ホームページへのアクセスは一日500件前後、ブログには毎日200~300人の方がアクセスしています。毎日お付き合いくださる方が200人以上もいらっしゃるわけで、植田実先生、小林美香さん、井桁裕子さん、荒井由泰さん、土渕信彦さん、飯沢耕太郎さんはじめ連載執筆者の皆さんのおかげと深く感謝しています。
ここ数日のことですが、ブログへのアクセスが急増しました。
原因のひとつは、内田樹先生が井桁裕子さんの個展の会期を勘違いして一週間早く来廊されてしまったこと(内田樹先生、誤報です)。その顛末を内田先生がツイッターして下さったおかげで(フォロワー9万人)井桁さんの何よりの宣伝になったようです。
内田先生ありがとうございます!
そしてもうひとつは、イリナ・イオネスコが娘のエヴァ・イオネスコに訴えられたニュースが原因です。
裁判の結果が気になりますが、エヴァが母親との確執を描いた映画「My Little Princess」を制作したことも関連しているのかも知れませんね。
さて、解散総選挙。
震災復興の費用の使い道についての議論がいろいろ話題になっていますが、近代日本が直面した大災害(大火、地震、戦災など)に対して、その時代時代の人々はどのように向かい合ってきたか。
地下鉄日比谷線「築地駅」から歩いて10分ばかりの中央区立郷土天文館で銀座と都市復興に関する展覧会が開催されています。
「ふたつの銀座復興 文明開化とモダン文化」
会期=2012年10月13日(土曜日)~11月25日(日曜日)
入場料 無料
休館日 毎週月曜日
会場=中央区立郷土天文館 〒104-0044
中央区明石町12-1 中央区保健所等複合施設6階
タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)
電話 03-3546-5537


近代における銀座は、明治5年の大火による焼失と、大正12年の関東大震災による罹災、昭和20年の戦災による焼失という3度にわたる惨禍にみまわれました。そして、それぞれの復興の過程で、銀座は見事に日本随一の繁華街としてよみがえりました。
明治5年の大火ののち、現在の銀座繁栄の原点ともいえる明治初年の銀座煉瓦街建設により銀座は西欧風の町並みに変貌し、それにふさわしい商店、新聞社、通信社、飲食店などが立地し、先端の商業地、情報・文化の発信地としての繁華街が形成されました。明治末から大正期にかけて市民の新しい憩いの場としてのカフェーが繁栄し、いわゆるカフェー文化が栄える時代を迎えました。
大正12年の関東大震災では壊滅的な打撃を受けましたが、銀座はいち早く復旧・復興を成し遂げました。復興の過程で百貨店の進出、地下鉄など交通機関の整備などにより銀座での滞留人口が増えることにより大衆化し、結果的に地元商店も繁栄しました。
本展示では、明治5年の大火と大正12年の関東大震災という大災害と、その復興の過程を紹介するとともに、商店の営みと風俗の変遷に焦点を当て、繁華街として発展する過程をたどります。
(同館HPより)
●展示構成
1 銀座大火とその復興
幕末の銀座/銀座大火
【主な展示物】
瓦版「明治五年二月二十六日銀座大火」ほか
2 明治の銀座復興
煉瓦街の建設/文明開化のすがた/情報の発信地/商店
銀座をめざして/銀座通りのショーウィンドー(大正6.7年)/カフェー誕生/
明治・大正期のまちなみ/銀座五十年祭祝賀会
銀座新聞街の新聞(朝野新聞、いろは新聞)、
服部時計店時計、カフェーパウリスタ食器類ほか
3 関東大震災とその復興
関東大地震の発生/昭和の銀座復興-バラック建築/帝都復興祭/震災後の本建築/銀座の商店
震災の様子を写した絵葉書、
パノラマ絵巻(震災後の銀座4・5丁目西側のようす)ほか
4 モダン銀座
モダン文化の発生/カフェー文化/マネキン・ガール/
銀座と文士たち/銀座の本と雑誌/銀座の流行歌/昭和11~16年銀座点描
大正末から昭和初期のドレス、味の銀座オンパレード(案内地図)、
文士(久米雅夫関係資料等)ほか
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亭主が藤森照信先生と植田実先生の監修で編集した『銀座モダンと都市意匠』もぜひご一読ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
ここ数日のことですが、ブログへのアクセスが急増しました。
原因のひとつは、内田樹先生が井桁裕子さんの個展の会期を勘違いして一週間早く来廊されてしまったこと(内田樹先生、誤報です)。その顛末を内田先生がツイッターして下さったおかげで(フォロワー9万人)井桁さんの何よりの宣伝になったようです。
内田先生ありがとうございます!
