スタッフSの「中藤毅彦×金子隆一」ギャラリートーク・レポート
ときの忘れもの2016年最初の企画展として開催された「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」。
1月6日から16日まで開催されたこの企画展ですが、9日には写真史家にして写真集収集家である金子隆一さんをお招きして、作家の中藤毅彦さんと一緒に語っていただきました。

この記事の日付を顧みるに「今更?」と思う方が多数いそうですが、1月前半はART STAGE SINGAPOREの準備で忙しく、1月後半はART STAGE SINGAPORE出張で忙しく、2月に入ってもART STAGE SINGAPOREの後始末で忙しいと後回しにし続けた結果、このような時期まで記事がズレこんでしまいました、申し訳ございません。
左)写真家・中藤毅彦さん
右・写真史家/写真集収集家・金子隆一さん
金子さんには2015年5月の企画展「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」の時も、作家の西村多美子さんとギャラリートークに出演していただきましたが、今回は作家の中藤さんのご指名があってのご出演でした。去年は東京都写真美術館の調査員だった頃に請け負った仕事を片づけられていたそうで、今回のギャラリートークが個人的に引き受けた最初のお仕事だったとか。日本でも写真史家として屈指であり、世界レベルの写真集収集家である金子さんの目には自分の作品がどのように写っているのかを知りたい。それが中藤さんがゲストに金子さんを希望した理由でした。
金子さんが中藤さんを知るきっかけとなった写真集「Winterlicht」の表紙。
現在では廃れてしまったグラビア印刷を目指して製本されており、黒の濃淡表現に優れることから、
金子さん曰く「黒が強い」東欧系の写真によく合った作りとなっています。
金子さんが実際に中藤さんと知り合ったのは2年ほど前が最初だそうですが、中藤毅彦という作家については、15年前、2001年に刊行された「Winterlicht―中藤毅彦写真集」で強い印象を受けたことで記憶されていました。掲載されている作品の質もさることながら、金子さんの印象に残った大きな理由はその製法。昨今の紙媒体の印刷といえばオフセットが一般的ですが、以前はグラビア印刷という技法もありました。どのようなものかというと、凹版印刷の一種です。特徴として微細な濃淡が表現でき、写真画像の印刷に適しているとされています。なお、雑誌でよく見かける「グラビア」というページは、「芸術印刷といえばグラビア」だった時代の名残であり、名前とその内容にはなんら関係がありません。そんなトリビアはともかく、このグラビア印刷による写真集を実現しようとした中藤さんでしたが、2000年代には既にこの技法は紙媒体においては(食品包装用プラスチックフィルムや家具や家電製品の木目印刷にはまだ使用されています)ほぼ壊滅状態でした。そこで諦めずに写真集にちなんだ東欧系の印刷機器を調べた結果、東ドイツ製の「プラネタ」という印刷機を所有する印刷会社を突き止めたのです。ちなみに当時の日本の出版業界でこの印刷機を所有していたのはこの一社のみだったそうで、金子さんも驚かれていました。まぁ「東ドイツ」などという言葉が形容詞に付く辺り、時代を感じずにはいられません。この印刷機もグラビア印刷ではなくオフセット印刷を行うものでしたが、全くデジタル化されていないために使用者の匙加減で通常のオフセット印刷よりも格段にインクが盛れる仕様となっており、黒に深みを出すためにダブルトーンに加え写真部分にはニスまで乗せるという徹底ぶりにより、結果としてグラビア印刷と遜色のない仕上がりを実現したそうです。追記しますと、2016年の現在、この印刷機は廃棄されてしまっているので、日本ではこのグラビア印刷「風」オフセット印刷は不可能となっています。
芸術、とりわけ世代が古い技術を用いる作品は、一般的ではなくても手作業でどうにかなるんじゃないの? というイメージがあります。実際、1920年代以前の写真であれば難易度はともかくとして個人の範囲でできないこともないようです。ただし、一般的に知られるフィルム式カメラと印画紙はその限りではありません。これらは製造過程が大量生産を前提とした工業技術に依存する部分が大きいため、一度工場や機械が稼働しなくなると、個人ではどうしようもなくなってしまうそうです。
そんな近代写真の衰退の理由から話題は中藤さん愛用のカメラに移り、撮影方式はアナログからデジタルになっても、1925年発売の35㎜フィルムを使うカメラ「ライカ」以来、ファインダーを覗き込んでシャッターを切るという写真の身体性は根強く残っていることや、金子さんにとっての中藤毅彦のイメージの原点である「Winterlicht」が、タイトル通りに冬の光を強く想起させることなどを次から次へと挙げていかれ、飛ぶように過ぎた一時間を、近年日本の写真史を研究して博士号を取得する外国人が多いように、日本人もまた独自の写真文化だけではなく、もっと海外の写真文化を研究するべきと結ばれました。
トーク後の懇談会にて。
金子さんが中藤さんを知るきっかけととなった写真集「Winterlicht」を見る、中藤さんのワークショップの生徒さん
その後は立ち飲み形式での懇談会から記念撮影、さらに希望された方と近所の中華料理屋で打ち上げといつものコースと相成り、中藤さんのワークショップの生徒さんや奥様も一緒に賑やかな夜を過ごさせていただきました。
恒例の記念写真。
いつも声掛けを忘れてしまうために、いつも何人か先に帰られてしまうところまでが恒例に。
ときの忘れものは現在開催中の恩地幸四郎展でもギャラリートークを開催しますが、こちらの開催日は明後日の2月12日。次回は今回のレポートより早く掲載できるよう、鋭意努力させていただきます。
それでは次回のギャラリートーク・レポートまで失礼いたします。
