佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」

第16回 コンクリートの表情について考え、そこから岡啓輔さんの蟻鱒鳶ルへ、そして歓藍社「染め場とカフェ」の工事現場へ跳ぶ

シャンティニケタンの家のコンクリート
インド・シャンティニケタンでの家の鉄筋コンクリートの躯体は、その表情を見ればわかるように、型枠の内側にビニールシートが貼られて打設されたものである。型枠が外しやすく、型枠を何度も使える、そして型枠が端材のような規格化されていない小さな部材であっても材間の継ぎ目の処理をあまり気にする必要がない、というのがビニールシートを貼る利点だろうと思う。脱型後のコンクリートの表面には所々ビニールシートが巻き込まれて残ってしまっていたりと雑な部分も残るが、躯体全体のツルっとした表面との掛け合わせがなかなか良かったりもする。少なくともその統御仕切れない表情から新たな工作のアイデアが生まれるものであった。

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シャンティニケタンの家の内部中央にたつ壁柱と梁の取り合い部。ビニールが巻き込まれて取り残されている。

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家の外観。軒下のスラブと梁型は一体で打設された。

東京・三田の蟻鱒鳶ルの表情と窓
こんな表情のコンクリートは実は自分にとってはけっこう馴染み深いものでもあった。それはインドから遠く離れた日本・東京の三田にある、岡啓輔さんが建設を続けている「蟻鱒鳶ル」(ありますとんびる)のコンクリートの表情がそれである。蟻鱒鳶ルではこれまで何度も訪れ岡さんに会い、日々ニョキニョキと成長していく現場を見させてもらっていた。蟻鱒鳶ルでは型枠として杉板を何度も使い、その表面に農業用ビニールを貼って、コンクリートの流動性、重さと圧力を上手く利用した様々な造形の実験が試みられている。日本の通常の建築現場ではベニヤに樹脂を塗ったパネコートとセパレータで型枠を作るが、岡さんは自身の自力建設の段階的施工過程から、そしてベニヤ板の化学物質の健康への影響を考慮して、この独自の型枠のシステムを生み出したそうである。インドの建設現場と、東京の蟻鱒鳶ルの現場は気候も風土も作り手も全く異なる。けれども、それぞれの現場が持つある種の限界性に直面した工夫の結果として、同じ質を帯びた建築表現に至ったことが分かる。そしてどちらも状況を打開し、突き抜けていくような、作ることへの清々しい感覚を持った現場である。

そんな蟻鱒鳶ルの作り方、作るに至った経緯はつい最近出版された岡啓輔さんの著書『バベる! ─自力でビルを建てる男』(筑摩書房)に詳述されている。

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蟻鱒鳶ルと岡啓輔さんを知ったのは、およそ8年前、まだ学部の3年生の頃だったかの夏休みに、高山建築学校に参加したことがきっかけであった。そこで岡啓輔に会った。高山建築学校のことは、石山修武さんがしばしば著書の中や日記を読んで伝説のようなものとして知っていた。インターネット上のある記事を読んで、今も開校していることが分かって驚き、すぐに参加を決めた。先の著書『バベる!』に出てくる言葉であるが、「思考と表現が抜きつ抜かれつ交錯する」(113頁)場を目指す学校であった。そしてまた、参加する人間が学生や学生に毛の生えた若輩者が多いゆえ、どうしても思考が先行し、追い求める表現を実現させるための技術が足りずに辛酸を舐める、失敗が生まれる場でもあった。あるいは失敗を許容する場であり、学校というよりは実験場と呼ぶべき場所だった。
蟻鱒鳶ルでは、そんな高山建築学校がやっている試行錯誤の時間を、夏の10日間から1年に、そして10年へと延ばしに延ばし、独人の問答がコツコツと、けれども気づけば広大な痕跡を残しながら繰り広げてられている。数多の工夫の集積、足し算の建築である。

「僕自身の必然性にもとづいて建築をつくるーー。」(238頁)

