植田実のエッセイ
美術展のおこぼれ42
「恩地孝四郎展」
会場:ときの忘れもの
会期:2013年6月25日―7月6日

木版が中心なのは当然だが、素描、水彩、オフセットも各1点ずつ、あわせて20点足らずという規模なのに、1910年代、20年代、30年代、40年代にわたる制作年のスケールが張り渡され、作品傾向も多角で、見始めるときりがない。何度もくりかえし見てまわることになる。
けれども恩地孝四郎という人について、その生涯の作品展開を時代を追ってたどってみたり、時代と作品傾向との関係を意識したりすることは、私はじつはこれまで一度もなかった。その形態と色彩のモダンな斬新さと盤石の安定感を、いつも「いいなあー」と漫然と楽しむばかりで、彼は初めから終わりまで太陽の如くその恵みが変わらない恩地孝四郎であり、彼にとっては紆余曲折なぞありえない、みたいな気分で接していた。それがこの企画展を機にガラッと変わったのである。
昨年の暮だったが、ときの忘れもので、新しく刊行された桑原規子著『恩地孝四郎研究―版画のモダニズム』(せりか書房)を見せられ、そこにおられた著者にも紹介されて、即座に1冊を買わせてもらったものの、A5判576ページの大著である。おまけにブックデザインが峻厳さではダントツの中垣信夫(当然ハードカバーの角背)。頂上を見上げるばかりで麓から一歩も進めない。チャレンジしても数ヵ月はかかるだろうと思いつつツンドク状態になっていた。
それからまもないこの時期に恩地展が開かれ会期中に桑原先生のギャラリートークがあるというので、その前に少しでも目を通しておこうとおずおずと読みはじめたら、あまりの面白さにすらすらと最終章まで行ってしまった(とはいえ2日間を要した)。
この研究書をどれほどうまく要約したとしても、本文そのものの文体が帯びている理解へのスピード感とより大きな日本近代美術全体へと向かう開放感には敵わないと思う。それほど読んでいて気持ちのいい記述であり、いいかえれば恩地孝四郎という一作家の解明が即、この100年の日本の美術界のありようへの展望になっているのである。これまでの美術館における企画展とその図録というセットというルーティン化した観賞体験が、小さな画廊での展示とその画家の決定的な研究という組み合わせにとって替わったみたいな。
もうひとつ、この恩地展によって思い出したことがある。かつてアルス(編輯兼発行者:北原鐵雄)から「日本兒童文庫」というシリーズものが出されていて、その表紙を恩地がデザインしていた。第50巻(1928年発行)が理学博士・正木不如丘著『身體と食物』で、恩地は表紙だけでなく口絵と本文の挿画まで担当している。人体の仕組みが分かるように各部位に区分し、それを人造人間として組み立てる作業を通して子どもたちが身体と食物との関係を学ぶ、といった筋立てになっているのだが、私はこの西瓜頭の人造人間が大好きだった。食物の食べ方の項では「ゆっくりよく噛んで食べましょう、あとはしっかり歯を磨きましょう」に共感し、挿画を真似て口中を飛ぶ(!?)バイキンの絵を描いて洗面所の鏡の横に張ったものだ。やがてそのまま学童集団疎開に出かけたので、小学2、3年のころだったのだろう。
戦災で私のバイキンの絵も日本兒童文庫も失われたが、ずっとあと、今からたぶん20年ぐらい前に、神保町の古書店で見つけて買い戻したのだった。そのこともすっかり忘れていたのを思い出し、半日がかりで書庫のなかから探し出した。いま見直しても、子どもでも描けそうなシンプルな線なのに計り知れない不思議感の魅力は変わらない。それは当時の絵本作家(「講談社の絵本」の梁川剛一とか)や少年小説の挿絵画家(「亜細亜の曙」の樺島勝一とか)とはまた別に、子どもたちに呼びかけていた画家の存在を教えてくれる。私は人生の初めに恩地孝四郎と出会ったのである。



