小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第4回
写真を廻る旅 / 写真が経た旅 ベルティアン・ファン・マネン『Give Me Your Image』

今回紹介するのは、オランダの写真家ベルティアン・ファン・マネン(Bertien van Manen, 1942-)の写真集『Give Me Your Image』(Steidl, 2006)です。ファン・マネンは、フランス語を学んだ後、1970年代に二人の子どもたちの写真を撮るようになったことから、写真に取り組むようになりました。当初はファッション写真などの仕事も手がけていましたが、徐々に個人的な作品制作に専心するようになり、欧州やロシア、中国、アメリカなさまざまな地域を旅しながら写真を撮り続けてきました。近年、イギリスの出版社MACKから継続して出版してきた以下のような写真集が注目を集めています。
『Let's sit down before we go』(2011)
1991年から2009年の間にロシアや東欧の国々を旅して撮影した写真で構成 「出かける前に座ろう」という言葉は、ロシアでの慣習、言い回しに由来する。
『Easter and Oak Trees』(2013)
1970年代に毎年休日を過ごしていたオランダのden Eikenhorst(「オークの木の巣」という意味)という地域で撮影された家族写真をまとめたもの。当時の大らかな時代性が反映されている。
『Moonshine』
アメリカのアパラチア地方で密造酒(月夜の下で製造されることからmoonshineという呼称)に携わる人、炭坑労働者たちの家族(ヒルビリーというスコットランド系の移民)を1980年代からおよそ30年にわたって撮影した写真で構成。
『Beyond Maps and Atlases』 (2016)
ファン・マネンが夫を亡くした後に、アイルランドで2013年から2015年にかけて撮影した写真で構成。
彼女の作品に共通する特徴として、年月をかけて旅を重ね、訪れる地域の人々と親密な交流を持って撮影をすること、コンパクトカメラを使ってその時々の状況に即座に反応するような撮り方をする、ということが挙げられます。つまり、フォトジャーナリストのようにプロ仕様の機材を使って取材をするという姿勢ではなく、あくまでも旅行者として写真を撮り、時には旅先で知り合った人の家に泊めてもらうなどして親交を深めていくために、様々な地域の市井の人々の生活空間が写真の中に色濃く留められているのです。また、写真集の中には、撮影からかなり時間を経た後に編集されているものも多く、撮影時期の違いや時間の経過が、作品の主題になっているものもあります。
今回紹介する写真集『Give Me Your Image』は、2002年から2005年にかけてヨーロッパ各地を旅する中で、出逢った人たちが持っている写真を、持ち主の部屋の中で撮影した写真を纏めたものです。写真集の表紙(図1)からも看て取れるように、写真が置かれている場所の光の状態や、写真の重なり合いなど、ものとして写真がどのような状態にあるのかということを意識して撮っていることが伺われます。写っているのは、アルバムのページや、壁にかけられたり戸棚やサイドボードの上に置かれたりしている額縁に収められた写真が多く、写真集のページの判型に合わせるように、見開きで写真を裁ち落とすようにして纏められています。このような編集の仕方によって、見知らぬ人の家の中に入って、部屋の隅に近寄ってまじまじと写真を見つめるような効果が作り出されています。
(図2)
ローマ 2005年
(図3)
ミュンヘン 2004年
白黒写真のプリント越しに額縁に収められたカラー写真が覗いている様子や写真の周辺にある調度品などから(図2)、持ち主それぞれの家族の歴史や暮らしぶりが想像されますし、持ち主の手が写っている写真(図3)は、家族の話を聞きながら写真を撮ったファン・マネンと撮られる側の間の関係の親しさを感じさせます。写真集の巻末には、撮影場所と撮影年が写真のインデックスとともに記載されており、記載された情報に照らし合わせながら写真を見ると、彼女がヨーロッパ各地で撮影をしたことがわかりますが、クローズアップで撮影された写真だけを見ると、どこで撮影されたものなのかははっきりとは判りません。写真集を見る人は、アルバムに書き込まれた文字や周辺に置かれたものなどを手がかりに、いつそれらの写真が撮られたのか、持ち主はどのように写真を扱っているのかということを探りながら、それぞれの写真が辿ってきた時空の旅に想いを巡らせることになります。
(図4)
ノヴォクズネツク 1992年
(図5)
マドリッド 2004年
写されているのは家族写真だけではなく、その地域の歴史に深く関わるものもあります。たとえば、ファン・マネンがこのシリーズに着手する以前に、ソ連邦崩壊直後のロシアを旅していた時期に、ノヴォクズネツクで撮影された写真(図4)では、ランプや生活雑貨が雑然と置かれた部屋の片隅に、スターリンのポートレートを貼り合わせた台紙のようなものが置かれており、スターリンの施策により工業都市として急速に発展した街に暮らした人々の営みから、歴史の痕跡を看て取ることができます。また、戸棚か机の上にドレスに身を包み着飾った女性達のスナップ写真の傍らに、政治集会で敬礼をする群衆の写真が置かれた写真(図5)は、個人的な体験と社会的、歴史的な出来事が写真を通して人々の記憶の中に刻み込まれていくありようを示唆しているようでもあります。
