展覧会直前連載:「和紙に挑む」(全4話)
第1話 予期せぬ混ざり合いからの想像と創造
光嶋裕介(建築家)
「絵を描く」という至極プリミティブな行為が成立するためには、ペンや鉛筆といった描くための道具と、描かれるベースとなる紙がいる。ごく当たり前のことだが、これは、とても大切なはじまり。
描きたいように、自分の身体感覚の行き届いたペンは、まるで自分の指の延長であるかのように自由に動き、目の前の風景や脳内のイメージをはっきりとした線として描き出すことができる。また、ペンが「図」としての線を描き落とすのは、「地」としての紙である。
このなんの変哲もないような二つの道具、ペンと紙は、すべての創造のスタートライン、あるいは土台となる。極端にいえば、画家は自らのペンと紙でなければ創作できないはずだ。使い慣れない道具では、違和感ばかりが先行し、描きたいものを描くことは難しい。だから、画家たちは、必ず自分のペンとお気に入りの紙を持っている。幾度となく失敗を重ね、もっともしっくりくるペンと紙(筆とキャンバスと言い換えてもよい)を使って絵を描いている。
一枚のドローイングにとって、「何で」、「何に」、描くかというのは、とても大切な出発点。もちろん、「何を」描くのかが一番大事であることは間違いない。しかし、その前にある描かれる対象としての紙について考えていくと、紙そのものも、立派な作品だと思うようになった。いわば建物にとっての敷地である。画材屋でわくわくしながらお気に入りの画用紙を購入することから作品づくりがはじまっていたと思っていたのだが、無自覚に紙は買うものと決めつけてしまっていたように思う。
むしろ、絵を描く紙そのものを自らの手でつくる(紙は漉くという)ことこそ、なんだか自然なのではないかと思い立ち、越前和紙で有名な福井県武生を再訪した。
二年前に日本の五つの美術館を巡回した『特別展 ガウディ×井上雄彦~シンクロする創造の源泉~』という展覧会の公式ナビゲーターを務めさせて頂いたご縁で、井上さんが武生の上山製紙所にて、高さ3.3メートル、長さが10.7メートルもある大きな和紙「平成長尺大紙」を20人もの人と協働して漉く現場に立ち会うことがあった。工場は、すごい熱気に包まれ、見たこともないような大きくて存在感のある和紙が完成した(井上さんは展覧会の最後の作品をこの大きな和紙に描いて展示した)。今回は、自分のドローイングを描くための和紙を自ら漉いてみることにしたのである。


和紙は、「楮(こうぞ)」や「三椏(みつまた)」といった木が原料となり、その繊維を均質に混ぜるために、ねばねばした「ネリ」を入れると、トロトロした液体が完成する。どことなくエロティックな液体だ。それを、細かい網状の底をした木製の四角い型の上に流し込むとそこに残った繊維が乾燥し、和紙になる。料理するときに網で素麺の水を切るように、水だけが下に落ちて、紙となる繊維はちゃんとひっかかる要領である。
私の場合は、楮を墨などの顔料で染めた黒い液体と、漂白された通常の白い楮の液体の二種類を使用する。それを小さなバケツにそれぞれ汲み取って、同時に木枠の中に流し込む。すると、黒い液体と白い液体が勢いよくぶつかり合う。まったく予期せぬ造形となって混ざり合うのである。このどうなるか「わからない」ことをすべての創作のスタートラインにすることで起動する想像力を大切にしたいのだ。
紙を自ら漉いてつくるということは、無条件に与えられた白紙の上から描き始めるということをしないで、自らの出発点を自覚的に一段階繰り上げることである。与えられた敷地をしっかりと考察した先に建築の設計がはじまるように、ドローイングにとって、紙を自分で漉くことには大きな意味があると私は考える。
こうして、白と黒の液体の予期せぬ混ざり合いから想像力を膨らませ、強度ある創造力を発揮した作品制作がしたいと考えながら、私は今日も和紙に挑んでいる。
(こうしま ゆうすけ)
*画廊亭主敬白
「建築家のドローイングと版画」を看板にしているときの忘れものは、建築家光嶋さんの個展を2012年5月と2014年9月の二度開いています。いつもは閑散としている画廊が連日多くのお客様で賑わいました。二年ぶり三度目の今回は自ら越前和紙の産地に泊り込み自分で和紙を漉く(当然その中には光嶋さんの夢と幻想が籠められています)という熱の入れようです。展覧会は9月を予定していますが、今回の和紙への挑戦を4回にわたり自ら実況中継してもらいます。毎月30日が更新日です。90cmという大きな和紙に挑む野心作にご期待ください。
●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
光嶋裕介
「Urban Landscape Fantasia #1"」(6)
2013年
カンバスにシルクスクリーン、アクリル
90.0×90.0cm
Ed.1
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆新連載・光嶋裕介のエッセイ「和紙に挑む」は毎月30日の更新です。