(2013.7.4 うえだまこと)
美術展のおこぼれ42
「恩地孝四郎展」
会場:ときの忘れもの
会期:2013年6月25日―7月6日

木版が中心なのは当然だが、素描、水彩、オフセットも各1点ずつ、あわせて20点足らずという規模なのに、1910年代、20年代、30年代、40年代にわたる制作年のスケールが張り渡され、作品傾向も多角で、見始めるときりがない。何度もくりかえし見てまわることになる。
けれども恩地孝四郎という人について、その生涯の作品展開を時代を追ってたどってみたり、時代と作品傾向との関係を意識したりすることは、私はじつはこれまで一度もなかった。その形態と色彩のモダンな斬新さと盤石の安定感を、いつも「いいなあー」と漫然と楽しむばかりで、彼は初めから終わりまで太陽の如くその恵みが変わらない恩地孝四郎であり、彼にとっては紆余曲折なぞありえない、みたいな気分で接していた。それがこの企画展を機にガラッと変わったのである。
昨年の暮だったが、ときの忘れもので、新しく刊行された桑原規子著『恩地孝四郎研究―版画のモダニズム』(せりか書房)を見せられ、そこにおられた著者にも紹介されて、即座に1冊を買わせてもらったものの、A5判576ページの大著である。おまけにブックデザインが峻厳さではダントツの中垣信夫(当然ハードカバーの角背)。頂上を見上げるばかりで麓から一歩も進めない。チャレンジしても数ヵ月はかかるだろうと思いつつツンドク状態になっていた。
それからまもないこの時期に恩地展が開かれ会期中に桑原先生のギャラリートークがあるというので、その前に少しでも目を通しておこうとおずおずと読みはじめたら、あまりの面白さにすらすらと最終章まで行ってしまった(とはいえ2日間を要した)。
この研究書をどれほどうまく要約したとしても、本文そのものの文体が帯びている理解へのスピード感とより大きな日本近代美術全体へと向かう開放感には敵わないと思う。それほど読んでいて気持ちのいい記述であり、いいかえれば恩地孝四郎という一作家の解明が即、この100年の日本の美術界のありようへの展望になっているのである。これまでの美術館における企画展とその図録というセットというルーティン化した観賞体験が、小さな画廊での展示とその画家の決定的な研究という組み合わせにとって替わったみたいな。
もうひとつ、この恩地展によって思い出したことがある。かつてアルス(編輯兼発行者:北原鐵雄)から「日本兒童文庫」というシリーズものが出されていて、その表紙を恩地がデザインしていた。第50巻(1928年発行)が理学博士・正木不如丘著『身體と食物』で、恩地は表紙だけでなく口絵と本文の挿画まで担当している。人体の仕組みが分かるように各部位に区分し、それを人造人間として組み立てる作業を通して子どもたちが身体と食物との関係を学ぶ、といった筋立てになっているのだが、私はこの西瓜頭の人造人間が大好きだった。食物の食べ方の項では「ゆっくりよく噛んで食べましょう、あとはしっかり歯を磨きましょう」に共感し、挿画を真似て口中を飛ぶ(!?)バイキンの絵を描いて洗面所の鏡の横に張ったものだ。やがてそのまま学童集団疎開に出かけたので、小学2、3年のころだったのだろう。
戦災で私のバイキンの絵も日本兒童文庫も失われたが、ずっとあと、今からたぶん20年ぐらい前に、神保町の古書店で見つけて買い戻したのだった。そのこともすっかり忘れていたのを思い出し、半日がかりで書庫のなかから探し出した。いま見直しても、子どもでも描けそうなシンプルな線なのに計り知れない不思議感の魅力は変わらない。それは当時の絵本作家(「講談社の絵本」の梁川剛一とか)や少年小説の挿絵画家(「亜細亜の曙」の樺島勝一とか)とはまた別に、子どもたちに呼びかけていた画家の存在を教えてくれる。私は人生の初めに恩地孝四郎と出会ったのである。



(2013.7.4 うえだまこと)
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