君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」 第2回
國立故宮博物院「青銅鍍金釈迦牟尼仏坐像」
3月末に数日間であるが台北を旅してきた。
台北に到着した初日に國立故宮博物院を訪れた。有名な「翠玉白菜」や「肉形石」は、前回訪れた際に鑑賞していたので、今回は混雑していたこともあり見送った。そして私は、特に興味のある絵画と仏像を中心に鑑賞しようと決めた。
宋代の山水画は、余白の美を大切にする日本の山水画とは対象的に画面を埋め尽くす迫力があり圧倒された。しかし淡墨を重ね、細部まで描き込まれた画面上にも漢詩や画賛などの「書」の要素があり、漢字や漢文が苦手な自分には読めないという悲しさが残った。そして「絵画」と「書」が切り離せない関係にあることを改めて確認し、絵画のみを鑑賞しようとしていた自分の行動を反省した。
もともと油彩画を学んでいたこともあり、画面上に文字が入ることに慣れないこともあるが、墨の長い歴史を考えれば、書の要素は必ず関係するものであると思われる。まずは落款印を押す際にもっと気を使おうと無数の所蔵印が押された画巻を見ながら考えた。
そしてもうひとつ目的である仏像も拝観した。故宮博物院には書画や陶芸だけでなく、仏像もすばらしいコレクションがある。
仏像が展示された部屋には「慈悲與智慧-宗教雕塑藝術 Benevolence and Wisdom: Buddhist Sculptural Arts」とあった。仏像ではなく宗教彫塑芸術という言葉を使っている事が少しだけ気になった。しかし、英語はBuddhist Sculptural Artsつまり仏像となっている。キャプションを読んでいると「佛教造像」という言葉はあるが芸術的、造形的な意味が強いようで、逆に慈悲や智慧という信仰としての側面を強調するために宗教という言葉が使われているようであった。「宗教」自体は日本で明治期に作られ中国へ伝わった新しい言葉であるため、日本と用法にあまり変わりはないのかもしれない。しかし文化的背景から意味合いが少し違うのかもしれないので、中国語ができる方がいたら教えていただきたいと思った。ただエッセイでは、日本語で慣れ親しんだ仏像という言葉を分かりやすいように使用したいと思う。
故宮博物院で特に気になった仏像は、460年頃につくられた「青銅鍍金釈迦牟尼仏坐像」である。460年、『日本書紀』に基づけば日本に正式に仏教が伝わる100年近く前である。日本では埴輪が古墳に並べられていた時代に、こんな精巧な仏像を作る技術があったのかという驚きもあったが、それ以上に仏教の物語を図像化する表現力に驚いた。
この像の光背裏面には精巧な彫刻が施されており、それぞれが釈迦にまつわる物語が表されている。上段中央には、法華信仰でよく図像化される多宝塔、つまり塔の中に釈迦如来と多宝如来が坐している図が表されている。塔の外、左右両側に如意を手にした文殊菩薩と塵尾を手にした維摩菩薩が向かい合い語らっている。法隆寺五重塔内の塑像群にも同じ場面があるのは知られているが、この光背裏面に塑像群の源流を見た気がした。
中段中央は、釈迦が鹿野苑にて初転法輪した図である。下段中央は、花まつりでも馴染み深い、釈迦が生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」といって天と地を指差している様子が表されている。その左側に釈迦の母親である摩耶夫人が木にもたれて立っている。釈迦は摩耶夫人の右脇から誕生したことになっているので、産まれる瞬間と、産まれた直後を表現していることになる。また右側には仏の湯浴みを手伝う龍王、その両側に帝釈天と梵天が表される。
たった40センチほどの光背の中にこれほどの物語が表現されているという事は、技術力もあるが、経典がよく理解されていたからこそであろう。このような物語としての仏像表現はガンダーラのレリーフを思い起こさせるものでもある。また台座の両前方に立ち上がった獅子の彫刻があり、これもガンダーラからの影響を感じさせる。しかし正面から見た光背には、釈迦の周囲に七仏が表され、光背外側には燃える炎の文様が広がる。このような光背に表された炎のイメージはインドから西域を経て中国に仏像が伝わる課程で生まれたものである。小さな仏像を通して歴史的にも地理的にもアジアを横断するイメージを感じることができたことができた瞬間であった。

