細江英公先生の特大サイズのプリントによる「細江英公写真展ー抱擁」は昨日終了いたしました。

常連の林さんがブログに感想を書いてくださいました。

ツイッターでは以下のような感想もいただきました。
<ときの忘れものにて、細江英公展。「抱擁」の大きなプリントが七枚。中には3部しかプリントされていないものも。これだけサイズが大きいと、抽象的な男女の肉体がより観念的なものへと昇華されていくようでした。〜> 
<ときの忘れものでやっている細江英公 「抱擁」。うーん確かにでかい。こんなでかいプリントで観るのは初めてだった。観た事のない写真も数点あったな。>
<ときの忘れもので開催中の細江英公さんの「抱擁」が非常によかった。やっぱ、巨大プリントはいい!>

ぎりぎり7点しか展示できなかったので、はたして反応はと思ったのですが、予想以上に皆さんに喜んでいただき、開催してよかった!

9月9日東京ドームホテルでグラフィックデザイナーの「中村誠さんを偲ぶ会」が開催され、亭主も出席してまいりました。
資生堂やデザイン界はもとより、阪神の掛布さんや、故郷盛岡の人たちなど大勢の人が集まり、中村さんを偲びました。
-------------------------
中村 誠さん、
ありがとう
ございました

 六月二日の午後、中村 誠さんがご逝去なさいました。
八十七歳でした。
 戦後のグラフィックデザインについて語るとき、忘れることのない大きな星が永遠に飛び去りました。写真の表現力を極限まで追求したB全のポスターは、特に女性美の表現において追随を許さぬものがあったと思います。また、そのお仕事は、日本の化粧品広告にとって得がたい収穫となりました。
 中村さんは、お仕事には妥協を許さぬ方でしたが、人材を見つめる目は広く深く、多くの才能を発掘なさいました。資生堂の宣伝部長であるとともに、名プロデューサーであったと思います。
 そして中村さんは、誰にも負けない阪神タイガースファンでした。本郷にお住まいの理由は、巨人・阪神戦が行われる後楽園が、自宅の窓から見える部屋を捜したからだとか・・・。
 その後楽園あとの東京ドームに近い、東京ドームホテルで、「中村 誠さんを偲ぶ会」を開催いたします。
 ビール一杯しか召し上がらないけれど、明るく笑い、大きな目が活発に動く中村さんのことを偲んで、秋の一日、どうぞおいでいただき、過ぎ去りし思い出をお聞かせいただければ幸甚でございます。


(「中村誠さんを偲ぶ会」の案内状より)
-------------------------
CIMG4994

39会場入り口には母校・盛岡商業高校同窓会からの花束が。
盛岡から出席したAさん。

CIMG4998


33献花式の会場正面には中村誠さんの遺影を囲み、資生堂の歴代の名作ポスターが。

12発起人を代表して永井一正さんが挨拶。

5039

4041

51おきよめの会場には中村さんの代表作「江戸小紋と北斎」はじめグラフィック作品や、阪神タイガース関連の遺品などが展示されました。

4515

1623

左)幾度も中村誠展を開催している岩手県萬鉄五郎記念美術館館長の中村さん(中村誠さんのご親戚でもあります)。
中央)資生堂元常務の柿崎さん。右は亭主。

亭主は、『資生堂ギャラリー七十五年史』の編集に携わっていたとき、中村誠さんはじめ宣伝部(意匠部)のOBたち(山本武夫、水野卓史、石岡瑛子、etc.,)にインタビューし、資生堂の歴史について種々教えを乞いました。
同書のデザイン監修は中村さんです。
当時は資生堂ギャラリーの運営委員でもあった中村さんですが、第四次椿会展の発足に関して偶然ですが舟越桂小野隆生百瀬寿という故郷岩手の作家たちが選ばれたことをたいへん喜ばれていました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。

●明日のブログは久しぶりに飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」を掲載します。
英文版とともにお楽しみください。