小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第21回
Doll house and Janine Antoni's "Inhabit"
ドールハウス ジャナイン・アントニ「Inhabit」
(図1)
はじめてのシルバニアファミリー
先月娘が4歳の誕生日を迎えたので、シルバニアファミリーのドールハウス(図1)をプレゼントしました。シルバニアファミリーは、森に囲まれたシルバニア村に住む動物たちという設定で、ウサギやクマ、リスなど動物の小さな人形が家族単位で作られていて、カントリー調のドールハウスや様々なインテリア、小道具のシリーズで販売されています。小さい女の子には馴染み深い玩具ですし、1985年から製造されているので、現在30歳代ぐらいまでの人であれば子どもの頃に遊んだ記憶があるという方も多いことでしょう。
嬉々としてお人形遊びをしている娘を見ていると、ふと自分の子どもの頃の記憶が蘇ってきます。幼稚園児だった頃に買ってもらったリカちゃん人形の髪型や洋服、靴のようなディテールや、同じマンションに住んでいたお友だちがリカちゃん人形の洋服を沢山持っていたり、ドールハウスも持っていたりしたのを羨望の眼差しで見ていたことなど、当時の周辺の状況や感じていたことも含めて思い出されます。3、4歳児の頃とは幼い頃の記憶が残っている最初の時期と言えますし、その時分に人形遊びを通して、小さな世界を想像し、演じて楽しんでいたからこそ、ドールハウスの空間の中には子どもの頃のおぼろげな記憶や感情、願望も深く織り込まれているのかもしれません。
娘の姿に過去の自分自身を重ねるという時間的な入れ子状態に加え、現在暮らしている都内の集合住宅の中に、ミニチュアのカントリー調の一軒家があるという情景に、空間的な入れ子状態を感じてしまい、そういう見方をする自分自身に対して動揺を感じてしまいます。子どもの頃に慣れ親しんだり、憧れたりしていたドールハウスを、母親という立場になって、娘の遊ぶ姿越しに見ていると、子どもだった過去と、母親として存在している現在の「あわい(間)」、ファンタジーと現実の狭間に対峙しているような微妙な気分になります。
(図2)
ジャナイン・アントニ
「Inhabit(住む)」(2009)
(図3)
「Home Truth: Photography and Motherhood」展会場写真
(Photographers Gallery ロンドン)
現代美術家のジャナイン・アントニ(Janine Antoni 1964-)の作品「Inhabit」(2009)(図2)は、母親の目線からドールハウスを見た時に抱く微妙な感情がベースになっているように思われます。(この作品は、以前この連載の「お母さんと一緒」で紹介した写真展“Home Truths: Photography, Motherhood and Identity(家庭の真実:写真、母であること、アイデンティティ)”にも出品されました。(図3))
ジャナイン・アントニは、1990年代初頭からパフォーマンス・アートの活動で注目を集め、自らの体や行為を食べ物や化粧品のような身近なものや、空間との関わりの中で提示してきました。また、パフォーマンスの記録手段として写真を用いたり、緻密に演出を施した上で撮影した写真作品も制作したりもしています。
「Inhabit」(2009)では、ジャナイン・アントニ自身が子供部屋の中で、蜘蛛の巣のような形をした8本の白いロープで吊るされるようなかたちで宙に浮いている状態で捉えられています。アントニは、床の方を見るように目を伏せ、腰から膝下までの下半身に屋根や床をくり抜いたドールハウスをスカートのようにまとっています。ドールハウスは部屋の中が見えるように正面の扉が全開の状態になっていて、扉として開く壁の色は部屋ごとに違う色に塗り分けられていて、子供部屋の中のもの――カーテン、棚の扉、ベッドの布団カバー、消防車の形をした敷物、玩具など――の鮮やかな色合いに呼応しているかのようです。
「Inhabit(住む)」というタイトルが示すように、この作品には、子ども部屋と、ドールハウスという二つの「住む」空間が入れ子の状態で表されています。画面のちょうど中心で、ドールハウスの一階と二階を分ける床(天井)、左右の部屋を分ける壁が十字に交わっていて、アントニが宙づりになり、ドールハウスが祭壇のように開いているために、画面全体に宗教画のような趣きに充ちています。実際のところ、この作品の制作に当たって、アントニは「慈悲のマリア」(マントの元に集まってくる人たちを庇護する慈愛に充ちた聖母像)(図4)から着想を得ていると述べています。(図3)
(図4)
ピエロ・デラ・フランチェスカ
「慈悲の聖母」
(図5)
フリーダ・カーロ
「折れた背骨」 (1944)
