オノサト・トシノブ先生が亡くなって30年余りが経ちました。
バブル崩壊の余波もあって長い間、市場での評価は低迷していました。
生前は山口長男とともに日本の抽象画を代表する作家として、また南画廊の作家として一目も二目も置かれていたのに、オノサトファンとしては悔しい日々が続いてきました。
ところが、ここ数年、市場での評価が復活高騰しています。
油彩小品、水彩、版画大作「銀河」などが入ってきたので、ご紹介します。
オノサト・トシノブ
「二つの丸 黒と赤」
1958年
油彩、キャンバス
16.2x23.2cm
サイン・年記あり
昔から人気なのは50年代の「ベタ丸の時代」。
しかし「ベタ丸の時代」は僅か5年ほどで終わってしまいました。従って作品数も少ない。
オノサト・トシノブ
「作品」
1963年
紙に水彩
19.3×28.5cm
サイン、年記あり
1963年という時期は、「ベタ丸の時代」が終わり、60年代の「丸の分割の時代」に入り、大きな丸(円)の中を、精緻な正方形で分割する作品が頂点に達した年です。
その前年の1962年に久保貞次郎先生に南画廊の志水楠男さんを紹介され、同年3月南画廊で個展を開催します。
60年代は「丸の分割、曼荼羅」スタイルの時代であり、同時に南画廊の志水さんとの蜜月時代でした。
その絶頂が、1964年の第32回ベニス・ビエンナーレ、1966年第33回ベニス・ビエンナーレへの連続出品でした。志水さんとしても、世界の舞台に<南画廊のオノサト>をアピールする重要な機会でした。
この二度のベニス・ビエンナーレに出品されたのが「作品100-A」という大作(130×162cm)で現在はPL教団が所蔵していますが、画面いっぱいに描かれた大きな円の中を小さな正方形が埋め尽くすスタイルの最も良質な作品です。
上掲の水彩作品は、ベニス・ビエンナーレ出品作の制作に没頭していた時期のもので、絵の構成は「作品100-A」に共通しています。
水彩の透明感が強調され、油彩より一層「丸の分割」が鮮やかに見えてきます。
"Silk-2"
1966年
シルクスクリーン
31.0×40.0cm
Ed.120 サインあり
*レゾネNo.20
オノサト・トシノブ
「Silk-10」
1967年
シルクスクリーン
50.0x50.0cm
Ed.150
サインあり
オノサト絵画のコレクターとして有名だった藤岡時彦さんが2005年3月に桐生の大川美術館で開催された「オノサト・トシノブ展ーー織都・桐生に生きた抽象画家ーー」図録に<オノサト芸術の時代区分>として、その画業を六期に分けてそれぞれの時代の特徴を論じています。
(詳しくは同図録を参照してください)
第1期 戦前の模索時代(1931~1942)
第2期 戦後の模索時代(1949~1954)
第3期 ベタ丸の時代(1955~1959)
第4期 丸の分割の時代(1960~1968)
第5期 多様化の時代(1969~1980)
第6期 総合の時代(1981~1986)

1978年3月15日
桐生のアトリエにて
オノサト・トシノブ先生
オノサト・トシノブ
「波形の十二分割」
1980年
油彩、キャンバス
10.0x10.0cm
裏面にサインあり
丸の分割が行き着くところまで行き、1969年からは藤岡さんの言う「多様化の時代」が約10年続きました。南画廊の志水さんと袂を分かってからの失意と模索の時代といってもいいかも知れません。
亭主が初めてオノサト先生のアトリエを訪ねたのはこの時代でした。
最晩年となる「総合の時代(1981~1986)」には、色彩は明度を取り戻し、華麗な画面に大転換します。
下にご紹介するシルクスクリーンによる「銀河」は亭主が手がたオノサト版画の中でも最も大判で、最晩年を飾るにふさわしい力作と自負しています。

オノサト・トシノブ「Galaxy」
1981年 シルクスクリーン
イメージサイズ:43.7×100.0cm
シートサイズ:54.8×111.0cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo.174
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