第1話 予期せぬ混ざり合いからの想像と創造
光嶋裕介(建築家)
「絵を描く」という至極プリミティブな行為が成立するためには、ペンや鉛筆といった描くための道具と、描かれるベースとなる紙がいる。ごく当たり前のことだが、これは、とても大切なはじまり。
描きたいように、自分の身体感覚の行き届いたペンは、まるで自分の指の延長であるかのように自由に動き、目の前の風景や脳内のイメージをはっきりとした線として描き出すことができる。また、ペンが「図」としての線を描き落とすのは、「地」としての紙である。
このなんの変哲もないような二つの道具、ペンと紙は、すべての創造のスタートライン、あるいは土台となる。極端にいえば、画家は自らのペンと紙でなければ創作できないはずだ。使い慣れない道具では、違和感ばかりが先行し、描きたいものを描くことは難しい。だから、画家たちは、必ず自分のペンとお気に入りの紙を持っている。幾度となく失敗を重ね、もっともしっくりくるペンと紙(筆とキャンバスと言い換えてもよい)を使って絵を描いている。
一枚のドローイングにとって、「何で」、「何に」、描くかというのは、とても大切な出発点。もちろん、「何を」描くのかが一番大事であることは間違いない。しかし、その前にある描かれる対象としての紙について考えていくと、紙そのものも、立派な作品だと思うようになった。いわば建物にとっての敷地である。画材屋でわくわくしながらお気に入りの画用紙を購入することから作品づくりがはじまっていたと思っていたのだが、無自覚に紙は買うものと決めつけてしまっていたように思う。
むしろ、絵を描く紙そのものを自らの手でつくる(紙は漉くという)ことこそ、なんだか自然なのではないかと思い立ち、越前和紙で有名な福井県武生を再訪した。
二年前に日本の五つの美術館を巡回した『特別展 ガウディ×井上雄彦~シンクロする創造の源泉~』という展覧会の公式ナビゲーターを務めさせて頂いたご縁で、井上さんが武生の上山製紙所にて、高さ3.3メートル、長さが10.7メートルもある大きな和紙「平成長尺大紙」を20人もの人と協働して漉く現場に立ち会うことがあった。工場は、すごい熱気に包まれ、見たこともないような大きくて存在感のある和紙が完成した(井上さんは展覧会の最後の作品をこの大きな和紙に描いて展示した)。今回は、自分のドローイングを描くための和紙を自ら漉いてみることにしたのである。


和紙は、「楮(こうぞ)」や「三椏(みつまた)」といった木が原料となり、その繊維を均質に混ぜるために、ねばねばした「ネリ」を入れると、トロトロした液体が完成する。どことなくエロティックな液体だ。それを、細かい網状の底をした木製の四角い型の上に流し込むとそこに残った繊維が乾燥し、和紙になる。料理するときに網で素麺の水を切るように、水だけが下に落ちて、紙となる繊維はちゃんとひっかかる要領である。
私の場合は、楮を墨などの顔料で染めた黒い液体と、漂白された通常の白い楮の液体の二種類を使用する。それを小さなバケツにそれぞれ汲み取って、同時に木枠の中に流し込む。すると、黒い液体と白い液体が勢いよくぶつかり合う。まったく予期せぬ造形となって混ざり合うのである。このどうなるか「わからない」ことをすべての創作のスタートラインにすることで起動する想像力を大切にしたいのだ。
紙を自ら漉いてつくるということは、無条件に与えられた白紙の上から描き始めるということをしないで、自らの出発点を自覚的に一段階繰り上げることである。与えられた敷地をしっかりと考察した先に建築の設計がはじまるように、ドローイングにとって、紙を自分で漉くことには大きな意味があると私は考える。
こうして、白と黒の液体の予期せぬ混ざり合いから想像力を膨らませ、強度ある創造力を発揮した作品制作がしたいと考えながら、私は今日も和紙に挑んでいる。
(こうしま ゆうすけ)
*画廊亭主敬白
「建築家のドローイングと版画」を看板にしているときの忘れものは、建築家光嶋さんの個展を2012年5月と2014年9月の二度開いています。いつもは閑散としている画廊が連日多くのお客様で賑わいました。二年ぶり三度目の今回は自ら越前和紙の産地に泊り込み自分で和紙を漉く(当然その中には光嶋さんの夢と幻想が籠められています)という熱の入れようです。展覧会は9月を予定していますが、今回の和紙への挑戦を4回にわたり自ら実況中継してもらいます。毎月30日が更新日です。90cmという大きな和紙に挑む野心作にご期待ください。
●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
光嶋裕介「Urban Landscape Fantasia #1"」(6)
2013年
カンバスにシルクスクリーン、アクリル
90.0×90.0cm
Ed.1
サインあり
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