(図6)
パリ ヴィリエ=ル=ベル セネガルからの移民 2002年
(図7)
ブダペスト 2004年
個人的な体験と、社会の変化や歴史との関わり合いが、写真と撮影場所によって示されているものもあります。たとえば、食器棚に並べられたグラスの傍らに、赤ん坊に授乳をするアフリカ系の女性をとらえたスナップ写真が置かれている写真(図6)は、パリ郊外の街ヴィリエ=ル=ベルで撮影され、写真の持ち主はセネガルからの移民であると記されています。写真に写っている母子が写真の持ち主なのか、あるいは持ち主の家族でセネガルに残っているのかといった詳細は定かではありませんが、ヨーロッパへの移民という現在も進行する社会変動の中で、このスナップ写真がたまさかにこの場所に辿り着いたことの証となっています。このように、写真が時空の旅を経て人の手元に残されていることの意味を痛切に感じさせるのは、(図7)のような、第二次世界大戦中に強制収容所で撮影されたと思しき写真です。頭髪を剃られて立ち並ぶ女性達の群衆を捉えた写真の下の方には、2つの矢印が書き込まれていて、写真の中に写されている女性達の中の誰かが、写真の持ち主に何らかの関係があることを示しているようです。
写真集のページを繰り返し捲っているうちに、見知らぬ誰かのプライベートな空間に入り込み、親しみにも似た感情を抱くと同時に、部屋の小さな角に置かれた写真が、歴史の奥深く、遠い時空の旅へと見る者を誘っていきます。ベルティアン・ファン・マネンがこの写真集に、「Give Me Your Image(あなたのイメージを私に下さい)」という懇願のメッセージを題名として冠したのは、決して他人に譲ることのできない、人生や歴史の証となる写真という「もの」それ自体ではなく、「もの」が確かに存在すること、また彼女と写真の持ち主との交友が紡がれたことの証を残し、遠い時空につながる小さな窓を写真を見る人たちに対して開きたいという切なる願いが込められているからではないでしょうか。
(こばやし みか)
●今日のお勧め作品は、ヘレン・レヴィットです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第20回をご覧ください。
ヘレン・レヴィット
「メキシコ 1941」
ゼラチンシルバープリント
18.0x21.1cm
1981年 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
●明日のブログはスタッフSによる「Art Busan 2016」帰国レポートです。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
写真を廻る旅 / 写真が経た旅 ベルティアン・ファン・マネン『Give Me Your Image』

今回紹介するのは、オランダの写真家ベルティアン・ファン・マネン(Bertien van Manen, 1942-)の写真集『Give Me Your Image』(Steidl, 2006)です。ファン・マネンは、フランス語を学んだ後、1970年代に二人の子どもたちの写真を撮るようになったことから、写真に取り組むようになりました。当初はファッション写真などの仕事も手がけていましたが、徐々に個人的な作品制作に専心するようになり、欧州やロシア、中国、アメリカなさまざまな地域を旅しながら写真を撮り続けてきました。近年、イギリスの出版社MACKから継続して出版してきた以下のような写真集が注目を集めています。
『Let's sit down before we go』(2011)
1991年から2009年の間にロシアや東欧の国々を旅して撮影した写真で構成 「出かける前に座ろう」という言葉は、ロシアでの慣習、言い回しに由来する。
『Easter and Oak Trees』(2013)
1970年代に毎年休日を過ごしていたオランダのden Eikenhorst(「オークの木の巣」という意味)という地域で撮影された家族写真をまとめたもの。当時の大らかな時代性が反映されている。
『Moonshine』
アメリカのアパラチア地方で密造酒(月夜の下で製造されることからmoonshineという呼称)に携わる人、炭坑労働者たちの家族(ヒルビリーというスコットランド系の移民)を1980年代からおよそ30年にわたって撮影した写真で構成。
『Beyond Maps and Atlases』 (2016)
ファン・マネンが夫を亡くした後に、アイルランドで2013年から2015年にかけて撮影した写真で構成。
彼女の作品に共通する特徴として、年月をかけて旅を重ね、訪れる地域の人々と親密な交流を持って撮影をすること、コンパクトカメラを使ってその時々の状況に即座に反応するような撮り方をする、ということが挙げられます。つまり、フォトジャーナリストのようにプロ仕様の機材を使って取材をするという姿勢ではなく、あくまでも旅行者として写真を撮り、時には旅先で知り合った人の家に泊めてもらうなどして親交を深めていくために、様々な地域の市井の人々の生活空間が写真の中に色濃く留められているのです。また、写真集の中には、撮影からかなり時間を経た後に編集されているものも多く、撮影時期の違いや時間の経過が、作品の主題になっているものもあります。
