埼玉県立近代美術館で開催中の「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展については1月16日のブログに書いた通り、ときの忘れものは作品と資料は提供しましたが、展覧会の企画構成には一切関わっていません。
初日1月16日に伺って何が驚いたかというと、わが子と思っていた作品たちの想像を超える成長ぶりでした。
敢えて順路をつくらず、見る人の自由に任せる展示も見事です。
出品45作家の略歴もぜひお読みください。よくある受賞歴や出品歴をだらだら並べた手抜き略歴ではなく、簡潔に作家の仕事を紹介し、現存作家の場合は現在の活動にも触れており、学芸員の皆さんの労作です。

現代版画センターの活動にはエディション作家だけではなく、多くの人々が参加しました。
051983年のアンディ・ウォーホル全国展のポスターは先日ご紹介した浪漫堂製作をはじめ幾種類もありますが、上掲のものは田名網敬一先生にデザインをお願いしました。


今日2月22日はウォーホルの命日です。
ウォーホルに惚れて膨大なウォーホル資料を蒐集した栗山豊が路上で倒れたのは2001年2月22日、ウォーホルと同じ日に生涯を終えました。
0b82d291.jpg第二次都知事選のときの車内演説会、右が栗山さん、左が秋山祐徳太子(渡辺克己撮影)。

栗山豊 Yutaka KURIYAMA(1946-2001)
1946年に和歌山県の田辺に生まれた。文化学院を卒業後は、看板描きや、新宿、銀座、上野の街頭で似顔絵描きとして生計をたてていた。春になると全国の主要なお祭りに出かける、寅さんの如き生涯だった。栗山が60年代から集めた膨大なアンディ・ウォーホルに関する資料類は、 1983年、及び1996年の大規模な回顧展の折にはカタログ編集の重要な源泉となった。2001年2月22日街で倒れ、病院に運ばれるが誰にも看取られず亡くなった。

亡くなる少し前に栗山が亭主に託したウォーホル資料の一部は埼玉の会場に展示してあります。
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栗山ファイルのオリジナルはケースの中。

104でもこういうのは実際に手にして見てこその資料です。カラーコピーしたファイルが閲覧コーナーにあり、どなたでも手にとってご覧いただけます。これを見なければ(読まなければ)せっかくの入場料がもったいない。

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映像コーナーでは1983年のウォーホル全国展の様子がスライドでご覧になれます。
(いずれも撮影はタケミアートフォトス)


史上最強のウォーホル・ウォッチャーだった栗山豊について、ブリキ彫刻で名高い秋山祐徳太子先生がその著書ですばらしい紹介文を書いています。
以前秋山先生の了解を得て、ブログに掲載したものを再録させていただきます。
秋山祐徳太子「泡沫傑人列伝」秋山祐徳太子サイン入り
泡沫傑人列伝ー知られざる超前衛ー
2002年 二玄社 18.8×12.8cm 240ページ
価格1,575円(送料別途)
ときの忘れもので扱っています。

帯に<泡沫のソムリエ、秋山祐徳太子が愛をこめて綴る、純正泡沫烈士50名の恐れ入る人生>とあるとおり、ポップ・ハプニングやブリキ彫刻で知られる秋山先生が「週刊読書人」に連載した抱腹絶倒の異色人物伝。
収録されたのは「葬儀人類学者」「男根アーティスト」「従軍露出士」「汚物芸術家」「夜中の変身魔」「ゼロ次元総帥」「百人町のプラトン」など有名無名50人。
「週刊読書人」連載時には栗山さんは健在でした。単行本になったのは栗山さんの没後で、訃報の顛末を「それから」として加筆されています。

■秋山祐徳太子「泡沫傑人列伝 知られざる超前衛」より
栗山豊氏の巻
路上のウォーホル ”世界を点々とする画家”


 アメリカのポップ・アーティストの巨匠、アンディ・ウォーホルに魅せられ、アメリカまで会いに出かけていく。栗山豊さんは、そんな行動力を持った人である。だからと言って、そのことを自慢したり、名誉欲に生きようとすることは微塵もない。見上げたものだ。
 彼の本業は似顔絵描きである。知り合ったのは七〇年代のはじめ頃だが、その以前から似顔絵描きをつづけ、今も現役である。全国で開かれる祭りはもちろんのこと、あらゆるところにイーゼルを立て、じっとお客を待ちかまえている姿には、なかなかの風格がある。
 七九年、私の第二次都知事選の折りには、彼は自費で選挙ポスターを作ってくれた。金がかかるのでもちろん白黒である。それで充分、今や栗山さんの作品として、全国各地の美術館にコレクションされている。
 それはともかく、彼にはもうひとつ妙なる行動癖がある。全世界への旅に出ることである。旅をすること自体別段当たり前のことだが、それだけではない。彼は旅先から世界地図の絵葉書を送ってくる。そして、そこには毎回、赤い点がひとつだけ記してある。時候の挨拶も近況の報告も全く記されていないが、おそらく自分が今その場所に来ているという印なのだろう。「エアメール・アート」というものだが、しばらくすると、また同じような絵葉書が届く。ある時はヨーロッパから、またある時はアフリカ大陸の中央から。葉書サイズなので正確な場所ははっきりとしないが(おそらく本人もわかっていないのだろう)、世界を“点々”としながら似顔絵描きをつづけている、その足跡証明ということなのかもしれない。それでどうした、という気持ちにもなるのだが、来なければ来ないでやはり気にはなる。便りがあるうちは無事ということなのだから・・・・・・。
 今から七年ほど前、彼は交通事故の被害にあった。幸い一命はとりとめ、何ヵ月かの休養の後に、仕事を再開した。その頃、私が知り合いたちと酔っ払って新宿の街を歩いている時、客待ちをしている栗山さんに偶然出会った。酔っ払った友人が、「よう、画伯!」と大声で叫んだので、私はその友人をたしなめた。栗山さんの方は、照れくさそうに下を向いていた。我々は彼を尻目に、素早くその場を立ち去ることにした。そうすることが彼に対する礼儀ではないか、私にはそう思えたからだ。
 昨年の十月、私は、上野の森美術館の一角で展覧会を開いた。テーマは「岡倉天心の逆襲」というもので、天心のコスチュームを身にまとい、公園の中を歩いていると、何か明治を背負っている感じがした。そんな時のことである。ふと見ると、西郷さんの銅像へ向かう階段の途中に、栗山さんがいるではないか。驚いたことに、イーゼルに貼り付けられた有名人の似顔絵の中に、私の都知事選のポスターがある。すかさず私は彼に駆け寄り、岡倉天心の格好をした姿を描いてもらった。人だかりがして描きづらそうだったが、出来上がった絵は文句なしの名作だった。
 今年の夏、栗山さんは、友人の個展を訪れた際に突然倒れたという。救急車で病院に運ばれたが、血圧が異常に高く、しばらく危険な状態がつづいたらしい。それでも難は逃れ、再び現役に復帰、あちらこちらの祭りに出没している。
 そんな彼は、今でも私のことを「夜の東京都知事」といって慕ってくれている。感謝。
 似顔絵描きに徹する彼こそ、西郷どん、よか男でごあす。
 なお、栗山さんは、KKSKIPより『似顔絵ストリート』という本を出しているので、一読あれ。
 敬服満点。(二〇〇〇・一一・一〇)