台北滞在最終日、せっかくなので、新しい墨と筆を入手しようと台北の書文具店を訪れた。言葉が通じないので、筆談となる。店員は、紙に「書」と「畫」2つの漢字を書いて見せた。一瞬、同じ字に見えたので戸惑った。日本では通常「画」の字を使用するので、「畫」を使う機会はほとんどない。「畫」の字は改めてみると「書」と似ており漢字が作られる課程での関係性を予感させる。そして数日前に感じた書画の関係性にまた思いを巡らせることになった。
店員が勧めた筆は「書」にも「畫」にも使用できるというもので、細かい線も太い線も引くことができた。水含みが良いので私の描き方にあっており非常に重宝している。
また現在、この筆と同じ店で購入した30年ものの古墨に、以前より気にいっている日本の青墨を少し混ぜて韓紙に描いている。材料によってもたらされた少しインターナショナルな気分は、さまざまなボーダーが消えていくような一瞬の夢を見させてくれる。
(きみじまあやこ)
■君島彩子 Ayako KIMIJIMA(1980-)
1980年生まれ。2004年和光大学表現学部芸術学科卒業。現在、大正大学大学院文学研究科在学。
主な個展:2012年ときの忘れもの、2009年タチカワ銀座スペース Åtte、2008年羽田空港 ANAラウンジ、2007年新宿プロムナードギャラリー、2006年UPLINK GALLERY、現代Heigths/Gallery Den、2003年みずほ銀行数寄屋橋支店ストリートギャラリー、1997年Lieu-Place。主なグループ展:2007年8th SICF 招待作家、2006年7th SICF、浅井隆賞、第9回岡本太郎記念現代芸術大賞展。
◆君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
國立故宮博物院「青銅鍍金釈迦牟尼仏坐像」
3月末に数日間であるが台北を旅してきた。
台北に到着した初日に國立故宮博物院を訪れた。有名な「翠玉白菜」や「肉形石」は、前回訪れた際に鑑賞していたので、今回は混雑していたこともあり見送った。そして私は、特に興味のある絵画と仏像を中心に鑑賞しようと決めた。
宋代の山水画は、余白の美を大切にする日本の山水画とは対象的に画面を埋め尽くす迫力があり圧倒された。しかし淡墨を重ね、細部まで描き込まれた画面上にも漢詩や画賛などの「書」の要素があり、漢字や漢文が苦手な自分には読めないという悲しさが残った。そして「絵画」と「書」が切り離せない関係にあることを改めて確認し、絵画のみを鑑賞しようとしていた自分の行動を反省した。
もともと油彩画を学んでいたこともあり、画面上に文字が入ることに慣れないこともあるが、墨の長い歴史を考えれば、書の要素は必ず関係するものであると思われる。まずは落款印を押す際にもっと気を使おうと無数の所蔵印が押された画巻を見ながら考えた。
そしてもうひとつ目的である仏像も拝観した。故宮博物院には書画や陶芸だけでなく、仏像もすばらしいコレクションがある。
仏像が展示された部屋には「慈悲與智慧-宗教雕塑藝術 Benevolence and Wisdom: Buddhist Sculptural Arts」とあった。仏像ではなく宗教彫塑芸術という言葉を使っている事が少しだけ気になった。しかし、英語はBuddhist Sculptural Artsつまり仏像となっている。キャプションを読んでいると「佛教造像」という言葉はあるが芸術的、造形的な意味が強いようで、逆に慈悲や智慧という信仰としての側面を強調するために宗教という言葉が使われているようであった。「宗教」自体は日本で明治期に作られ中国へ伝わった新しい言葉であるため、日本と用法にあまり変わりはないのかもしれない。しかし文化的背景から意味合いが少し違うのかもしれないので、中国語ができる方がいたら教えていただきたいと思った。ただエッセイでは、日本語で慣れ親しんだ仏像という言葉を分かりやすいように使用したいと思う。
