昨年3月12日朝、思わぬ事故に遭遇して以来、一年が過ぎました。
昨日は、朝家を出て、タクシーとバスを乗り継いで病院には9時半到着。整形外科の診察と週一のリハビリ訓練が終わったのが13時、バスで自宅のあるひばりヶ丘駅に戻り、今度は気管支アレルギーの治療のために耳鼻咽喉科医院に。何種類もの薬をもらって帰宅したら15時半。一日中、医者周りで暮れました。
こんな生活が一年続いていますが、まだ腕は前に90度弱、ヨコには75度しか持ち上がりません。
医者「なかなか上がりませんね」
亭主「とんかちを使えないので困るんです」
医者「えっ、とんかち?」
亭主「商売が画廊なもんで」
新幹線の棚には辛うじて荷物を上げられますが、飛行機の座席上方の荷物入れには情けないことに乗務員さんにあげてもらわないと一人ではできません。
困るのは画廊やフェアの壁面の高い位置にフックを打ち込むことができない。好きな絵を自分で壁にかけることができないなんて・・・・
-------------------
画廊では「小野隆生コレクション展」を開催しています。
展示の様子はコチラをご覧ください。
小野隆生の初個展は40年前の1976年(銀座の現代画廊)でしたが、このときの出品作品は油彩です。
ここではその後、テンペラ技法に移行した小野隆生の比較的小ぶりなテンペラ作品をご紹介します。
日本での美術教育に馴染まなかったのか、小野隆生はフランスを経て、1971年イタリアに渡ります。ローマやフィレンツェの美術学校に通いますが、いずれも中退します。
1977年国立ローマ中央修復研究所絵画科に入学し、1980年に卒業しました。小野の語るところによれば入学する(できる)日本人は数多いが、卒業した人は少ない。
この修復研究所が小野の運命を決めたようです。
在学中の1977から、1985年にかけてイタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わり、ジョットやティツィアーノらの作品に直接触れ、古典技法を習得しました。テンペラ技法との本格的な出会いでした。
小野隆生《肖像図 96-1》
1996年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生
《肖像図 96-5》
1996年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
「修復家になるつもりはなかった。修復の仕事をすれば、ルネサンスの画家たちの技法に直接触れることができるから。」と語るとおり、10年で修復の仕事から離れ、敬愛するペルジーノのゆかりの町にアトリエを構えます。
小野隆生《10月》
2000年
テンペラ・画布
80.0×70.0cm
サインあり
小野隆生《行く先のない旅》
2000年
テンペラ・画布
80.0×70.0cm
サインあり
小野隆生《男の独り言》
2000年
テンペラ・画布
80.0×70.0cm
サインあり
小野隆生《肖像図 6-2003》
2003年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像図 24-2005》
2005年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像図 27-2006》
2006年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像 IV-2006》
2006年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像 V-2006》
2006年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《ほどけた靴の紐》
2008年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《空の塗り残し》
2008年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《夏時間の季節 II のために》
2009年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《午後の庭》
2009年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《Portrait I》
2010年
テンペラ、画布
80.0x60.0cm(25号)
サインあり
小野隆生《Portrait II》
2010年
テンペラ、画布
80.0x60.0cm(25号)
サインあり
小野隆生《Portrait III》
2010年
テンペラ、画布
80.0x60.0cm(25号)
サインあり
小野隆生《肖像図 III》
2010年
テンペラ、画布
40.0x30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《2010-1》(題名未定)
2010年
テンペラ、画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
《2010-2》(題名未定)
2010年
テンペラ、画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
不思議なことですが、小野が半世紀近く暮らすイタリアで本格的な画廊での展覧会はいまだありません。
日本でも美術館レベルでの回顧展の機会もあったのですが、最終的に小野自身の判断で沙汰やみになりました。