バブル崩壊の余波もあって長い間、市場での評価は低迷していました。
生前は山口長男とともに日本の抽象画を代表する作家として、また南画廊の作家として一目も二目も置かれていたのに、オノサトファンとしては悔しい日々が続いてきました。
ところが、ここ数年、市場での評価が復活高騰しています。
油彩小品、水彩、版画大作「銀河」などが入ってきたので、ご紹介します。
オノサト・トシノブ「二つの丸 黒と赤」
1958年
油彩、キャンバス
16.2x23.2cm
サイン・年記あり
昔から人気なのは50年代の「ベタ丸の時代」。
しかし「ベタ丸の時代」は僅か5年ほどで終わってしまいました。従って作品数も少ない。
オノサト・トシノブ「作品」
1963年
紙に水彩
19.3×28.5cm
サイン、年記あり
1963年という時期は、「ベタ丸の時代」が終わり、60年代の「丸の分割の時代」に入り、大きな丸(円)の中を、精緻な正方形で分割する作品が頂点に達した年です。
その前年の1962年に久保貞次郎先生に南画廊の志水楠男さんを紹介され、同年3月南画廊で個展を開催します。
60年代は「丸の分割、曼荼羅」スタイルの時代であり、同時に南画廊の志水さんとの蜜月時代でした。
その絶頂が、1964年の第32回ベニス・ビエンナーレ、1966年第33回ベニス・ビエンナーレへの連続出品でした。志水さんとしても、世界の舞台に<南画廊のオノサト>をアピールする重要な機会でした。
この二度のベニス・ビエンナーレに出品されたのが「作品100-A」という大作(130×162cm)で現在はPL教団が所蔵していますが、画面いっぱいに描かれた大きな円の中を小さな正方形が埋め尽くすスタイルの最も良質な作品です。
上掲の水彩作品は、ベニス・ビエンナーレ出品作の制作に没頭していた時期のもので、絵の構成は「作品100-A」に共通しています。
水彩の透明感が強調され、油彩より一層「丸の分割」が鮮やかに見えてきます。
"Silk-2"1966年
シルクスクリーン
31.0×40.0cm
Ed.120 サインあり
*レゾネNo.20
オノサト・トシノブ「Silk-10」
1967年
シルクスクリーン
50.0x50.0cm
Ed.150
サインあり
オノサト絵画のコレクターとして有名だった藤岡時彦さんが2005年3月に桐生の大川美術館で開催された「オノサト・トシノブ展ーー織都・桐生に生きた抽象画家ーー」図録に<オノサト芸術の時代区分>として、その画業を六期に分けてそれぞれの時代の特徴を論じています。
(詳しくは同図録を参照してください)
第1期 戦前の模索時代(1931~1942)
第2期 戦後の模索時代(1949~1954)
第3期 ベタ丸の時代(1955~1959)
第4期 丸の分割の時代(1960~1968)
第5期 多様化の時代(1969~1980)
第6期 総合の時代(1981~1986)

1978年3月15日
桐生のアトリエにて
オノサト・トシノブ先生
オノサト・トシノブ「波形の十二分割」
1980年
油彩、キャンバス
10.0x10.0cm
裏面にサインあり
丸の分割が行き着くところまで行き、1969年からは藤岡さんの言う「多様化の時代」が約10年続きました。南画廊の志水さんと袂を分かってからの失意と模索の時代といってもいいかも知れません。
亭主が初めてオノサト先生のアトリエを訪ねたのはこの時代でした。
最晩年となる「総合の時代(1981~1986)」には、色彩は明度を取り戻し、華麗な画面に大転換します。
下にご紹介するシルクスクリーンによる「銀河」は亭主が手がたオノサト版画の中でも最も大判で、最晩年を飾るにふさわしい力作と自負しています。

オノサト・トシノブ「Galaxy」
1981年 シルクスクリーン
イメージサイズ:43.7×100.0cm
シートサイズ:54.8×111.0cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo.174
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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