さらに、アントニは体をロープで吊るして固定するための装具を用いているために、アントニの姿は聖母マリアのような佇まいに加えて、フリーダ・カーロの白い拘束具のようなものを身につけて、体中に釘を打たれたポートレート「自画像:折れた背骨」(図5)をも連想させるような、身動きの取れない苦しさをも感じさせます。宙づりになったアントニは、蜘蛛の巣を張り巡らせて、部屋の空間を支配するように存在のようにも、またドールハウスというもう一つの家に縛りつけられ、囚われた存在のようにも見え、その状態は母親としてアントニの置かれている状況(インタビューによれば、この作品は彼女の娘が5歳の頃に制作されました。)を反映しているようです。
(図6)
「Inhabit」Host (2009)
(図7)
「Inhabit」Up Against (2009)
大型のプリントで制作された「Inhabit(住む)」(図2)に加えて、ドールハウスの外側からダイニングルーム(図6)や寝室(図7)の室内を窓から捉えた写真も撮影されており、家具越しにアントニの脚の一部分が写り込んでいます。ドールハウスで遊ぶ子どもの目線から捉えられたよう断片的な場面の中に表れたアントニの脚は、家の中に紛れ込んだ巨人の体の一部のようにも見えます。
アントニ自身の体の一部分――――宙づり状態でドールハウスを被せられているので彼女自身の視点からは見えない状態になっている――――が、ドールハウスとの関係の中で提示されることによって、彼女の体と「家」との結びつきがより強められて浮き上がってきていますし、この「家」の中には、現実に暮らす住居、家族関係だけではなく、家としての体(胎児にとっての母胎)も含まれると言えるでしょう。
自分自身を家の中で宙づりにし、さらにドールハウスによって体を分節して提示することによって、アントニは妊娠、出産、育児を経て自分の体の使い途や働きが、自らの意志によってだけではなく、子どもとの関係でその都度変えられて、編成されていることを差し出してみせようとしているのかもしれません。彼女と同様に母親という立場で作品を見るとき、母親業という営みのありようを、ドールハウスという空間装置を自らの体と関係づけて視覚化し、距離を置いて眺める姿勢に感心させられるのです。
(こばやしみか)
◆小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
●今日のお勧め作品は、ヘレン・レヴィットです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第20回をご覧ください。
ヘレン・レヴィット
「メキシコ 1941」
1981年
ゼラチンシルバープリント
18.0x21.1cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
Doll house and Janine Antoni's "Inhabit"
ドールハウス ジャナイン・アントニ「Inhabit」
(図1)はじめてのシルバニアファミリー
先月娘が4歳の誕生日を迎えたので、シルバニアファミリーのドールハウス(図1)をプレゼントしました。シルバニアファミリーは、森に囲まれたシルバニア村に住む動物たちという設定で、ウサギやクマ、リスなど動物の小さな人形が家族単位で作られていて、カントリー調のドールハウスや様々なインテリア、小道具のシリーズで販売されています。小さい女の子には馴染み深い玩具ですし、1985年から製造されているので、現在30歳代ぐらいまでの人であれば子どもの頃に遊んだ記憶があるという方も多いことでしょう。
嬉々としてお人形遊びをしている娘を見ていると、ふと自分の子どもの頃の記憶が蘇ってきます。幼稚園児だった頃に買ってもらったリカちゃん人形の髪型や洋服、靴のようなディテールや、同じマンションに住んでいたお友だちがリカちゃん人形の洋服を沢山持っていたり、ドールハウスも持っていたりしたのを羨望の眼差しで見ていたことなど、当時の周辺の状況や感じていたことも含めて思い出されます。3、4歳児の頃とは幼い頃の記憶が残っている最初の時期と言えますし、その時分に人形遊びを通して、小さな世界を想像し、演じて楽しんでいたからこそ、ドールハウスの空間の中には子どもの頃のおぼろげな記憶や感情、願望も深く織り込まれているのかもしれません。
娘の姿に過去の自分自身を重ねるという時間的な入れ子状態に加え、現在暮らしている都内の集合住宅の中に、ミニチュアのカントリー調の一軒家があるという情景に、空間的な入れ子状態を感じてしまい、そういう見方をする自分自身に対して動揺を感じてしまいます。子どもの頃に慣れ親しんだり、憧れたりしていたドールハウスを、母親という立場になって、娘の遊ぶ姿越しに見ていると、子どもだった過去と、母親として存在している現在の「あわい(間)」、ファンタジーと現実の狭間に対峙しているような微妙な気分になります。
(図2)ジャナイン・アントニ
「Inhabit(住む)」(2009)
(図3)「Home Truth: Photography and Motherhood」展会場写真
(Photographers Gallery ロンドン)