◎それから◎
 栗山豊さんの訃報が入った。まさかとは思ったが、何度も死線をきり抜けていたので予感はあったものの、その後連絡が取れず、気にしていたのだが。彼は確か和歌山県出身で、時々田舎からカラフルでポップなカマポコを送ってきてくれた。新宿にあった彼のマンションに泊めてもらったこともあった。板橋の葬儀場に行くと主だった友人たちが来ていた。なんでも彼は身内が無く、いとこの女の人が世話をしていたという。赤羽の方の病院に入っていたというのだが、我々も全く知らなかった。色々な事情があったと思うと胸が痛む。この日はなんと彼が尊敬してやまないアンディ・ウォーホルの亡くなった日と同じだという。二〇〇一年二月二十二日、世紀を越えた劇的な日である。帰りに白夜書房の末井昭さんたちと高田馬場で彼を偲んだ。酒が入って誰かが言った。葬儀場で、栗山さんとどこかのおばさんを間違えて、手を合わせてしまったそうだ。私は遅れて立ち会えなかったのだが、あまりにも似ていたという。なんともおかしな話だった。集まった人数は少なかったが、心温まるものだった。後日、青山の360°という画廊で彼を思う別れの会が行なわれた。彼が作ってくれた都知事選のポスターは遺作として永久に輝いている。今頃はウォーホルの似顔絵を描いているだろう。
 ヨウ! 男・栗山豊、見事な人生だった。
 合掌。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ときの忘れもので扱っています。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年~1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

○<埼玉県立近代美術館の『版画の景色 現代版画センターの軌跡』。ウォーホルに浮かれてた時代があったんだなあ、とか展示以外の記録をみていて思ったんだが。それより、当時の作家別価格表とかオークション入札最低価格表があったのがとても興味深かったのだった。
(20180216/あさひやさんのtwitterより)>

○< 一昨日二人で美術館を訪れました。
おかげさまで、錚々たるアーチストによる力のこもった作品に出会うことが出来、
充実した時間を過ごすことが出来ました。
当時の斬新で先駆的な企画の数々を目の当たりにして
あらためて綿貫さんの版画に寄せる強い思いを感じました。
また新しいギャラリーに寄らせていただきます。
綿貫さんの面白いお話を伺えるのを楽しみにしています。

(20180216/SSさんからのメールより)>

○<埼玉近代美術館の現代版画センター展に先月行ってきました。
見応えある展示で、帰りがけにはオノサト版画付き図録を購入しました。
期間中にもう1度見に行けたらと思っています。
それにしても大谷石の採掘跡のウォーホル展、行っておけばよかった。
すごいチャンスだったのに、それを逃したのが悔やまれます。

(20180215/AAさんからのメールより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半~トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

嶋﨑吉信さんのエッセイ~「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)

大谷省吾さんのエッセイ~「版画の景色-現代版画センターの軌跡」はなぜ必見の展覧会なのか(2月16日ブログ)

塩野哲也さんの編集思考室シオング発行のWEBマガジン[ Colla:J(コラージ)]2018 2月号が展覧会を取材し、87~95ページにかけて特集しています。

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.602 アンディ・ウォーホル「KIKU 2」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
602_アンディ・ウォーホル《KIKU 2》アンディ・ウォーホル
《KIKU 2》
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
Image size: 50.0×66.0cm
Sheet size: 54.2×78.6cm
Ed.300  サインあり

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


◆ときの忘れものは「ハ・ミョンウン展」を開催しています。
会期=2018年2月9日[金]―2月24日[土] ※日・月・祝日休廊
201802_HA
ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホルなど誰もが知っている20世紀を代表するポップアートを、再解釈・再構築して自らの作品に昇華させるハ・ミョンウン。近年ではアジア最大のアートフェア「KIAF」に出品するなど活動の場を広げ、今後の活躍が期待される韓国の若手作家です。ときの忘れものでは2回目となる個展ですが、新作など15点を展示します。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
20170707_abe06新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。