植田実のエッセイ「本との関係」

第3回『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』


 建築系の編集者として最初につくらせてもらった単行本は『アンジェロ・マンジャロッティ/ANGELO MANGIAROTTI 1955-64』である。月刊誌「建築」の編集作業だけでも手一杯だったのに、無謀な企画をひとりで勝手に起こし、ミラノのマンジャロッティに手紙を出して資料を送ってくれるよう依頼してしまった。当時の編集部では私がいちばん下っ端だったから誰かに手伝ってもらうつもりもなかったし、そのために雑誌の仕事を軽減してもらうのも嫌だった。まもなく資料や作品集としての方向づけの指示が良い頃合いでミラノから送られてきたのに、肝心の東京では一向に進まない。

01『アンジェロ・マンジャロッティ 1955-64』
1965年5月1日
青銅社 発行
企画・製作:植田実
140ページ
26.0×26.0cm
和・伊・英文
表紙:ハードカバーにジャケット、ケースつき


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 月刊「建築」の創刊は1960年9月号である。その翌年には海外の建築家に直接依頼状を送り、写真、図面、テキストを送ってもらい、掲載号とともに資料を返却するというやり方を覚えて、建築家の選定と手紙のやりとりを私が担当することになった。フィリップ・ジョンソン、エーロ・サーリネン、ジオ・ポンティ、オスヴァルト・マティアス・ウンゲルス、ピエル・ルイジ・ネルヴィ、アトリエ・ファイヴ、ミース・ファン・デル・ローエなどの建築を紹介している。ジョンソンやネルヴィは1号分のほぼ全ページに及ぶ大特集にまでなっている。
 そのなかでマンジャロッティも「建築」特集号の1冊に当てれば、作業を先輩たちが手助けしてくれるし、誰かに建築家論を書いたり話したりしてもらって誌面を盛りあげることもできたはず。なぜ単行本という、未経験で苦難の道に踏みこんでしまったのか。この本につきまとっている記憶ときたら後悔ばかりだったのだが、今回書くにあたって、あらためてゆっくりページをめくりながら思い出してみると、たぶん単行本でしかマンジャロッティの仕事は紹介できないという気持ちに強くとらわれていたのだ。
 アンジェロ・マンジャロッティ(1921-2012)は1960年代の日本ではその名を知る人は少なかったと思う。いまでもあまり変わりないかもしれない。当時はミラノで出されていた、編集長ジオ・ポンティによる建築・デザイン誌「ドムス domus」でよく紹介されていたマンジャロッティの仕事は、工場や教会や集合住宅などの建築も、時計や花器や棚などのプロダクトも同じように、とても明快、しかし幾何学的な表現に頼るというよりは自然の形態にむしろ近い。たとえば樹木や貝殻を連想するような。といって自然造形の表現主義に傾くことなく、可愛らしいとでも言うべき性格を感じさせながら透明度の高いモダニズムを貫徹させていた。
 建築と家具と什器のデザインのなかに同じ精神が、手法を切りかえたりすることがないかのように循環している。同じような傾向が見られるイタリアの建築家たちのなかで、達者という以上にピュアな一貫性をもっとも強く見せているマンジャロッティには雑誌の特集は似合わない。そこから切り離され自立したメディアが必要で、単行本なら余計なデザイン要素を払拭して成り立つ。本文も表紙も判形も、彼のデザインに等しいようにつくりたい。そのように考えての決断、いや盲進だったにちがいない。
 そのころ、ひとりの若い建築家が私に会いに青山の編集室に訪ねて来た。彼はこれからマンジャロッティのアトリエでしばらく働くことになったが、日本を発つ前に植田という編集者に会って作品集の進捗状況をきいてきてほしいとマンジャロッティに頼まれたのだった。ほどほどの言い訳をしたが、私にとってはタイミングよい催促でもあった。その後はさらに必死に作業してなんとか本を完成させることができた。おまけにその若い建築家、藤井博巳とは以来ペンパルになって最新のヨーロッパの建築情報とそれについての彼の考えに接することになる。藤井さんはミラノで数年働いたあと、ロンドンのアリソン&ピーター・スミッソンの建築事務所に移り、帰日してそのまま自分のアトリエを開設して、現在まで独自の建築作家として国内よりむしろ海外での評価が高く、展覧会に出品することも多い。私にとっても個人的な付き合いがとくに長く続いている建築家である。

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 この作品集がマンジャロッティに届けられた時点では私は本人に会っていないし、彼の建築を実際に見てもいない。大体からして海外に出るのは「建築」から退いて「都市住宅」を創刊してからである。そんな状態で本や雑誌をつくるのは当たり前の時代で、自分の生涯にヨーロッパを訪ねる可能性が果してあるのか分からぬままに彼の地の建築に夢中になっていたのだ。ずっとあと、マンジャロッティ来日の機会にやっと会えて握手して、それでお終い。彼を歓迎する建築家たちの会で三輪正弘さんが「これは世界で最初につくられたマンジャロッティさんの作品集です」と紹介して下さった。さらにずっとあと、「デザインの現場」2006年2月号(美術出版社)のブックデザイン特集号でもクローズアップされ、「それまで彼の仕事を断片的に見てはいたが、この本によって知った全貌はあまりにも衝撃的だった」とコメントを寄せたデザイナーの川上元美さんは、作品集刊行の翌年から約3年間をマンジャロッティのもとで過ごすことになる。それ以後も彼のアトリエには日本人スタッフが次々と引き継がれるようにつねに存在していたという。作品集の奥付に記されている協力者、河原一郎、田島学、藤井博巳は、その先達である。
うえだ まこと

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20180529_ueda_77_hashima_07植田実
《端島複合体》(7)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
26.9×40.4cm
Ed.5
サインあり


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◆ときの忘れものは「没後70年 松本竣介展」を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00  ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは小規模ですが「没後70年 松本竣介展」を開催します。本展では素描約16点をご覧いただきます。
201804MATSUMOTO_DM


「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
15出品No.8)
松本竣介
《作品》

紙にペン
Image size: 20.5x29.5cm
Sheet size: 22.7x30.3cm


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●本展の図録を刊行しました
MATSUMOTO_catalogue『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円


◆植田実のエッセイ「本との関係」は毎月29日の更新です。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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