2008年に自選による「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」 が池田20世紀美術館で開催されたのが唯一の例です。
●「小野隆生の絵を銀座の資生堂ギャラリーで見たのは、もう10年ほども前だろうか。覚えているのは絵を目にした瞬間に私の足が、すこし震えたことである。」
(大倉宏『「貴種」に正対する目』より)
●「オブジェと人物。私はある時、小野作品に対して、この双方に同じような眼差しを向けていたことに気付かされたのです。たしかに、人物を描いたものは、肖像画の体裁を成しています。でも、ある特定の人物の姿をとらえた、いわゆる肖像画とはちがってモデルがなく、その人物の性格や感情が見る側に直接的に伝わることはありません。そのためか、画家の頭の中で静かに熟成された人物像は、どこか凛とした佇まいの静物画(オブジェ)を思わせるのです。」
(池上ちかこのエッセイより、2009年05月09日)
●「小野作品には、キャンバス作品にも何処か未完成な感じがあるが、この未完成さが日本絵画の伝統を継承する最大の特徴ではないかと思う。」
(小泉清のエッセイより)
●「久しぶりにコレクションの肖像画を並べてみた。ふと、これから「小野隆生はどこへ行くのだろうか?」との想いがよぎった。イタリアの片田舎のゆったりとした時間のなかで描き続けられる肖像画が、グローバル経済の中で揺れ、少子高齢化社会を迎え閉塞感のある日本とどのように関わるのか?また、日本のアイデンティティが問われ、日本にとって文化こそ最後の砦になるかもしれない時代にどのように関わるのか?・・・私にとって興味津々だ。コレクターの一人として、こらからも小野隆生という風に吹かれて、今という時代を一緒にゆっくり歩いていこうと思う。」
(荒井由泰のエッセイより、2007年4月26日)
◆ときの忘れものは「小野隆生コレクション展」を開催しています。
会期:2017年3月7日[火]―3月25日[土] *日・月・祝日休廊

岩手県に生まれた小野隆生は、1971年イタリアに渡ります。国立ローマ中央修復研究所絵画科を卒業し、1977~1985年にイタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わり、ジョットやティツィアーノらの作品に直接触れ、古典技法を習得しました。1976年銀座・現代画廊で初個展開催。資生堂ギャラリー[椿会展]に出品。「ライバルは500年前のルネサンスの画家たち」との揺るぎない精神でテンペラ画による肖像画を制作をしています。2008年には池田20世紀美術館で「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」 を開催しました。
本展では、小野の1970年代の初期作品から2000年代の近作まで、油彩・テンペラ・素描など約15点をご覧いただきます。
昨日は、朝家を出て、タクシーとバスを乗り継いで病院には9時半到着。整形外科の診察と週一のリハビリ訓練が終わったのが13時、バスで自宅のあるひばりヶ丘駅に戻り、今度は気管支アレルギーの治療のために耳鼻咽喉科医院に。何種類もの薬をもらって帰宅したら15時半。一日中、医者周りで暮れました。
こんな生活が一年続いていますが、まだ腕は前に90度弱、ヨコには75度しか持ち上がりません。
医者「なかなか上がりませんね」
亭主「とんかちを使えないので困るんです」
医者「えっ、とんかち?」
亭主「商売が画廊なもんで」
新幹線の棚には辛うじて荷物を上げられますが、飛行機の座席上方の荷物入れには情けないことに乗務員さんにあげてもらわないと一人ではできません。
困るのは画廊やフェアの壁面の高い位置にフックを打ち込むことができない。好きな絵を自分で壁にかけることができないなんて・・・・
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画廊では「小野隆生コレクション展」を開催しています。
展示の様子はコチラをご覧ください。
小野隆生の初個展は40年前の1976年(銀座の現代画廊)でしたが、このときの出品作品は油彩です。
ここではその後、テンペラ技法に移行した小野隆生の比較的小ぶりなテンペラ作品をご紹介します。
日本での美術教育に馴染まなかったのか、小野隆生はフランスを経て、1971年イタリアに渡ります。ローマやフィレンツェの美術学校に通いますが、いずれも中退します。
1977年国立ローマ中央修復研究所絵画科に入学し、1980年に卒業しました。小野の語るところによれば入学する(できる)日本人は数多いが、卒業した人は少ない。
この修復研究所が小野の運命を決めたようです。
在学中の1977から、1985年にかけてイタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わり、ジョットやティツィアーノらの作品に直接触れ、古典技法を習得しました。テンペラ技法との本格的な出会いでした。
小野隆生《肖像図 96-1》1996年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像図 96-5》
1996年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
「修復家になるつもりはなかった。修復の仕事をすれば、ルネサンスの画家たちの技法に直接触れることができるから。」と語るとおり、10年で修復の仕事から離れ、敬愛するペルジーノのゆかりの町にアトリエを構えます。
小野隆生《10月》2000年
テンペラ・画布
80.0×70.0cm
サインあり
小野隆生《行く先のない旅》2000年
