<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第1回

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岩のむこうには何もない。そのことが気になる。
もし空だとしたら相当な標高なのではないか。それとも霧がかかっていて、むこうにあるものが見えないだけなのだろうか。
下を見たら何が見えるだろうとも考える。そこは谷で細い川が紐のように流れているような気がする。しかしこの連想は写真のどの部分から湧いてくるのだろう。
よく見ると岩場全体が画面の左手にむかって傾いている。岩ががらがらと崩れてきそうな危うい感じを抱く。眼下が細い谷であるという連想は、もしかしたらそこ から来ているのかもしれない。かつてこういう足場の危ないところから遥か下方を見下ろしたときの記憶を無意識のうちに重ねて見ているのだ。
写真の左下の部分がわずかに黒みを増していることも関係あるような気がする。黒いということは暗いということで、それが深さの連想につながり、下のほうに引きづり込まれていくような錯覚をもたらす。
もうひとつ気になることがある。この写真にはサイズの手がかりがひとつもないということだ。「下を見下ろす」と書きながらそのことに気づいてはっとなった。
人間が鉛筆の先くらいにちっぽけな可能性もあるかもしれない、と画面のなかに鉛筆の先端をもっていった。するとあにはからんや、たちまち岩が膨らみ巨大になって眼前に迫ってきた。
反対の想像も不可能ではないだろう。画面の真ん中にスニーカーを履いた足がどんとあるという光景を思い浮かべてみる。すると岩は縮んで小石になり、深い谷の幻影も消え、危機感が去ってしまうのに気付くだろう。
モノのサイズを変えたりわからなくさせるのは写真の特性だ。接写すれば見慣れたものの先にまったく別の世界が現れ出るのだ。これほど極端に サイズを変化させることは肉眼では出来ないから、レンズとの遭遇によって人のイマジネーションがいかに別の次元へと導かれていったかが想像できる。
もしこの岩場に草の一本も生えていれば話はちがってくるだろう。
そこからサイズを類推しようとする意識がほとんど自動的に発動するからだ。
だがここには生きている物質が何もない。
鉱物だけの世界。 それがサイズ感の失われた世界の恐怖につながっている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
~~~~
●紹介作品データ:
村越としや
「福島2012」
2012年撮影(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.0x56.0cm
シートサイズ:50.8x61.0cm
裏面にサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■村越としや Toshiya MURAKOSHI(1980-)
1980年福島県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業、写真活動をはじめる。一貫して生まれ育った福島の風景をモノクロで撮りつづけている。2011年日本 写真協会賞新人賞を受賞。2009年、自主ギャラリーTAPを開設、定期的に作品を発表しながら、写真集を上梓する。2012年、「写真の現在4」(東京 国立近代美術館)に参加。同年、写真集出版レーベルplump WorM factoryを設立、最新作は『大きな石とオオカミ』。
*画廊亭主敬白
大竹昭子さんに「レンズ通り午前零時」に続く新連載エッセイをお願いしました。
新春メッセージで、「現在活躍中の日本の写真家の写真一点を取り上げ、そこから感じとれることをエッセイふうにつづるというもので、二〇〇八年に出した『この写真がすごい』の発展形とも言える内容です。どんな写真を取り上げようかといま楽しい悩みに暮れています。」と予告されたとおり、毎月1日掲載の長期連載です。
私たちも未知の写真家に出会える期待に胸ふくらませています。
小林美香さんの「写真のバックストーリー」とともに、お楽しみください。
◆ときの忘れものは、2013年2月8日[金]―2月16日[土]「銀塩写真の魅力 IV展」を開催します。
銀塩写真のモノクロームプリントの持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも4回目を迎えました。
本展では、北井一夫、五味彬、植田正治、大竹昭子、細江英公、佐藤理、エドワード・スタイケン、ジョック・スタージス、ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・メープルソープ、ウィン・バロックらのモノクローム作品約20点をご覧いただきます。

