1月18日(土)17時より、池田龍雄先生による「瀧口修造」のギャラリートークを開催しました。
本ブログに「瀧口修造の箱舟」を連載中で今回の「瀧口修造展-Ⅰ」の企画監修者である土渕信彦さんの池田龍雄先生紹介から始まったこのギャラリートーク。特攻隊員として出撃する直前に終戦を迎え、その後、現代美術の展開と歩みを共にしてきた池田先生は、昨年85歳になられてなお、現役の作家として精力的に制作されており、この日も画廊いっぱいに詰め掛けた(とはいえ画廊が小さいので20名ほどですが)来場者へ事実を淡々と、しかし熱意をもって語って下さいました。永年にわたって日記をつけていらっしゃるためでしょうか、その記憶は具体的かつ詳細で、まさに戦後美術の生き証人との感を強く持ちました。
池田龍雄先生
土渕信彦さん
瀧口修造没後の作品整理や綾子夫人の引越しを手伝うほど親しく、また信頼されていた池田先生ですが、最初に瀧口修造の名を知ったのは、多摩美に在学中の頃で、日記には1949年2月に神田の古本屋で『近代藝術』を買ったと記されているそうです。その後、同年に日本橋の三越で開催されたモダンアート展で初めて会ったそうですが、「その時の様子ははっきりとは思い出せない」とのこと。瀧口はあまり前に出る性格ではなかったためか、むしろ設営の場を仕切っていた阿部展也の姿が印象的だったとか。次に会ったのは1953年のことで、青年美術家連合の機関誌「今日の美術」の編集員の一人となった池田先生が、展覧会批評の執筆を依頼するために、当時世田谷区成城の横田正俊方(当時は公正取引委員会の委員で、後の最高裁長官)の和室を間借りしていた瀧口を訪ねたそうです。よく知られているように、そのすぐ後に瀧口は自宅を新築し、月に1、2度くらいの割合で西落合を訪ねるようになったとのこと。この新居は住宅金融公庫に当選し、美術出版社の太田三吉が持っていた土地(の一部)を借りて建てたものだったそうです。その何もなかった部屋に作品や物体が徐々に増えていく様子を、「エントロピーの法則を見ているようだった」と語られました。この書斎を細江英公先生が撮影した「アトリエの瀧口修造」を、今回の展覧会でも展示しています。



(しんざわゆう)
◆ときの忘れものは2014年1月8日[水]―1月25日[土]「瀧口修造展 Ⅰ」を開催しています。
2014年、3回に分けてドローイング、バーントドローイング、ロトデッサン、デカルコマニーなど瀧口修造作品を展示いたします(1月、3月、12月)。
このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
●展覧会の感想
ときの忘れものに池田龍雄さんのギャラリートーク聞きに行ってた。しかし私はどうも間が悪いなあ…
池田龍雄さんが河原温のことを「計算高い」と言われるのが面白かった。批判がましい口振りではなくて、河原は自己演出して神秘化していた、絵を描く時もどこに出展したら効果的か考えていたと。池田さんに手紙を出すのにも、英語で、英文タイプで打った手紙を送ってきたそうだ。徹底してるんだね。
河原温の自己演出ぶりは荒川修作とも通じるなあ…。ギューチャンの対談本か何かで、パーティーで荒川に会っても日本語が下手なふりをしてた、って書いてあったけど。でも河原温のほうが徹底してる?
今日の池田龍雄さんの話で頻出していた名前は、河原温、前田常作、吉仲太造といったところ。河原温の『浴室』作品群を「衝撃的」だったと言われていた。池田さんの初期の作品にも影響を受けたような鉛筆画の作品がありますね。吉仲太造は、会場からも名前が挙がっていたけど、私はよく知らない…。
同時代の日本の前衛と言われた人たちは、海外に行った人も多いと思うんですが、池田龍雄さんは海外志向はなかったのかな?戦争体験の問題かな?
