引越し騒ぎでてんやわんや、毎日海外国内から来るお問い合わせにもろくろくお答えできない有様ですが、思いがけずもオノサト・トシノブ先生の油彩の大作が入ってきました。
連日倉庫と青山、移転先を行ったり来たりで、ヘロヘロですが、こういう力作を目にすると、疲れもふっとび仕事への意欲が湧いてきます。画商冥利に尽きます。

onosato_s100_600オノサト・トシノブ
「衝撃波の円」シリーズより
1982年
油彩・キャンバス
100×100cm
サイン・年記あり

オノサト先生は円を描き続けた画家として有名ですが(もちろん最初から丸一筋というわけではなく初期には建物や静物、風景なども描いています)、その円も時代によって描き方が変化します。

04オノサト・トシノブ
二つの丸 黒と赤
1958年
油彩、キャンバス
16.2x23.2cm
サイン・年記あり

50年代の「べた丸」の典型的な作品ですが、市場での評価が高騰している「べた丸」の時代は僅か5年ほどで終わり、60年代には「丸の分割」の時代が始まり、曼荼羅風の円の作品が多数制作されました。

CIMG1703_600オノサト・トシノブ
「64-G」
1964年  リトグラフ
Image size: 24.0x24.0cm
Sheet size: 49.0x32.0cm
Ed.120
サインあり
※レゾネNo.14

1962年久保貞次郎先生の紹介で志水楠男さんが経営する南画廊で個展を開催、日本の最も良質な画商に認められたことで評価が高まり、続いて1964年のヴェニス・ビエンナーレに出品することで国際的な舞台に押し上げられます。
しかし蜜月は長く続かず、1969年6月の南画廊個展を最後に志水さんとの関係が断絶します。

002_オノサト・トシノブオノサト・トシノブ
「Silk-10」
1967年
シルクスクリーン
Image size: 50.0x50.0cm
Sheet size: 56.5x56.0cm
Ed.150
サインあり


70年代のオノサト先生は黄色を多用したシステマティクな画風に変化しました。
南画廊と断絶したことで発表の場を失ったオノサト先生は極く少数の個人コレクターや、いわゆる四人組(尾崎正教、岡部徳三、高森俊、大野元明)による版画制作によって生活が支えられるという時代が長く続きます。
14オノサト・トシノブ
Tapestry B
1977年
捺染、布
119.5x80.0cm
Ed.100 Signed
*現代版画センターエディション
*レゾネNo.143

1979年3月志水さんが急逝、周囲が期待しまた実際に関係者が和解の労をとったにも関わらず二人の関係は遂に復活しませんでした。
その後、今まで遠慮していた画商たちもオノサト先生に種々の誘いをかけ、先生も画風を一変させ、最後の挑戦をします。
しかし、ある画商からリクエストされた丸型キャンバスの要求にはさすがのオノサト先生も疲労困憊し、1986年に体調を崩し11月30日亡くなりました(享年74)。

1980年代のオノサト先生大きな特徴は「黒の復活」です。
冒頭にご紹介した「衝撃波の円」シリーズよりがその典型です。
オノサト先生は初期から1950年代のべた丸時代には黒色を多用しています。とろこが60年代、70年代にはその画面から黒は消えてしまいました。
南画廊の志水さんが欧米のコレクターに売り込んだ作品には黒はあまり使われていません。
黒なしの画面が20年ほど続き、志水さん没後の1980年代に突如画面に「黒」が復活します。
オノサト先生の中に何がおこったのでしょうか。

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