今回紹介する写真集『Give Me Your Image』は、2002年から2005年にかけてヨーロッパ各地を旅する中で、出逢った人たちが持っている写真を、持ち主の部屋の中で撮影した写真を纏めたものです。写真集の表紙(図1)からも看て取れるように、写真が置かれている場所の光の状態や、写真の重なり合いなど、ものとして写真がどのような状態にあるのかということを意識して撮っていることが伺われます。写っているのは、アルバムのページや、壁にかけられたり戸棚やサイドボードの上に置かれたりしている額縁に収められた写真が多く、写真集のページの判型に合わせるように、見開きで写真を裁ち落とすようにして纏められています。このような編集の仕方によって、見知らぬ人の家の中に入って、部屋の隅に近寄ってまじまじと写真を見つめるような効果が作り出されています。
(図2)ローマ 2005年
(図3)ミュンヘン 2004年
白黒写真のプリント越しに額縁に収められたカラー写真が覗いている様子や写真の周辺にある調度品などから(図2)、持ち主それぞれの家族の歴史や暮らしぶりが想像されますし、持ち主の手が写っている写真(図3)は、家族の話を聞きながら写真を撮ったファン・マネンと撮られる側の間の関係の親しさを感じさせます。写真集の巻末には、撮影場所と撮影年が写真のインデックスとともに記載されており、記載された情報に照らし合わせながら写真を見ると、彼女がヨーロッパ各地で撮影をしたことがわかりますが、クローズアップで撮影された写真だけを見ると、どこで撮影されたものなのかははっきりとは判りません。写真集を見る人は、アルバムに書き込まれた文字や周辺に置かれたものなどを手がかりに、いつそれらの写真が撮られたのか、持ち主はどのように写真を扱っているのかということを探りながら、それぞれの写真が辿ってきた時空の旅に想いを巡らせることになります。
(図4)ノヴォクズネツク 1992年
(図5)マドリッド 2004年
写されているのは家族写真だけではなく、その地域の歴史に深く関わるものもあります。たとえば、ファン・マネンがこのシリーズに着手する以前に、ソ連邦崩壊直後のロシアを旅していた時期に、ノヴォクズネツクで撮影された写真(図4)では、ランプや生活雑貨が雑然と置かれた部屋の片隅に、スターリンのポートレートを貼り合わせた台紙のようなものが置かれており、スターリンの施策により工業都市として急速に発展した街に暮らした人々の営みから、歴史の痕跡を看て取ることができます。また、戸棚か机の上にドレスに身を包み着飾った女性達のスナップ写真の傍らに、政治集会で敬礼をする群衆の写真が置かれた写真(図5)は、個人的な体験と社会的、歴史的な出来事が写真を通して人々の記憶の中に刻み込まれていくありようを示唆しているようでもあります。
(図6)パリ ヴィリエ=ル=ベル セネガルからの移民 2002年
(図7)ブダペスト 2004年
個人的な体験と、社会の変化や歴史との関わり合いが、写真と撮影場所によって示されているものもあります。たとえば、食器棚に並べられたグラスの傍らに、赤ん坊に授乳をするアフリカ系の女性をとらえたスナップ写真が置かれている写真(図6)は、パリ郊外の街ヴィリエ=ル=ベルで撮影され、写真の持ち主はセネガルからの移民であると記されています。写真に写っている母子が写真の持ち主なのか、あるいは持ち主の家族でセネガルに残っているのかといった詳細は定かではありませんが、ヨーロッパへの移民という現在も進行する社会変動の中で、このスナップ写真がたまさかにこの場所に辿り着いたことの証となっています。このように、写真が時空の旅を経て人の手元に残されていることの意味を痛切に感じさせるのは、(図7)のような、第二次世界大戦中に強制収容所で撮影されたと思しき写真です。頭髪を剃られて立ち並ぶ女性達の群衆を捉えた写真の下の方には、2つの矢印が書き込まれていて、写真の中に写されている女性達の中の誰かが、写真の持ち主に何らかの関係があることを示しているようです。
写真集のページを繰り返し捲っているうちに、見知らぬ誰かのプライベートな空間に入り込み、親しみにも似た感情を抱くと同時に、部屋の小さな角に置かれた写真が、歴史の奥深く、遠い時空の旅へと見る者を誘っていきます。ベルティアン・ファン・マネンがこの写真集に、「Give Me Your Image(あなたのイメージを私に下さい)」という懇願のメッセージを題名として冠したのは、決して他人に譲ることのできない、人生や歴史の証となる写真という「もの」それ自体ではなく、「もの」が確かに存在すること、また彼女と写真の持ち主との交友が紡がれたことの証を残し、遠い時空につながる小さな窓を写真を見る人たちに対して開きたいという切なる願いが込められているからではないでしょうか。
(こばやし みか)
●今日のお勧め作品は、ヘレン・レヴィットです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第20回をご覧ください。
ヘレン・レヴィット「メキシコ 1941」
ゼラチンシルバープリント
18.0x21.1cm
1981年 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
●明日のブログはスタッフSによる「Art Busan 2016」帰国レポートです。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
コメント