昨日からメールの不具合が続いています。
メールをお送りいただいたのに私どもから返信がない場合は、受信できていないので、恐縮ですが、再送をお願いします。またはお電話でご確認ください。
「瀧口修造とマルセル・デュシャン展」が無事終了し、ほっとしたところですが、スタッフ3人がシンガポールに発ったため、亭主と社長は李とともにお留守番。
少しはのんびりできるかと思いきや、目の回るような忙しさです。
先ず、社長が扁桃腺がはれて寝込んでしまった。
昨日はメールが不具合で、発信も受信もできない状況。機械に強い連中は海外だし、亭主ではお手上げです。
先日ご案内したように、お正月3日から福井県立美術館で「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」という展覧会が開催されます。そのカタログをときの忘れものが編集しており、年末刊行のためにはここ数日が山場で、編集長の尾立がシンガポールに行ってしまったので、久しぶりに亭主が李とともに校正作業に追われています。
シンガポールに若い作家たちを送り出したので、画廊ではクラシックな「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより(入札式)」を29日から開催しますが、そろそろ皆さんにDMが着いたようで、電話やファックスで連絡が入る。
入札が多いのは大歓迎なのですが、実務に疎くなっている亭主は四苦八苦。
今回はかなりシブ~いコレクションで、現代美術史に相当詳しい方でも知らない作家が少なくない。
とりあえず本日は4人をご紹介します。

出品番号6
入野忠芳
「裂罅(れっか)」
1980年 キャンバスに油彩
22.3×27.7cm
Signed
■入野忠芳 Tadayoshi IRINO(1939-)
広島市生まれ。1945年原爆投下により被爆。62年武蔵野美術大学卒業。75年現代日本美術展で「裂罅(れっか)」により大賞受賞。2002年文化庁特別派遣芸術家在外研修員。2006年広島文化賞受賞。2011年目黒区美術館の「原爆を視る」展に15才から30才までの油彩を出品予定だったが、<大震災の惨状や原発事故による深刻な影響を受けている多くの方々の心情等に配慮>して同展は中止となった。登山家であり、旅のエッセイも手がけている。

出品番号7
岩中徳次郎
「76-34」
1976年
板にキャンバス、アクリル
45.0×45.0cm
Signed
■岩中徳次郎 Tokujiro IWANAKA(1897-1989)
和歌山県生まれ。1930年斉藤与里に師事する。小学校教諭を務める傍ら制作、発表を続ける。塊樹社展、東光会展、文展などに出品していたが、1950年岡本治男らと三重県津市広明町に津美術研究所を開設。1952年抽象に転じる。1966年オップ・アートの系列に属する幾何学的抽象を志向する作家たちのニュー・ジォメトリック・アートグループに同人として参加する。アメリカを初め、パリやドイツなど海外でのグループ展に参加し海外で高い評価を受けた。絵画への理論的研究が明確な方法となって、80歳に近い頃から明晰な幾何学的抽象の作品を多く描いた。
著書に『形(フォルム)-美しい造形 の秘密を解く鍵』(1958年アトリエ社)、『フォルムの基本-デザインの為 に』(1960年美術出版社)がある。1984年には近代日本画の技法(ⅠⅤ)美しい構図展(山種美術館)の企画を担当するなど幅広く活躍した。1994年三重県立美術館で岩中徳次郎展が開催された。

出品番号8
因藤寿
「作品 59・12・2・A-念」
1959年
キャンバスに油彩
91.0×73.0cm
Signed
■因藤寿 Hisashi INDO(1925-2009)
北海道稚内市生まれ。苫小牧工業学校を卒業後、北海道大学超短波研究所に勤務する傍ら1947年頃よりクレヨン画を始める。1950年第2回読売アンデパンダン展に出品。心象を表現した鮮やかな画面から、1956年以降はモノクロームによる表現を展開する。1963年埼玉県大宮に移り個展を中心に精力的に制作発表を行なう。1970年代からな紫の絵具を何層にも描き重ねる独自の技法で注目を集めた。2002年北海道立旭川美術館で回顧展「因藤壽展」が開催された。