故宮博物院で特に気になった仏像は、460年頃につくられた「青銅鍍金釈迦牟尼仏坐像」である。460年、『日本書紀』に基づけば日本に正式に仏教が伝わる100年近く前である。日本では埴輪が古墳に並べられていた時代に、こんな精巧な仏像を作る技術があったのかという驚きもあったが、それ以上に仏教の物語を図像化する表現力に驚いた。
この像の光背裏面には精巧な彫刻が施されており、それぞれが釈迦にまつわる物語が表されている。上段中央には、法華信仰でよく図像化される多宝塔、つまり塔の中に釈迦如来と多宝如来が坐している図が表されている。塔の外、左右両側に如意を手にした文殊菩薩と塵尾を手にした維摩菩薩が向かい合い語らっている。法隆寺五重塔内の塑像群にも同じ場面があるのは知られているが、この光背裏面に塑像群の源流を見た気がした。
中段中央は、釈迦が鹿野苑にて初転法輪した図である。下段中央は、花まつりでも馴染み深い、釈迦が生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」といって天と地を指差している様子が表されている。その左側に釈迦の母親である摩耶夫人が木にもたれて立っている。釈迦は摩耶夫人の右脇から誕生したことになっているので、産まれる瞬間と、産まれた直後を表現していることになる。また右側には仏の湯浴みを手伝う龍王、その両側に帝釈天と梵天が表される。
たった40センチほどの光背の中にこれほどの物語が表現されているという事は、技術力もあるが、経典がよく理解されていたからこそであろう。このような物語としての仏像表現はガンダーラのレリーフを思い起こさせるものでもある。また台座の両前方に立ち上がった獅子の彫刻があり、これもガンダーラからの影響を感じさせる。しかし正面から見た光背には、釈迦の周囲に七仏が表され、光背外側には燃える炎の文様が広がる。このような光背に表された炎のイメージはインドから西域を経て中国に仏像が伝わる課程で生まれたものである。小さな仏像を通して歴史的にも地理的にもアジアを横断するイメージを感じることができたことができた瞬間であった。

台北滞在最終日、せっかくなので、新しい墨と筆を入手しようと台北の書文具店を訪れた。言葉が通じないので、筆談となる。店員は、紙に「書」と「畫」2つの漢字を書いて見せた。一瞬、同じ字に見えたので戸惑った。日本では通常「画」の字を使用するので、「畫」を使う機会はほとんどない。「畫」の字は改めてみると「書」と似ており漢字が作られる課程での関係性を予感させる。そして数日前に感じた書画の関係性にまた思いを巡らせることになった。
店員が勧めた筆は「書」にも「畫」にも使用できるというもので、細かい線も太い線も引くことができた。水含みが良いので私の描き方にあっており非常に重宝している。
また現在、この筆と同じ店で購入した30年ものの古墨に、以前より気にいっている日本の青墨を少し混ぜて韓紙に描いている。材料によってもたらされた少しインターナショナルな気分は、さまざまなボーダーが消えていくような一瞬の夢を見させてくれる。
(きみじまあやこ)
■君島彩子 Ayako KIMIJIMA(1980-)
1980年生まれ。2004年和光大学表現学部芸術学科卒業。現在、大正大学大学院文学研究科在学。
主な個展:2012年ときの忘れもの、2009年タチカワ銀座スペース Åtte、2008年羽田空港 ANAラウンジ、2007年新宿プロムナードギャラリー、2006年UPLINK GALLERY、現代Heigths/Gallery Den、2003年みずほ銀行数寄屋橋支店ストリートギャラリー、1997年Lieu-Place。主なグループ展:2007年8th SICF 招待作家、2006年7th SICF、浅井隆賞、第9回岡本太郎記念現代芸術大賞展。
◆君島彩子さんのエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
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