現代美術家のジャナイン・アントニ(Janine Antoni 1964-)の作品「Inhabit」(2009)(図2)は、母親の目線からドールハウスを見た時に抱く微妙な感情がベースになっているように思われます。(この作品は、以前この連載の「お母さんと一緒」で紹介した写真展“Home Truths: Photography, Motherhood and Identity(家庭の真実:写真、母であること、アイデンティティ)”にも出品されました。(図3))
ジャナイン・アントニは、1990年代初頭からパフォーマンス・アートの活動で注目を集め、自らの体や行為を食べ物や化粧品のような身近なものや、空間との関わりの中で提示してきました。また、パフォーマンスの記録手段として写真を用いたり、緻密に演出を施した上で撮影した写真作品も制作したりもしています。
「Inhabit」(2009)では、ジャナイン・アントニ自身が子供部屋の中で、蜘蛛の巣のような形をした8本の白いロープで吊るされるようなかたちで宙に浮いている状態で捉えられています。アントニは、床の方を見るように目を伏せ、腰から膝下までの下半身に屋根や床をくり抜いたドールハウスをスカートのようにまとっています。ドールハウスは部屋の中が見えるように正面の扉が全開の状態になっていて、扉として開く壁の色は部屋ごとに違う色に塗り分けられていて、子供部屋の中のもの――カーテン、棚の扉、ベッドの布団カバー、消防車の形をした敷物、玩具など――の鮮やかな色合いに呼応しているかのようです。
「Inhabit(住む)」というタイトルが示すように、この作品には、子ども部屋と、ドールハウスという二つの「住む」空間が入れ子の状態で表されています。画面のちょうど中心で、ドールハウスの一階と二階を分ける床(天井)、左右の部屋を分ける壁が十字に交わっていて、アントニが宙づりになり、ドールハウスが祭壇のように開いているために、画面全体に宗教画のような趣きに充ちています。実際のところ、この作品の制作に当たって、アントニは「慈悲のマリア」(マントの元に集まってくる人たちを庇護する慈愛に充ちた聖母像)(図4)から着想を得ていると述べています。(図3)
(図4)ピエロ・デラ・フランチェスカ
「慈悲の聖母」
(図5)フリーダ・カーロ
「折れた背骨」 (1944)
さらに、アントニは体をロープで吊るして固定するための装具を用いているために、アントニの姿は聖母マリアのような佇まいに加えて、フリーダ・カーロの白い拘束具のようなものを身につけて、体中に釘を打たれたポートレート「自画像:折れた背骨」(図5)をも連想させるような、身動きの取れない苦しさをも感じさせます。宙づりになったアントニは、蜘蛛の巣を張り巡らせて、部屋の空間を支配するように存在のようにも、またドールハウスというもう一つの家に縛りつけられ、囚われた存在のようにも見え、その状態は母親としてアントニの置かれている状況(インタビューによれば、この作品は彼女の娘が5歳の頃に制作されました。)を反映しているようです。
(図6)「Inhabit」Host (2009)
(図7)「Inhabit」Up Against (2009)
大型のプリントで制作された「Inhabit(住む)」(図2)に加えて、ドールハウスの外側からダイニングルーム(図6)や寝室(図7)の室内を窓から捉えた写真も撮影されており、家具越しにアントニの脚の一部分が写り込んでいます。ドールハウスで遊ぶ子どもの目線から捉えられたよう断片的な場面の中に表れたアントニの脚は、家の中に紛れ込んだ巨人の体の一部のようにも見えます。
アントニ自身の体の一部分――――宙づり状態でドールハウスを被せられているので彼女自身の視点からは見えない状態になっている――――が、ドールハウスとの関係の中で提示されることによって、彼女の体と「家」との結びつきがより強められて浮き上がってきていますし、この「家」の中には、現実に暮らす住居、家族関係だけではなく、家としての体(胎児にとっての母胎)も含まれると言えるでしょう。
自分自身を家の中で宙づりにし、さらにドールハウスによって体を分節して提示することによって、アントニは妊娠、出産、育児を経て自分の体の使い途や働きが、自らの意志によってだけではなく、子どもとの関係でその都度変えられて、編成されていることを差し出してみせようとしているのかもしれません。彼女と同様に母親という立場で作品を見るとき、母親業という営みのありようを、ドールハウスという空間装置を自らの体と関係づけて視覚化し、距離を置いて眺める姿勢に感心させられるのです。
(こばやしみか)
◆小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
●今日のお勧め作品は、ヘレン・レヴィットです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第20回をご覧ください。
ヘレン・レヴィット「メキシコ 1941」
1981年
ゼラチンシルバープリント
18.0x21.1cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
コメント