出品番号10
漆原英子
「The Talking Tree [2]」
1989
鉛筆、ペン、コラージュ
40.5×32.3cm
Signed
■漆原英子 Hideko URUSHIBARA(1928-2002)
父は漆原木虫。1946年聖心インターナショナルを卒業。阿部展也のアトリエで学ぶ。無意識にペンや筆を走らせる手法による幾何学的な構成による作品や、動物と人間が合体したような幻想絵画を多く描いた。狂気をはらんだ美を絶妙な色彩感覚と構図で表現し、高い評価を得た。
●お詫び
先週末に幾人かの方に封書でご案内をお送りしたのですが、私どものミスで切手82円のところを、80円切手をはって投函してしまいました。
不手際を深くお詫びします。ご連絡いただければ不足料金をお支払いいたします。
◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
メールをお送りいただいたのに私どもから返信がない場合は、受信できていないので、恐縮ですが、再送をお願いします。またはお電話でご確認ください。
「瀧口修造とマルセル・デュシャン展」が無事終了し、ほっとしたところですが、スタッフ3人がシンガポールに発ったため、亭主と社長は李とともにお留守番。
少しはのんびりできるかと思いきや、目の回るような忙しさです。
先ず、社長が扁桃腺がはれて寝込んでしまった。
昨日はメールが不具合で、発信も受信もできない状況。機械に強い連中は海外だし、亭主ではお手上げです。
先日ご案内したように、お正月3日から福井県立美術館で「福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―」という展覧会が開催されます。そのカタログをときの忘れものが編集しており、年末刊行のためにはここ数日が山場で、編集長の尾立がシンガポールに行ってしまったので、久しぶりに亭主が李とともに校正作業に追われています。
シンガポールに若い作家たちを送り出したので、画廊ではクラシックな「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより(入札式)」を29日から開催しますが、そろそろ皆さんにDMが着いたようで、電話やファックスで連絡が入る。
入札が多いのは大歓迎なのですが、実務に疎くなっている亭主は四苦八苦。
今回はかなりシブ~いコレクションで、現代美術史に相当詳しい方でも知らない作家が少なくない。
とりあえず本日は4人をご紹介します。

出品番号6
入野忠芳
「裂罅(れっか)」
1980年 キャンバスに油彩
22.3×27.7cm
Signed
■入野忠芳 Tadayoshi IRINO(1939-)
広島市生まれ。1945年原爆投下により被爆。62年武蔵野美術大学卒業。75年現代日本美術展で「裂罅(れっか)」により大賞受賞。2002年文化庁特別派遣芸術家在外研修員。2006年広島文化賞受賞。2011年目黒区美術館の「原爆を視る」展に15才から30才までの油彩を出品予定だったが、<大震災の惨状や原発事故による深刻な影響を受けている多くの方々の心情等に配慮>して同展は中止となった。登山家であり、旅のエッセイも手がけている。

出品番号7
岩中徳次郎
「76-34」
1976年
板にキャンバス、アクリル
45.0×45.0cm
Signed
■岩中徳次郎 Tokujiro IWANAKA(1897-1989)
和歌山県生まれ。1930年斉藤与里に師事する。小学校教諭を務める傍ら制作、発表を続ける。塊樹社展、東光会展、文展などに出品していたが、1950年岡本治男らと三重県津市広明町に津美術研究所を開設。1952年抽象に転じる。1966年オップ・アートの系列に属する幾何学的抽象を志向する作家たちのニュー・ジォメトリック・アートグループに同人として参加する。アメリカを初め、パリやドイツなど海外でのグループ展に参加し海外で高い評価を受けた。絵画への理論的研究が明確な方法となって、80歳に近い頃から明晰な幾何学的抽象の作品を多く描いた。
著書に『形(フォルム)-美しい造形 の秘密を解く鍵』(1958年アトリエ社)、『フォルムの基本-デザインの為 に』(1960年美術出版社)がある。1984年には近代日本画の技法(ⅠⅤ)美しい構図展(山種美術館)の企画を担当するなど幅広く活躍した。1994年三重県立美術館で岩中徳次郎展が開催された。

出品番号8
因藤寿
「作品 59・12・2・A-念」
1959年
キャンバスに油彩
91.0×73.0cm
Signed
■因藤寿 Hisashi INDO(1925-2009)
北海道稚内市生まれ。苫小牧工業学校を卒業後、北海道大学超短波研究所に勤務する傍ら1947年頃よりクレヨン画を始める。1950年第2回読売アンデパンダン展に出品。心象を表現した鮮やかな画面から、1956年以降はモノクロームによる表現を展開する。1963年埼玉県大宮に移り個展を中心に精力的に制作発表を行なう。1970年代からな紫の絵具を何層にも描き重ねる独自の技法で注目を集めた。2002年北海道立旭川美術館で回顧展「因藤壽展」が開催された。

出品番号10
漆原英子
「The Talking Tree [2]」
1989
鉛筆、ペン、コラージュ
40.5×32.3cm
Signed
■漆原英子 Hideko URUSHIBARA(1928-2002)
父は漆原木虫。1946年聖心インターナショナルを卒業。阿部展也のアトリエで学ぶ。無意識にペンや筆を走らせる手法による幾何学的な構成による作品や、動物と人間が合体したような幻想絵画を多く描いた。狂気をはらんだ美を絶妙な色彩感覚と構図で表現し、高い評価を得た。
●お詫び
先週末に幾人かの方に封書でご案内をお送りしたのですが、私どものミスで切手82円のところを、80円切手をはって投函してしまいました。
不手際を深くお詫びします。ご連絡いただければ不足料金をお支払いいたします。
◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
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