瑛九の訪れ
瀧口修造
しばしば画家の出発は、秘かに孤独に始まり、孤独に終る……というのも、つい空語に陥りやすい自由というものを心に抱いての独り旅であるからではあるまいか。
瑛九はけっしていわゆる孤絶の人なぞではなかった。いつも社会にむかってひらかれた心を持ちつづけたといってよいだろう。ただわが国の画壇(ルビ・・)というものの体質にはついになじまず、反撥しつづけた。瑛九は五〇歳を待たず惜しくも世を去ったけれど、多くのみずみずしい仕事、しかも先駆的な仕事を残している。そしてつねに若く、汚れを好まぬ人々の共感をえつつある。瑛九は歩みつづけている。瑛九が瑛九らしくあることがいかに大切なことであるか、私はいよいよ痛感するばかりである。
『現代美術の父 瑛九展』図録
小田急グランドギャラリー 瑛九展開催委員会 1979年6月
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瑛九は1960年3月10日48歳で没したが、その直後に国立近代美術館は「4人の作家」展(菱田春草、高村光太郎、上阪雅人、瑛九)を急遽開催(4月28日~6月5日)してその画業を顕彰した。
以降福井や宮崎などでたびたび遺作展、回顧展が開催されたが、最も大規模なものが1979年6月8日~20日に東京新宿の小田急グランドギャラリーで開催された『現代美術の父 瑛九展』である。
瀧口は主催の瑛九展開催委員会の一人として協力し、上掲の文章をカタログに寄稿した。
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先日の「第24回瑛九展 瑛九と瀧口修造」は瑛九と瀧口修造との関係にスポットをあてた展示でしたが、おかげさまで好評でした。
瀧口修造が瑛九について書いた7つのテキストを、ご遺族のご許可をいただいて再録してきました。
「土渕信彦のエッセイ~瀧口修造の箱舟」とあわせ、お読みください。
●「瑛九へ」『ノートから、1951』/』『コレクション 瀧口修造 4』所収
●「瑛九のエッチング」『美術手帖』No.74 1953年10月号 美術出版社
●「瑛九のフォート・デッサン」『瑛九 フォート・デッサン展』図録 1955年1月 日本橋・高島屋
●「ひとつの軌跡 瑛九をいたむ」『美術手帖』1960年5月号
●「通りすぎるもの……」1966年4月 瑛九の会機関誌『眠りの理由』創刊号
●「『瑛九』を待ちながら」山田光春著『瑛九』内容見本 1976年6月 青龍洞
●「瑛九の訪れ」『現代美術の父 瑛九展』図録 1979年6月 小田急グランドギャラリー(瑛九展開催委員会主催)
ときの忘れものでは、来春2014年1月から数回にわたり「瀧口修造展」の開催を計画しています。これについては後ほど詳しくご案内いたします。
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瑛九 Q Ei
《風景》
1954年頃
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり

瑛九《作品》
1959年
ペンデッサン
イメージサイズ:28.5×18.0cm
シートサイズ:35.1×24.9cm
ペンサインあり
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瀧口修造
しばしば画家の出発は、秘かに孤独に始まり、孤独に終る……というのも、つい空語に陥りやすい自由というものを心に抱いての独り旅であるからではあるまいか。
瑛九はけっしていわゆる孤絶の人なぞではなかった。いつも社会にむかってひらかれた心を持ちつづけたといってよいだろう。ただわが国の画壇(ルビ・・)というものの体質にはついになじまず、反撥しつづけた。瑛九は五〇歳を待たず惜しくも世を去ったけれど、多くのみずみずしい仕事、しかも先駆的な仕事を残している。そしてつねに若く、汚れを好まぬ人々の共感をえつつある。瑛九は歩みつづけている。瑛九が瑛九らしくあることがいかに大切なことであるか、私はいよいよ痛感するばかりである。
『現代美術の父 瑛九展』図録
小田急グランドギャラリー 瑛九展開催委員会 1979年6月
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瑛九は1960年3月10日48歳で没したが、その直後に国立近代美術館は「4人の作家」展(菱田春草、高村光太郎、上阪雅人、瑛九)を急遽開催(4月28日~6月5日)してその画業を顕彰した。
以降福井や宮崎などでたびたび遺作展、回顧展が開催されたが、最も大規模なものが1979年6月8日~20日に東京新宿の小田急グランドギャラリーで開催された『現代美術の父 瑛九展』である。
瀧口は主催の瑛九展開催委員会の一人として協力し、上掲の文章をカタログに寄稿した。
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先日の「第24回瑛九展 瑛九と瀧口修造」は瑛九と瀧口修造との関係にスポットをあてた展示でしたが、おかげさまで好評でした。
瀧口修造が瑛九について書いた7つのテキストを、ご遺族のご許可をいただいて再録してきました。
「土渕信彦のエッセイ~瀧口修造の箱舟」とあわせ、お読みください。
●「瑛九へ」『ノートから、1951』/』『コレクション 瀧口修造 4』所収
●「瑛九のエッチング」『美術手帖』No.74 1953年10月号 美術出版社
●「瑛九のフォート・デッサン」『瑛九 フォート・デッサン展』図録 1955年1月 日本橋・高島屋
●「ひとつの軌跡 瑛九をいたむ」『美術手帖』1960年5月号
●「通りすぎるもの……」1966年4月 瑛九の会機関誌『眠りの理由』創刊号
●「『瑛九』を待ちながら」山田光春著『瑛九』内容見本 1976年6月 青龍洞
●「瑛九の訪れ」『現代美術の父 瑛九展』図録 1979年6月 小田急グランドギャラリー(瑛九展開催委員会主催)
ときの忘れものでは、来春2014年1月から数回にわたり「瀧口修造展」の開催を計画しています。これについては後ほど詳しくご案内いたします。
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瑛九 Q Ei
《風景》
1954年頃
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり

瑛九《作品》
1959年
ペンデッサン
イメージサイズ:28.5×18.0cm
シートサイズ:35.1×24.9cm
ペンサインあり
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