(Yasuhiro Hirakiさんのtwitterより)
●カタログのご案内
『瀧口修造展 I』図録
2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)
本ブログに「瀧口修造の箱舟」を連載中で今回の「瀧口修造展-Ⅰ」の企画監修者である土渕信彦さんの池田龍雄先生紹介から始まったこのギャラリートーク。特攻隊員として出撃する直前に終戦を迎え、その後、現代美術の展開と歩みを共にしてきた池田先生は、昨年85歳になられてなお、現役の作家として精力的に制作されており、この日も画廊いっぱいに詰め掛けた(とはいえ画廊が小さいので20名ほどですが)来場者へ事実を淡々と、しかし熱意をもって語って下さいました。永年にわたって日記をつけていらっしゃるためでしょうか、その記憶は具体的かつ詳細で、まさに戦後美術の生き証人との感を強く持ちました。
池田龍雄先生
土渕信彦さん瀧口修造没後の作品整理や綾子夫人の引越しを手伝うほど親しく、また信頼されていた池田先生ですが、最初に瀧口修造の名を知ったのは、多摩美に在学中の頃で、日記には1949年2月に神田の古本屋で『近代藝術』を買ったと記されているそうです。その後、同年に日本橋の三越で開催されたモダンアート展で初めて会ったそうですが、「その時の様子ははっきりとは思い出せない」とのこと。瀧口はあまり前に出る性格ではなかったためか、むしろ設営の場を仕切っていた阿部展也の姿が印象的だったとか。次に会ったのは1953年のことで、青年美術家連合の機関誌「今日の美術」の編集員の一人となった池田先生が、展覧会批評の執筆を依頼するために、当時世田谷区成城の横田正俊方(当時は公正取引委員会の委員で、後の最高裁長官)の和室を間借りしていた瀧口を訪ねたそうです。よく知られているように、そのすぐ後に瀧口は自宅を新築し、月に1、2度くらいの割合で西落合を訪ねるようになったとのこと。この新居は住宅金融公庫に当選し、美術出版社の太田三吉が持っていた土地(の一部)を借りて建てたものだったそうです。その何もなかった部屋に作品や物体が徐々に増えていく様子を、「エントロピーの法則を見ているようだった」と語られました。この書斎を細江英公先生が撮影した「アトリエの瀧口修造」を、今回の展覧会でも展示しています。



(しんざわゆう)
◆ときの忘れものは2014年1月8日[水]―1月25日[土]「瀧口修造展 Ⅰ」を開催しています。
2014年、3回に分けてドローイング、バーントドローイング、ロトデッサン、デカルコマニーなど瀧口修造作品を展示いたします(1月、3月、12月)。このブログでは関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
●展覧会の感想
ときの忘れものに池田龍雄さんのギャラリートーク聞きに行ってた。しかし私はどうも間が悪いなあ…
池田龍雄さんが河原温のことを「計算高い」と言われるのが面白かった。批判がましい口振りではなくて、河原は自己演出して神秘化していた、絵を描く時もどこに出展したら効果的か考えていたと。池田さんに手紙を出すのにも、英語で、英文タイプで打った手紙を送ってきたそうだ。徹底してるんだね。
河原温の自己演出ぶりは荒川修作とも通じるなあ…。ギューチャンの対談本か何かで、パーティーで荒川に会っても日本語が下手なふりをしてた、って書いてあったけど。でも河原温のほうが徹底してる?
今日の池田龍雄さんの話で頻出していた名前は、河原温、前田常作、吉仲太造といったところ。河原温の『浴室』作品群を「衝撃的」だったと言われていた。池田さんの初期の作品にも影響を受けたような鉛筆画の作品がありますね。吉仲太造は、会場からも名前が挙がっていたけど、私はよく知らない…。
同時代の日本の前衛と言われた人たちは、海外に行った人も多いと思うんですが、池田龍雄さんは海外志向はなかったのかな?戦争体験の問題かな?
(Yasuhiro Hirakiさんのtwitterより)
●カタログのご案内
『瀧口修造展 I』図録2013年
ときの忘れもの 発行
図版:44点
英文併記
21.5x15.2cm
ハードカバー
76ページ
執筆:土渕信彦「瀧口修造―人と作品」
再録:瀧口修造「私も描く」「手が先き、先きが手」
価格:2,100円(税込)
※送料別途250円(お申し込みはコチラへ)
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