの評論、伝記、作品論が書かれていますが、実際の作品を予見なしにじっくりと凝視し、その作品を読み解こうとする植田さんの視点は新鮮です。
植田さん自身は「ボクは門外漢だから」と謙遜していますが、亭主にとってはいままでにない竣介論が誕生しつつある興奮を隠せません。
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夏はヒマで、多くの画廊が一週間から長いところは一ヶ月くらいの夏休みをとります。
それにさからって毎年お盆の時期に合わせて開催してきた「ジョック・スタージス展」も、今回で5回目となります。
遠方からの方も多く、暑い中、ご来場を感謝する次第です。
常連の林さんがご自身のブログで感想をかかれましたのでお読みください。
ジョック・スタージス展1ジョック・スタージス展2

ジョック・スタージス展3ジョック・スタージス展4

ジョック・スタージスについては、以前、小林美香さんにエッセイを執筆していただいていますのでこちらもぜひお読みください。

小林美香「ジョック・スタージス展によせて」
第一回
第二回
第三回

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●明日のブログは、飯沢耕太郎さんの「日本の写真家たち」第4回・植田正治です。お楽しみに。

◆ときの忘れものは、2012年8月10日(金)ー8月18日(土)「ジョック・スタージス写真展」を開催しています(会期中無休)。
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