ちょっと嬉しいニュースです。

横浜トリエンナーレは、横浜で3年に一度行われる現代アートの国際展。
2001年にスタートし、今年で5回目となる「ヨコハマトリエンナーレ2014」が、アーティスティック・ディレクターに森村泰昌さんを迎え、2014年8月1日[金]~11月3日[月・祝]まで開催されます。
主会場は、横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)。

先日、逢坂恵理子さん(横浜トリエンナーレ組織委員会委員長、横浜美術館館長)、森村泰昌さんらが記者発表して参加作家の第二弾を発表しましたが、昨年ときの忘れもので小回顧展を開いた松本竣介殿敷侃が選ばれました。

二人とも物故作家ですが(詳しくは同トリエンナーレのサイトをお読みください)、森村泰昌さんによれば「今回はいわゆる旬の作家を紹介するショーケースではなく、我々が大切だと思っているテーマを反映するビビッドな作家たちを選んでいる。生と死の関係を考えることは忘却というテーマを考える上ですごく重要。若い作家も、既に亡くなった作家も、特に意識せず選んだ」とのこと。
他にもアンディ・ウォーホル、ピエール・モリニエ、ジョゼフ・コーネル、吉村益信らも物故ですが選ばれました。
旬の作家には縁のないときの忘れものにとっては思いがけない朗報でした。

twitterで樋口ヒロユキさんが<広島の美術作家、故・殿敷侃さんが、横浜トリエンナーレに出品することが正式に決まりました。311以降の日本に生きる私たちにとって、とても大切な作家だと思います。>とつぶやいていましたが、これを機会に殿敷さんのことを知っていただければと思います。

●『殿敷侃 遺作展』カタログのご案内
Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
価格:823円(税込)
※送料別途250円

2013年8月に開催した「殿敷侃 遺作展」のカタログです。
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、1992年50歳で亡くなりました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回~殿敷侃」はじめ、濱本聰(下関市立美術館)さん、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さんらに寄稿(再録も含む)していただきました。
殿敷侃の文献資料はコチラで紹介しています。
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松本竣介(ヨコハマトリエンナーレ2014の出品作家サイトより引用)
日本の近代美術を代表する画家の一人。美術協会の新設に寄与するなど、戦後の画壇を背負って立つ人物として嘱望されながらも早逝した。本展では、終戦前後、疎開した妻と息子宛に綴った書簡を通じて、芸術家がどのような姿勢で世の中を見つめ、創造に臨んできたか、時代を経ても変わることのない精神のあり様を紹介する。
●『松本竣介展』カタログのご案内
『松本竣介展』図録 表紙『松本竣介展』図録
2012年12月14日 ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm(B5判)
執筆:植田実
図版:30点掲載
価格:823円(税込)
※送料別途250円

2012年12月~2013年1月に開催した「松本竣介展」のカタログです。
殿敷侃と違いあらためて紹介するまでもなく日本の近代美術史を代表する作家ですが、ときの忘れものでは松本竣介の希少画集、カタログを頒布しています。
またブログでは、植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」を連載しましたので、こちらもぜひお読みください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは2014年4月19日[土]―5月6日[火 祝日]「わが友ウォーホル~氏コレクションより」を開催しています(*会期中無休)。
ウォーホル展DM
日本で初めて大規模なウォーホル展が開催されたのは1974年(東京と神戸の大丸)でした。その前年の新宿マット・グロッソでの個展を含め、ウォーホル将来に尽力された大功労者がさんでした。
アンディ・ウォーホルはじめ氏が交友した多くの作家たち、ロバート・ラウシェンバーグ、フランク・ステラ、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク、萩原朔美、荒川修作、草間彌生らのコレクションを出品します。

本日のウォーホル語録

<一緒に仕事する仲間に何を望むかと言えば、ぼくのやろうとしてることを、いくぶん誤解してくれることだ。根本的な誤解ではないよ。あちこち、小さな誤解があるといいと思ってる。そこから何がしたいかを、誰かが完全には理解しなかったり、彼らにこうしてくれ、と言ったことを、ちゃんとよく聞いていなかったりとか、テープの録音状態がまずかったりとか、彼らの気まぐれの方が勝ってしまったときは、結局、ぼくのオリジナル・アイディアより、そっちの方から出てきてしまったものの方が、ずっと好きになってしまう。そうして、あなたのアイディアをまちがって受けとってしまって、仕上げてしまった作品を、また別の人にわたして、(その上に)あなたの最初のアイディアをやるように、頼むのも良いだろう。もし人々が、まったくあなたを誤解することなしに、あなたが言った通りに、寸分の違いもなくやるとしたら、彼らはただあなたのアイディアの送信器にすぎなくて、あなたはじきにうんざりしてしまうだろう。しかし、もしあなたが、あなたのことを誤解する人たちと一緒に仕事をすれば、送信器(トランスミッション)のかわりに変換器(トランス・ミューテイション)を得ることになって、長くやっていこうと思ったら、はるかに面白いことになる。ぼくのために働いてくれる人は、ものごとに自分なりの考えを持ってる人がいい。それなら彼らはぼくを退屈させないから。まあ、互いに友だちでいられるくらい、気持ちの通じる人がいいけど。
―アンディ・ウォーホル>


4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催していますが、亭主が企画し1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介します。