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岩のむこうには何もない。そのことが気になる。
もし空だとしたら相当な標高なのではないか。それとも霧がかかっていて、むこうにあるものが見えないだけなのだろうか。
下を見たら何が見えるだろうとも考える。そこは谷で細い川が紐のように流れているような気がする。しかしこの連想は写真のどの部分から湧いてくるのだろう。
よく見ると岩場全体が画面の左手にむかって傾いている。岩ががらがらと崩れてきそうな危うい感じを抱く。眼下が細い谷であるという連想は、もしかしたらそこ から来ているのかもしれない。かつてこういう足場の危ないところから遥か下方を見下ろしたときの記憶を無意識のうちに重ねて見ているのだ。
写真の左下の部分がわずかに黒みを増していることも関係あるような気がする。黒いということは暗いということで、それが深さの連想につながり、下のほうに引きづり込まれていくような錯覚をもたらす。
もうひとつ気になることがある。この写真にはサイズの手がかりがひとつもないということだ。「下を見下ろす」と書きながらそのことに気づいてはっとなった。
人間が鉛筆の先くらいにちっぽけな可能性もあるかもしれない、と画面のなかに鉛筆の先端をもっていった。するとあにはからんや、たちまち岩が膨らみ巨大になって眼前に迫ってきた。
反対の想像も不可能ではないだろう。画面の真ん中にスニーカーを履いた足がどんとあるという光景を思い浮かべてみる。すると岩は縮んで小石になり、深い谷の幻影も消え、危機感が去ってしまうのに気付くだろう。
モノのサイズを変えたりわからなくさせるのは写真の特性だ。接写すれば見慣れたものの先にまったく別の世界が現れ出るのだ。これほど極端に サイズを変化させることは肉眼では出来ないから、レンズとの遭遇によって人のイマジネーションがいかに別の次元へと導かれていったかが想像できる。
もしこの岩場に草の一本も生えていれば話はちがってくるだろう。
そこからサイズを類推しようとする意識がほとんど自動的に発動するからだ。
だがここには生きている物質が何もない。
鉱物だけの世界。 それがサイズ感の失われた世界の恐怖につながっている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
村越としや
「福島2012」
2012年撮影(2013年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.0x56.0cm
シートサイズ:50.8x61.0cm
裏面にサインあり
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■村越としや Toshiya MURAKOSHI(1980-)
1980年福島県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業、写真活動をはじめる。一貫して生まれ育った福島の風景をモノクロで撮りつづけている。2011年日本 写真協会賞新人賞を受賞。2009年、自主ギャラリーTAPを開設、定期的に作品を発表しながら、写真集を上梓する。2012年、「写真の現在4」(東京 国立近代美術館)に参加。同年、写真集出版レーベルplump WorM factoryを設立、最新作は『大きな石とオオカミ』。
*画廊亭主敬白
大竹昭子さんに「レンズ通り午前零時」に続く新連載エッセイをお願いしました。
新春メッセージで、「現在活躍中の日本の写真家の写真一点を取り上げ、そこから感じとれることをエッセイふうにつづるというもので、二〇〇八年に出した『この写真がすごい』の発展形とも言える内容です。どんな写真を取り上げようかといま楽しい悩みに暮れています。」と予告されたとおり、毎月1日掲載の長期連載です。
私たちも未知の写真家に出会える期待に胸ふくらませています。
小林美香さんの「写真のバックストーリー」とともに、お楽しみください。
◆ときの忘れものは、2013年2月8日[金]―2月16日[土]「銀塩写真の魅力 IV展」を開催します。
銀塩写真のモノクロームプリントの持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも4回目を迎えました。
本展では、北井一夫、五味彬、植田正治、大竹昭子、細江英公、佐藤理、エドワード・スタイケン、ジョック・スタージス、ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・メープルソープ、ウィン・バロックらのモノクローム作品約20点をご覧いただきます。
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