(しんざわ ゆう)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れもの2016年最初の企画展として開催された「中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014」。
1月6日から16日まで開催されたこの企画展ですが、9日には写真史家にして写真集収集家である金子隆一さんをお招きして、作家の中藤毅彦さんと一緒に語っていただきました。

この記事の日付を顧みるに「今更?」と思う方が多数いそうですが、1月前半はART STAGE SINGAPOREの準備で忙しく、1月後半はART STAGE SINGAPORE出張で忙しく、2月に入ってもART STAGE SINGAPOREの後始末で忙しいと後回しにし続けた結果、このような時期まで記事がズレこんでしまいました、申し訳ございません。
左)写真家・中藤毅彦さん右・写真史家/写真集収集家・金子隆一さん
金子さんには2015年5月の企画展「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」の時も、作家の西村多美子さんとギャラリートークに出演していただきましたが、今回は作家の中藤さんのご指名があってのご出演でした。去年は東京都写真美術館の調査員だった頃に請け負った仕事を片づけられていたそうで、今回のギャラリートークが個人的に引き受けた最初のお仕事だったとか。日本でも写真史家として屈指であり、世界レベルの写真集収集家である金子さんの目には自分の作品がどのように写っているのかを知りたい。それが中藤さんがゲストに金子さんを希望した理由でした。
金子さんが中藤さんを知るきっかけとなった写真集「Winterlicht」の表紙。現在では廃れてしまったグラビア印刷を目指して製本されており、黒の濃淡表現に優れることから、
金子さん曰く「黒が強い」東欧系の写真によく合った作りとなっています。
金子さんが実際に中藤さんと知り合ったのは2年ほど前が最初だそうですが、中藤毅彦という作家については、15年前、2001年に刊行された「Winterlicht―中藤毅彦写真集」で強い印象を受けたことで記憶されていました。掲載されている作品の質もさることながら、金子さんの印象に残った大きな理由はその製法。昨今の紙媒体の印刷といえばオフセットが一般的ですが、以前はグラビア印刷という技法もありました。どのようなものかというと、凹版印刷の一種です。特徴として微細な濃淡が表現でき、写真画像の印刷に適しているとされています。なお、雑誌でよく見かける「グラビア」というページは、「芸術印刷といえばグラビア」だった時代の名残であり、名前とその内容にはなんら関係がありません。そんなトリビアはともかく、このグラビア印刷による写真集を実現しようとした中藤さんでしたが、2000年代には既にこの技法は紙媒体においては(食品包装用プラスチックフィルムや家具や家電製品の木目印刷にはまだ使用されています)ほぼ壊滅状態でした。そこで諦めずに写真集にちなんだ東欧系の印刷機器を調べた結果、東ドイツ製の「プラネタ」という印刷機を所有する印刷会社を突き止めたのです。ちなみに当時の日本の出版業界でこの印刷機を所有していたのはこの一社のみだったそうで、金子さんも驚かれていました。まぁ「東ドイツ」などという言葉が形容詞に付く辺り、時代を感じずにはいられません。この印刷機もグラビア印刷ではなくオフセット印刷を行うものでしたが、全くデジタル化されていないために使用者の匙加減で通常のオフセット印刷よりも格段にインクが盛れる仕様となっており、黒に深みを出すためにダブルトーンに加え写真部分にはニスまで乗せるという徹底ぶりにより、結果としてグラビア印刷と遜色のない仕上がりを実現したそうです。追記しますと、2016年の現在、この印刷機は廃棄されてしまっているので、日本ではこのグラビア印刷「風」オフセット印刷は不可能となっています。
芸術、とりわけ世代が古い技術を用いる作品は、一般的ではなくても手作業でどうにかなるんじゃないの? というイメージがあります。実際、1920年代以前の写真であれば難易度はともかくとして個人の範囲でできないこともないようです。ただし、一般的に知られるフィルム式カメラと印画紙はその限りではありません。これらは製造過程が大量生産を前提とした工業技術に依存する部分が大きいため、一度工場や機械が稼働しなくなると、個人ではどうしようもなくなってしまうそうです。
そんな近代写真の衰退の理由から話題は中藤さん愛用のカメラに移り、撮影方式はアナログからデジタルになっても、1925年発売の35㎜フィルムを使うカメラ「ライカ」以来、ファインダーを覗き込んでシャッターを切るという写真の身体性は根強く残っていることや、金子さんにとっての中藤毅彦のイメージの原点である「Winterlicht」が、タイトル通りに冬の光を強く想起させることなどを次から次へと挙げていかれ、飛ぶように過ぎた一時間を、近年日本の写真史を研究して博士号を取得する外国人が多いように、日本人もまた独自の写真文化だけではなく、もっと海外の写真文化を研究するべきと結ばれました。
トーク後の懇談会にて。金子さんが中藤さんを知るきっかけととなった写真集「Winterlicht」を見る、中藤さんのワークショップの生徒さん
その後は立ち飲み形式での懇談会から記念撮影、さらに希望された方と近所の中華料理屋で打ち上げといつものコースと相成り、中藤さんのワークショップの生徒さんや奥様も一緒に賑やかな夜を過ごさせていただきました。
恒例の記念写真。いつも声掛けを忘れてしまうために、いつも何人か先に帰られてしまうところまでが恒例に。
ときの忘れものは現在開催中の恩地幸四郎展でもギャラリートークを開催しますが、こちらの開催日は明後日の2月12日。次回は今回のレポートより早く掲載できるよう、鋭意努力させていただきます。
それでは次回のギャラリートーク・レポートまで失礼いたします。
(しんざわ ゆう)
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