君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」 第1回

法隆寺「百済観音」

最近、仏像ブームと言われている。
東京で阿修羅像の展覧会が開催されたあたりから、メディアが仏像を取り上げる機会も増え、更にブームを加速させたのだろう。現在も多くの人々が、仏像を見るために寺院や博物館へと足を運んでいる状況は変わりない。

実は、私も仏像好きであった。
大学時代も仏像について学び、京都や奈良の寺院を巡っていた。
そして、この春から仏教系大学で博士後期課程へと進学する事となった。
しかし最近は、仏教美術に研究として関わる機会が増えたせいか、以前のように「仏像が好き」と単純に言えなくなってきたように思う。
そんなわけで仏像ブームの波にはすっかり乗り遅れ、仏像について自由に感想を述べる事もなくなってしまった。しかし、論文と違いエッセイであれば個人的な感想を書くことができるのではないかと思い、このようなエッセイを連載させていただく機会をいただいた。「仏像」、そして制作の中心である「墨」について、これから少しずつ書いていきたいと思っている。

エッセイの最初に「百済観音」を選んだ。
なぜなら仏像に興味をもったのは、百済観音からであったからだ。
中学の修学旅行で法隆寺を訪れた際、初めて百済観音を拝観した時の不思議な感覚は忘れられない。まだ「百済観音堂」落慶の前であったため、大宝蔵殿に他の多くの仏像と共に安置されていた。この時は特に百済観音のみ目立った演出はされていないが、どうしても忘れられず、東京に帰ってから、その像の事を調べた。

「百済観音」その名が示すように異国風にも見えるその容貌は、多くの仏像が安置されている法隆寺の中でも異質なものであった。それは1000年以上の時間を感じさせる経年変化からくる不思議な表情や9等身のプロポーションだけでは説明出来ない独特の存在感である。
軽やかに水瓶を持つ左手と前後への滑らかなカーブを描く天衣の両方を見る事が出来る、左側からの美しさがよく語られている。
また、そっと差し出された右手は少しうつむいた首の動きと共に語りかける姿のようにも感じられる。異形でありながら人間味を感じられることが仏像の魅力のひとつであるが、それは百済観音にも当てはまるものであろう。

Buddha01s


他の飛鳥時代の仏像と異なり側面からの視点が強調される百済観音であるが、私が最も心惹かれるのは、正面の姿である。
曲線的な動きのある側面に対して、正面は直線的ではある。
蓮台の上に両足を揃えて立つ姿に確かな重力を感じつつ、天上へと伸びるような軽やかさがある。
それはまるでブランクーシの「無限柱」のように上部へ向う運動性である。
ブランクーシによる空へと無限に続くかのように繰り返す造形は、無機的な造形であるが有機的にも感じられる。それを生命的な動きとも捉えられるが、私はそこに天上へと続く崇高な光の線のような感覚をもつ。

この崇高な光は百済観音にも共通するものである。
像自体も210cmと等身大の人間よりも高いのだが、それだけではない上へ伸びる崇高さは何であろうか?
光背を支える竹を模した竿の下部には、仏教の中心にそびえる須弥山が表されており。巨大な山よりも遥かに大きな姿を想像させるその表現は、遥か宇宙との繋がりを感じさせるものである。
このようなスケールを秘めているからこそ、そこには崇高な光が見えるのかもしれない。

実は、大英博物館で新納忠之介による百済観音の模造を目の前にした時にも似たような感覚を覚えた。もちろん大英博物館を訪れたのがロンドンで生活し1ヶ月が過ぎた頃であり望郷の思いもあっただろう。
しかし、儀礼的に魂が込められた仏像に対し、彫刻作品に儀礼性はない。
魂を込められていない模造に対しても崇高な光を感じるのであれば、それは造形からくるものである。

造形によって崇高さを表現するとはどのような事であろうかと考えた時に、ブランクーシが思い出された。
「無限柱」のように天上とのつながりを感じさせる造形から、崇高な光を感じることができる。それは立派なケースに納められた現在も変わらないだろう。
(きみじまあやこ)

君島彩子 Ayako KIMIJIMA(1980-)
1980年生まれ。2004年和光大学表現学部芸術学科卒業。現在、大正大学大学院文学研究科在学。
主な個展:2012年ときの忘れもの、2009年タチカワ銀座スペース Åtte、2008年羽田空港 ANAラウンジ、2007年新宿プロムナードギャラリー、2006年UPLINK GALLERY、現代Heigths/Gallery Den、2003年みずほ銀行数寄屋橋支店ストリートギャラリー、1997年Lieu-Place。主なグループ展:2007年8th SICF 招待作家、2006年7th SICF、浅井隆賞、第9回岡本太郎記念現代芸術大賞展。

*画廊亭主敬白
物故作家や年配の方が多いときの忘れものの作家では君島彩子さんは若手の筆頭。
昨年も新作個展で気をはいてくれましたが、今年は大学院の博士後期課程へ進んだのを契機にブログでの連載をはじめてくれることになりました。
画業に学問に君島さんのさらなる活躍を期待しましょう。