テンペラ・画布
80.0×70.0cm
サインあり
小野隆生《男の独り言》2000年
テンペラ・画布
80.0×70.0cm
サインあり
小野隆生《肖像図 6-2003》2003年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像図 24-2005》2005年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像図 27-2006》2006年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像 IV-2006》2006年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《肖像 V-2006》2006年
テンペラ・画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《ほどけた靴の紐》2008年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《空の塗り残し》2008年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《夏時間の季節 II のために》2009年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《午後の庭》2009年
テンペラ・画布
80.0×60.0cm
サインあり
小野隆生《Portrait I》2010年
テンペラ、画布
80.0x60.0cm(25号)
サインあり
小野隆生《Portrait II》2010年
テンペラ、画布
80.0x60.0cm(25号)
サインあり
小野隆生《Portrait III》2010年
テンペラ、画布
80.0x60.0cm(25号)
サインあり
小野隆生《肖像図 III》2010年
テンペラ、画布
40.0x30.0cm(6号)
サインあり
小野隆生《2010-1》(題名未定)2010年
テンペラ、画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
《2010-2》(題名未定)2010年
テンペラ、画布
40.0×30.0cm(6号)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
不思議なことですが、小野が半世紀近く暮らすイタリアで本格的な画廊での展覧会はいまだありません。
日本でも美術館レベルでの回顧展の機会もあったのですが、最終的に小野自身の判断で沙汰やみになりました。
2008年に自選による「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」 が池田20世紀美術館で開催されたのが唯一の例です。
●「小野隆生の絵を銀座の資生堂ギャラリーで見たのは、もう10年ほども前だろうか。覚えているのは絵を目にした瞬間に私の足が、すこし震えたことである。」
(大倉宏『「貴種」に正対する目』より)
●「オブジェと人物。私はある時、小野作品に対して、この双方に同じような眼差しを向けていたことに気付かされたのです。たしかに、人物を描いたものは、肖像画の体裁を成しています。でも、ある特定の人物の姿をとらえた、いわゆる肖像画とはちがってモデルがなく、その人物の性格や感情が見る側に直接的に伝わることはありません。そのためか、画家の頭の中で静かに熟成された人物像は、どこか凛とした佇まいの静物画(オブジェ)を思わせるのです。」
(池上ちかこのエッセイより、2009年05月09日)
●「小野作品には、キャンバス作品にも何処か未完成な感じがあるが、この未完成さが日本絵画の伝統を継承する最大の特徴ではないかと思う。」
(小泉清のエッセイより)
●「久しぶりにコレクションの肖像画を並べてみた。ふと、これから「小野隆生はどこへ行くのだろうか?」との想いがよぎった。イタリアの片田舎のゆったりとした時間のなかで描き続けられる肖像画が、グローバル経済の中で揺れ、少子高齢化社会を迎え閉塞感のある日本とどのように関わるのか?また、日本のアイデンティティが問われ、日本にとって文化こそ最後の砦になるかもしれない時代にどのように関わるのか?・・・私にとって興味津々だ。コレクターの一人として、こらからも小野隆生という風に吹かれて、今という時代を一緒にゆっくり歩いていこうと思う。」
(荒井由泰のエッセイより、2007年4月26日)
◆ときの忘れものは「小野隆生コレクション展」を開催しています。
会期:2017年3月7日[火]―3月25日[土] *日・月・祝日休廊

岩手県に生まれた小野隆生は、1971年イタリアに渡ります。国立ローマ中央修復研究所絵画科を卒業し、1977~1985年にイタリア各地の教会壁画や美術館収蔵作品の修復に携わり、ジョットやティツィアーノらの作品に直接触れ、古典技法を習得しました。1976年銀座・現代画廊で初個展開催。資生堂ギャラリー[椿会展]に出品。「ライバルは500年前のルネサンスの画家たち」との揺るぎない精神でテンペラ画による肖像画を制作をしています。2008年には池田20世紀美術館で「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」 を開催しました。
本展では、小野の1970年代の初期作品から2000年代の近作まで、油彩・テンペラ・素描など約15点をご覧いただきます。
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