本の中で一番印象に残った言葉である。必然性とは果たして何だろうか。なかなか実感が湧かないなと思った。なぜならば実のところいつも私は線を引いたり、作ったりするときにはかなりビクビクとして自信は無いからだ。

しばしば私はインドの人と話すときに、拙い英語でアイデンティティ=Identityあるいはアイデオロジー=Ideologyといったモノを探すこと自体が建築を作ることの根拠であると、しばしば言うことがある。(英語で言おうとすると語彙の少なさゆえに言葉も少しだけだが明快になるから、それは反面教師のように良い瞬間だ。)必然性探し。幸いなことに、結果生まれ出てくる建築は、その探索の軌跡をくまなく残してくれる。

岡さんから先日ある仕事を依頼された。友人でもある大工の青島雄大さんとともに、蟻鱒鳶ルの開口部に窓を作ってくれよというもの。なかなかに手強い仕事である。なぜならば、出来上がるモノの可能性が膨大だからだ。縁あってか、ここずっと取り組んでいる素材は木が多い。しかもコンクリートの堅い躯体がまずあって、そこに木を添え、向かわせることばかりをやっている。異なるモノとモノの接触、あるいはすき間、目地の取り方は、つまるところ他者との対話のあり方、発話の仕方である。蟻鱒鳶ルのように少しだけ人見知りで、けれども話し出すと止まらなそうなコンクリートの相手に、どのような木の窓枠をコンタクトさせるか。こちらの手数も多くなるだろう。勝つか負けるか、はたまた闘いの後にガッチリと肩を組めるのか。蟻鱒鳶ルの開口部は、こちらの造形の可能性を引き出してくれる相手であるのは確かであり、それがとても楽しみである。

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福島・大玉村の「染め場とカフェ」での異種間のコンタクト
建築とはそんな異種間のコンタクトの集積である。そしてそれは材料間の取り合い、増築、改築といった新旧のモノのコンタクトも同じく、その接触の機会があればあるほどに作るモノの姿の可能性は広がっていく。今、福島県の大玉村というところで藍染めを軸にモノづくりを試みるチーム、歓藍社に入りながら、そこで新拠点「染め場とカフェ(仮)」を建設している。歓藍社の活動に参加いただいている地元の方が持っている平屋の民家を改修し、そこを染め工房とカフェに変えようというプロジェクトである。民家の既存材に対して新たな木工造作を加えるにあたって、取り合いの様を果たして、どのように表現するか。また、藍染めという柔らかい作業から生まれるモノと、建築という本来固いモノをどのように同居させ、また溶融させるか。5月6月おそらくは、だいたい毎日その現場に滞在して考え抜くつもりである。

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改修する平屋の民家。ちょうど裏の山と村の田園の狭間に位置した場所にある。材料間の取り合いの具合への興味の傾注と同様、山林と田畑との領域的接触のあり方を考えることもこのプロジェクトでは重要だと思っている。またそれを表現に取り込んでみたい。

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内部のスケッチ。染めた布も内部に用いる予定。その取り合いもまた面白そうな部分である。

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染めた布を組み合わせた木製家具のスケッチ。動かせる程度に重くなってはいけない家具のディテールは力学にある程度忠実でなければならないので材料間の取り合いもマザマザと露出してくる。

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同じく歓藍社で活動する河原信彦のドローイング。この「染め場とカフェ」のプロジェクトの、”交錯する創作“の現場の様子を描き表している。

■この施設整備費を集めるため、クラウドファンディングを行っています。プロジェクトの全体像を詳しくまとめているのでぜひご一読を。
「ほんとの空の色を求めて。福島県大玉村で藍染めの「染め場とカフェ」をつくる!」
https://camp-fire.jp/projects/view/68881

さとう けんご

■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。

●本日のお勧め作品は、橋本正司です。
20180507_176a橋本正司
《17-6-A》
2017年
ブロンズ
H82.0xW159.0xD70.0cm


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●ときの忘れものは5月3日(木・祝日)~5月7日(月)まで休廊です。
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阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
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