そしてもうひとつは、イリナ・イオネスコが娘のエヴァ・イオネスコに訴えられたニュースが原因です。
裁判の結果が気になりますが、エヴァが母親との確執を描いた映画「My Little Princess」を制作したことも関連しているのかも知れませんね。
さて、解散総選挙。
震災復興の費用の使い道についての議論がいろいろ話題になっていますが、近代日本が直面した大災害(大火、地震、戦災など)に対して、その時代時代の人々はどのように向かい合ってきたか。
地下鉄日比谷線「築地駅」から歩いて10分ばかりの中央区立郷土天文館で銀座と都市復興に関する展覧会が開催されています。
「ふたつの銀座復興 文明開化とモダン文化」
会期=2012年10月13日(土曜日)~11月25日(日曜日)
入場料 無料
休館日 毎週月曜日
会場=中央区立郷土天文館 〒104-0044
中央区明石町12-1 中央区保健所等複合施設6階
タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)
電話 03-3546-5537


近代における銀座は、明治5年の大火による焼失と、大正12年の関東大震災による罹災、昭和20年の戦災による焼失という3度にわたる惨禍にみまわれました。そして、それぞれの復興の過程で、銀座は見事に日本随一の繁華街としてよみがえりました。
明治5年の大火ののち、現在の銀座繁栄の原点ともいえる明治初年の銀座煉瓦街建設により銀座は西欧風の町並みに変貌し、それにふさわしい商店、新聞社、通信社、飲食店などが立地し、先端の商業地、情報・文化の発信地としての繁華街が形成されました。明治末から大正期にかけて市民の新しい憩いの場としてのカフェーが繁栄し、いわゆるカフェー文化が栄える時代を迎えました。
大正12年の関東大震災では壊滅的な打撃を受けましたが、銀座はいち早く復旧・復興を成し遂げました。復興の過程で百貨店の進出、地下鉄など交通機関の整備などにより銀座での滞留人口が増えることにより大衆化し、結果的に地元商店も繁栄しました。
本展示では、明治5年の大火と大正12年の関東大震災という大災害と、その復興の過程を紹介するとともに、商店の営みと風俗の変遷に焦点を当て、繁華街として発展する過程をたどります。
(同館HPより)
●展示構成
1 銀座大火とその復興
幕末の銀座/銀座大火
【主な展示物】
瓦版「明治五年二月二十六日銀座大火」ほか
2 明治の銀座復興
煉瓦街の建設/文明開化のすがた/情報の発信地/商店
銀座をめざして/銀座通りのショーウィンドー(大正6.7年)/カフェー誕生/
明治・大正期のまちなみ/銀座五十年祭祝賀会
銀座新聞街の新聞(朝野新聞、いろは新聞)、
服部時計店時計、カフェーパウリスタ食器類ほか
3 関東大震災とその復興
関東大地震の発生/昭和の銀座復興-バラック建築/帝都復興祭/震災後の本建築/銀座の商店
震災の様子を写した絵葉書、
パノラマ絵巻(震災後の銀座4・5丁目西側のようす)ほか
4 モダン銀座
モダン文化の発生/カフェー文化/マネキン・ガール/
銀座と文士たち/銀座の本と雑誌/銀座の流行歌/昭和11~16年銀座点描
大正末から昭和初期のドレス、味の銀座オンパレード(案内地図)、
文士(久米雅夫関係資料等)ほか
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亭主が藤森照信先生と植田実先生の監修で編集した『銀座モダンと都市意匠』もぜひご一読ください。
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